四条への手紙

「文化の都・京都」へ

京都府知事西脇 隆俊

PROFILEプロフィール

西脇 隆俊(にしわき たかとし)
八坂神社 宮司 野村 明義

昭和30年(1955年)京都市生まれ。同49年(1974年)私立洛星高等学校卒業、同54年(1979年)東京大学法学部卒業。同年建設省入省、平成27年(2015年)国土交通省国土交通審議官、平成28年(2016年)復興庁事務次官。平成30年(2018年)京都府知事、令和4年(2022年)から京都府知事2期目。家族構成は妻と一男一女。趣味はマラソン、テニスなどスポーツ全般と映画鑑賞。

京都最大規模の商店街である四条繁栄会商店街振興組合では、平安遷都以来、人やもの、情報が集まり、交流する中で、多様な文化が生まれました。伝統と革新、常に刺激に満ちた四条繁栄会は、下京区で生まれ育った私にとって、様々な思い出が詰まった場所です。その一つが祗園祭。動く美術館ともいわれる山鉾を彩る豪華な装飾は、海外から伝わった品も多く、長く都として、伝統を重んじながら世界の文化芸術を吸収してきた京都ならではです。宵山の駒形提灯に照らされて輝く山鉾、祭を楽しむ人々の熱気。宵山の日は私の誕生日でもあり、子どものころは、街中がお祝いしてくれているようで特別な思い出です。
令和5年3月27日、京都で文化庁の業務が開始されました。京都府におきましては、文化庁の京都移転のみならず、2年後の大阪・関西万博の開催も視野に入れ、「文化の都・京都」を目指し、日本が世界に誇る文化芸術や地域文化を文化庁と連携をしながら京都から世界に向けて発信してまいりたいと思います。
商店街は、人と人との交流の場であるとともに、文化や伝統に触れることができる場として、今後、更に重要な役割を担うこととなります。四条繁栄会におかれては、未来を担う子どもたちをあたたかく育み、絆を守る温もりの場として、また、祗園祭に合わせ、いけばなをショーウィンドーで展示されるなど、これからも伝統と革新が織り交ざった、常に刺激に満ちた世界を魅了する商店街として、個性と魅力ある文化を活かし、ますます御発展されることを祈念いたします。

特集グラビア 絵師たちが描いた四条

コロナ禍を経て、全国各地や海外から
再び多くの人が京都を訪れています。
都はいまも昔も変わらず人々のあこがれの地。
江戸時代には、印刷技術の発達とともに
京の風物を描いた浮世絵や
まちを案内する書物が発刊されるようになり
なかでも、名所を絵入りで紹介する
『名所図会』は、幾種類も作られ、
人気を呼びました。
絵師たちの筆は、京への憧憬を
かき立てただけでなく、
都人たちの活気あふれる暮らしを描き出し
現代の私たちに伝えてくれています。

『都名所百景』より『四条河原夕涼み』(京都府立京都学・歴彩館蔵)
『都名所百景』より『四条河原夕涼み』(京都府立京都学・歴彩館蔵)

祇園会ににぎわう宵のまち

八坂神社の祭礼として
平安期に起源をもつ祇園祭。
商工業が発展した江戸期には
町衆たちが競い合うように
わが町の山鉾の懸装品を
整えていったことで
祭はより絢爛豪華なものに
なっていきました。
京の粋を集めた山鉾と
にぎわうまちのようすは
江戸・上方を問わず
多くの絵師たちによって
描かれています。

都名所百景』より『祇園会宵錺(ぎおんえよいかざり)』(京都府立京都学・歴彩館蔵)
『都名所百景』より『祇園会宵錺(ぎおんえよいかざり)』
(京都府立京都学・歴彩館蔵)
嘉永2年(1849年)に刊行された『大日本新撰永代節用無盡蔵』より『祇園会六月七日十四日山鉾之図』(京都府立京都学・歴彩館蔵)
嘉永2年(1849年)に刊行された『大日本新撰永代節用無盡蔵』より『祇園会六月七日十四日山鉾之図』(京都府立京都学・歴彩館蔵)

安永9年(1780年)8月に刊行された『都名所図会』は、当時ほかに類がないほど大いに成功したベストセラー本でした。京都の俳諧師・秋里籬島が著し、図版を大坂の絵師・竹原春朝斎が描いて、京都の版元から開板され、後世に至るまで繰り返し版を重ねています。当時、『京童』『京雀』といった名所記はいくつもありましたが、わかりやすい解説と精巧な俯瞰図や風俗画の挿絵を数多く取り入れたスタイルは斬新で、その後、『拾遺都名所図会』(1787年刊)、『都林泉名勝図会』(1799年刊)など数多くの類本が作られていきました。
これらの本は木版・単色刷りですが、その後、江戸で浮世絵の「百景もの」が人気となったことを受け、上方でも多色刷りの名所絵図が作られるようになりました。その一つが大坂の版元が制作した『都名所百景』です。これは幕末の文久3年(1863年)から慶應元年(1865年)ごろに描かれたと考えられており、大坂の浮世絵師・歌川芳豊や歌川国員、京都の梅川東居、川部玉園、四方春翠の5人の画家が参加しています。四条界隈の風物を映したものも多く、祇園祭の項では宵山に浮かび上がる駒形提灯が独特の遠近法で描かれています。

橋弁慶山の宵山のようす。文化3年(1806年)刊『諸国図会年中行事大成』より速水春暁筆(国立公文書館蔵)
橋弁慶山の宵山のようす。文化3年(1806年)刊『諸国図会年中行事大成』より速水春暁筆(国立公文書館蔵)
2022年宵山の橋弁慶山会所飾り。五条の橋での牛若丸と弁慶の出会いの場に題を取っている。(公益財団法人祇園祭山鉾連合会提供)
2022年宵山の橋弁慶山会所飾り。五条の橋での牛若丸と弁慶の出会いの場に題を取っている。(公益財団法人祇園祭山鉾連合会提供)

灯りが誘う四条河原の夕涼み

盆地特有の地形のため
厳しい蒸し暑さが続く京の夏。
人が密集する都の暮らしのなかで
広々と開けた鴨の河原は
涼やかな風が吹き抜ける
絶好の憩いの地だったことでしょう。
ことに四条の河原は
八坂神社への参道に続いており
多くの商いでにぎわいました。
ひととときの娯楽に興ずる
人々の楽し気なようすは
ときを超えて、絵画のなかに
見ることができます。

歌川広重筆の浮世絵版画『京都名所十景』より『四条河原夕涼』(京都府立京都学・歴彩館蔵)
歌川広重筆の浮世絵版画『京都名所十景』より『四条河原夕涼』(京都府立京都学・歴彩館蔵)
夕涼みの絵では、酒や芝居を楽しむ男女、からくり仕掛けの箱をのぞき込む子どもなど、京の人々の余暇が生き生きと描かれている。
夕涼みの絵では、酒や芝居を楽しむ男女、からくり仕掛けの箱をのぞき込む子どもなど、京の人々の余暇が生き生きと描かれている。
夕涼みの絵では、酒や芝居を楽しむ男女、からくり仕掛けの箱をのぞき込む子どもなど、京の人々の余暇が生き生きと描かれている。
川岸と中洲を小橋でつなぎ、そこを遊興客や料理を手にした女性たちが行き来している。橋を渡った奥が先斗町と思われる。
川岸と中洲を小橋でつなぎ、そこを遊興客や料理を手にした女性たちが行き来している。橋を渡った奥が先斗町と思われる。

歌川広重(1797~1858年)といえば、『東海道五十三次』などの木版風景画で一躍大人気となった江戸の絵師。ゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えたことでも知られています。その広重が天保5年(1834年)に手掛けた浮世絵版画『京都名所十景』では、雪の祇園社(八坂神社)や桜の嵐山などとともに、四条河原の夕涼みのようすが描かれています。河原には床几が並べられて提灯の灯りが点り、川風に高くたなびいているのは芝居小屋の幟旗でしょうか。
このころの四条河原には東と西の岸をひと跨ぎに結ぶ大橋の姿が見えず、流れのなかにできた中洲にいくつもの小さな橋が架けられています。さまざまな浮世絵や名所図会に三条や五条の大橋は登場しますが、四条河原に長橋が描かれていないことはよくあります。いまのように護岸工事がなされていない時代のこと、川の氾濫によって橋は幾度も流されました。四条は八坂神社の参道ということもあり、たびたび橋のための勧進が行われましたが、広い中洲のある四条では大橋を架けないままになっていることが多かったようです。
しかし、大きく開けた河原は多くの人たちが集うのに都合がよく、また夏は涼しいことで古くから遊興の場になっていました。出雲の阿国が歌舞伎踊りをしたのも四条河原といわれ、歌舞伎発祥の地として南座がその伝統をいまも守り続けています。

納涼床が並ぶ夏の四条河原を、四条大橋西詰より北へ望む。いまでは川べりに等間隔で座るカップルも風物詩の一つ。
納涼床が並ぶ夏の四条河原を、四条大橋西詰より北へ望む。
いまでは川べりに等間隔で座るカップルも風物詩の一つ。
四条河原に設けられた芝居小屋。大きな身振りの男性が語るのは、呼び込みの口上か?
四条河原に設けられた芝居小屋。大きな身振りの男性が語るのは、呼び込みの口上か?
※図はいずれも『都林泉名勝図会』の『四条河原』の項より抜粋
(京都府立京都学・歴彩館蔵)

各所絵に旅心をかき立てられて

江戸期に人気を博した名所図会は
いわば旅行のガイドブック。
当時の人々は
本を見ながら計画を立て
あるいは叶わぬ旅を思って
心を慰めたのではないでしょうか。
浮世絵や本に登場する
名所のなかには
四条界隈の史跡がいくつもあります。
一世紀以上のときを経て
往時とは大きく姿を変えた場所から
いまも変わらず同じ場所で
人々の信仰を集める寺社まで
図会の今昔を見比べながら
訪ねてみるのも一興です。

四条御旅所/冠者殿社
『都名所百景』より『御旅所』。中央が四条通で奥に東山が見える。図会では社殿が西に面しているが、明治期に市電が敷設された際、現在の北向きに建て替えられている。※

【四条御旅所/冠者殿社】

祇園祭では八坂神社の御祭神が神輿で渡御される御旅所。その横にある冠者殿社は素戔嗚尊の荒魂を祀っており、素戔嗚尊が天照大神に身の潔白を誓ったという神話にちなんで、誓文(契約書)の神として商人から信仰を集めている。

  • ● 京都市下京区四条通寺町東入ル貞安前之町
  • ● 参拝/自由 ● 交通/市バス「四条河原町」徒歩約3分
四条御旅所/冠者殿社
『都名所図会』より『官者殿の誓文払』。一年の嘘、いつわり言を詫びて払う誓文払は毎年10月20日に行われ、商人たちが詫びに代わって安売りをしたことからバーゲンセールの走りといわれている。※▶
四条御旅所/冠者殿社
◀現在の四条御旅所。
錦天満宮
『都名所百景』より『錦天神』※

【錦天満宮】

学問の神様として知られる菅原道真を祀り、繁華街の鎮守社として長年親しまれている。境内には名水「錦の水」が湧き出し、学問や智恵、商才、招福、厄除け、災難除けの御神徳を受けようと途切れることなく多くの人が訪れている。

  • ● 京都市中京区新京極通四条上ル中之町537
  • ● 拝観/午前8時~午後8時 拝観無料
  • ● 電話/075-231-5732
  • ● 交通/市バス「四条河原町」徒歩約5分
錦天満宮
新京極通に面した繁華街の真ん中に鎮座する。
八坂神社
大鳥居前の二軒茶屋。オランダ商館長をもてなすようすが描かれている。
『拾遺都名所図会』より。※

【八坂神社】

平安京遷都以前より鎮座する古社で、全国2300社ある八坂神社・祇園信仰神社の総本社。祇園祭は八坂神社の祭礼で、山鉾は御祭神を乗せた神輿の露払いの役目を担っている。

  • ● 京都市東山区祇園町北側625
  • ● 拝観/境内自由
  • ● 電話/075-561-6155
  • ● 交通/京阪電車「祇園四条」徒歩約5分
八坂神社
『都名所百景』より『祇園表門大鳥居』。※▶
八坂神社
◀大きな石鳥居の奥に見えるのが南楼門。向かって右手に門前二軒茶屋の歴史を受け継ぐ「中村楼」がある。
六角堂 頂法寺
『都名所百景』より『六角堂』※

【六角堂 頂法寺】

聖徳太子の創建と伝わる頂法寺は、本堂のかたちから六角堂の名で親しまれている。華道家元池坊の家元が代々住職を務め、いけばな発祥の地とされている。

  • ● 京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町
  • ● 拝観/午前6時~午後5時 拝観無料
  • ● 電話/075-221-2686
  • ● 交通/地下鉄「烏丸御池」徒歩約3分
六角堂 頂法寺
『都名所図会』に描かれた六角堂※
六角堂 頂法寺
▲本堂横にある「地ずりの柳」は縁結びにご利益があるとされる。
染殿院(四条道場)
『都名所図会』より『四条道場』。※

【染殿院(四条道場)】

平安時代の創建で、安産と子授けにご利益があるといわれる。室町期に一帯が時宗の四条派大本山・金蓮寺に寄進され四条道場と呼ばれた。戦後、寺は北区へ移ったが、染殿院は四条の地で親しまれ続けている。

  • ● 京都市中京区新京極通四条上ル西入ル
  • ● 拝観/拝観自由 ● 電話/075-221-3648
  • ● 交通/市バス「四条河原町」徒歩約5分
染殿院(四条道場)
▲四条通から甘栗の「林万昌堂」を通りぬけて境内に入る。
染殿院(四条道場)
▲新京極側の門には「時宗開祖」と刻まれた石碑があり四条道場の名残りを伝えている。
※京都府立京都学・歴彩館蔵

コラム 四条に暮らした絵師たち

四条のまちには、のちに名を遺した絵師たちが多く暮らしていました。江戸中期の絵師で、大乗寺の障壁画や智積院の雲竜図などで知られる円山応挙(1733~1795年)もその一人。狩野派の石田幽汀に学び、写生に重きを置いた日本画の一派・円山派の祖とされています。屋敷があったと伝わる四条堺町には応挙邸宅の石碑が立ち、近隣にはゆかりの地蔵も大切に受け継がれています。
また、日本画の大きな流派として四条派があります。江戸中期の絵師・呉春を祖とし、その弟子である岡本豊彦や松村景文なども四条通周辺に居を構えたことからその名で呼ばれるようになりました。円山・四条派と総じて呼ばれることもあり、ともに町衆の支持を得て発展していきました。応挙をはじめ円山・四条派の絵師たちは祇園祭の山鉾の装飾品にも数多く関わっています。
また、美人画を得意とし、女性として初めて文化勲章を受章した上村松園(1875~1949年)は、四条通御幸町の茶商に生まれ、長く四条界隈に暮らしています。芸術家たちと、その創作を支える京の豪商たちによって、四条のまちは文化の発信地としての役割も長く担ってきたのでした。

コラム 四条に暮らした絵師たち
祇園祭「保昌山」の前懸と胴懸は円山応挙の下絵をもとにつくられ、応挙筆の下絵も町内に残されている。
  • コラム 四条に暮らした絵師たち

    堺町通四条上ル西側、野村證券京都支店のビル壁面に祀られている「応挙地蔵」。応挙邸の庭にあった地蔵が残されたものと伝わっている。

  • コラム 四条に暮らした絵師たち

    四条通堺町東入ル南側に立つ「円山応挙邸跡」の石碑。

CLOSE UP MISE

CLOSE UP MISE
店内には洗練されたベーシックなアイテムが揃う。

Standard Products
京都四条通店

「ちょっといいのが、ずっといい」。
普段の暮らしを楽しく、
心地よくしてくれる日用品

店長 七條華保
「四条通になくてはならない店になっていければ」と
店長の七條華保さん。

京都初出店のDAISOの新ブランド

四条通柳馬場を東へ。アーケードに面した間口は全面ガラス張りで明るく、店内にはアースカラーを中心とした落ち着いたデザインの食器やインテリアグッズが並んでいます。通りからもよく見えるそのようすに、買い物の目的がなくともつい立ち寄りたくなって…という人も多いのではないでしょうか。
昨年4月にオープンした「Standard Products (スタンダードプロダクツ)京都四条通店」は、100円ショップ「DAISO」でおなじみの大創産業が展開する新ブランド。価格帯は100~1,000円で300円をメインとし、京都四条通店は東京3店、大阪2店に次ぐ6店目。京都初出店となります。
ブランドのコンセプトは「ちょっといいのが、ずっといい」。環境やライフスタイルの変化に伴って、良質で心地よい製品を長く使いたいというニーズが高まるなか、生活に取り入れやすいベーシックで洗練されたデザインに特化し、約2,000品を取り扱っています。毎月約100品の新商品が加わるのも人気の秘密で、顧客のニーズや社会の動きをとらえる対応力と商品開発力はさすがというところです。

常に新しい驚きと発見を

大創産業といえば、高度経済成長期の昭和47年(1972年)に創業者の矢野博丈氏が日用品の移動販売から始めたことはよく知られています。5年後に法人化されたのちは100円ショップというジャンルで店舗を作り、それを世界で初めてグローバルチェーンとして展開。新しいビジネスモデルを確立しました。いまでは国内外あわせて5,800店を超え、どのまち、どの世代の人にも欠かせない「生活インフラ企業」とも称されています。
取り扱うアイテムは常時76,000品を超えるうえに、なんとその90%が自社開発商品。グループ全体で毎月1,000品以上の商品を開発し続けることで、いつ訪れても驚きと新しい発見がある店舗づくりを実現させています。
大創産業が令和3年(2021年)3月、東京渋谷を皮切りに立ち上げたのがStandard Products。京都初出店にあたっては、国内外の人々に対して大きな集客力をもつ四条のまちで路面店を展開する方針がとられました。
オープンから1年が経ち、買い物客や通勤・通学の足で立ち寄る人はもちろん、観光客の利用も多く、「海外からのお客様にたくさんご来店いただけるのも四条通ならでは。ブランドの魅力を全世界へ発信する起点の一つになれればと考えています」と店長の七條華保さん。和のテイストが感じられるアイテムや日本ならではの品質にこだわった商品を店頭の目につきやすい位置に配するなど工夫を凝らしているといいます。

Standard Products 京都四条通店
店舗は2フロアからなり、ブランドごとにスペースを分けている。写真はお香のラインナップ。
Standard Products 京都四条通店
職人の技術を生かした両面染色の手ぬぐいは使い勝手も好評。
Standard Products 京都四条通店
熊野筆のメイクブラシは価値ありの一品。

作り手と買い手、まちをつないで

現在、全国で約50店舗を展開するStandard Productsでは、キッチン、インテリア、バス、ガーデン、ペット、コスメなど幅広い分野で商品展開しており、愛媛県今治のタオルや、広島県・熊野筆のメイクブラシ、新潟県燕市のカトラリーのほか、職人の声から生まれた総綿の軍手・軍足や間伐材を使ったヒノキ精油や箸など、日本各地の生産者とともに開発した商品にはリピートするファンもあるほど。また、それぞれの商品がもつ背景を知ってもらおうと、産地の現状や開発の経緯、生産者の思いなどがホームページで詳しくレポートされており、それらをじっくりと読んでもらえるようにと、店頭でもそれぞれの商品のそばにQRコード入りのカードがおかれています。「いずれは京都という土地柄を生かして、地元とのコラボ商品が開発できれば」と七條さん。
コロナ禍のなかでの新規開店とあって、当初から大きな影響も受けましたが、「お客様がいまほしいものを」とマスクやおうち時間を楽しむためのホームクッキンググッズを特集として揃えるなどアイデアを出し合ったと振り返ります。
また、同店の2階には100円ショップの「DAISO京都四条通店」が併設されており、おなじみの日用消耗品などが驚くような品揃えで集められています。コロナ禍のおうち時間の提案では、1階の調理器具にあわせて2階の製菓材料を紹介するなど、店舗構成の強みを生かした販売方法も企画しています。
「より多くのお客様に訪れていただくことで、まちの繁栄に少しでも寄与できればと考えています」という七條さんの言葉からは、地域とつながり、作り手と買い手、そしてその出会いの場であるまちを盛り上げたいというブランドの思いが伝わってくるかのようです。
※商品は状況により売り切れの場合があります。

Standard Products 京都四条通店
金属加工の町として知られる燕市のカトラリー。
Standard Products 京都四条通店
商品について詳しく知ることができるQRコードカード。
Standard Products 京都四条通店
2階はおなじみ100円ショップのDAISO。
Standard Products 京都四条通店
  • Standard Products 京都四条通店
  • DAISO京都四条通店
  • 京都市下京区四条通柳馬場東入ル立売東町12-1
  • 【営業時間】9:30~21:00
  • 【URL】https://standardproducts.jp

コラム〜京おんなは知っている、ヒミツの…

イラスト:たつみ まさる

テクノロジーによる次世代の「買い物」市場とは?

イラスト:たつみ まさる

ChatGPTが話題だ。AIの進化によって、今の常識が大きく様変わりすることは間違いない。だが、忘れてはならないのは、AIだけではない。移動通信システム5Gの普及や新たなプラットフォーマーの台頭も、私たちの生活を根底から変えていく。特に「買い物」は、これまでとは全く違った体験になっていくだろう。

まず、コロナにより、人々は店に行かなくなり、出向く必要もなくなった。キャッシュレス化により、現金を持ち歩くことなく、顧客の購買履歴などを基にした機械学習アルゴリズムによって、オンラインの画面上でオススメしてくる商品を買うようになった。また、日用品などの決まった商品の購入に関しては、定期便サービスを活用することで、「買い物」に費やしていた時間を短縮させ、別のことに使えるようにもなった。

つまり、一部の買い物は、すでに「楽しいもの」ではなく「面倒なもの」へと意識が変化したのである。「店に行くこと」「店内を巡って商品を選ぶこと」「店員とやりとりすること」「レジに並んで決済すること」「包装が終わるのを待つこと」「荷物を持って帰ること」といった一連の体験は、「面倒なもの」だという認識に変わったのである。そのため、サブスクを活用して自動的に届けられるサービスを利用することで、時間効率を重視するようになった。今後はIoTにより、冷蔵庫の食材が減れば、ストックが切れる前に自動的に送られるようなことが当たり前になっていくだろう。

では、すべての買い物が「楽しいもの」ではなくなるかといえば、もちろんそうではない。「ここ」でしか体験できない買い物は、SNSやYou Tubeなど、デジタル上にアップロードすることを目的に、これからも人気を集めるだろう。

だが、注目すべきは、その先だ。これからの「楽しい」買い物とは、私や夫が運営するそれぞれのオンラインコミュニティやライブ配信などでは、すでに起こっていることだが、サービス提供者と消費者の「境界線がなくなる体験」を指すようになる。これは、共通の価値観やテーマに関心を持つ人同士がオンライン上で集まる「コミュニティ」内で、消費者はサービス提供者と一緒に、「ほしいもの」を「ほしい人」を集めて、「共同して創っていく」ことである。

イラスト:たつみ まさる

そして、「購入前」「購入時」「購入後」のすべてをオンライン上で「共有」する一連のプロセス体験すべてが、「楽しい」買い物になるのである。つまり、全員がインフルエンサーであり、商品開発者であり、営業マンであり、消費者に「同時」になる市場が誕生しているのである。

これらの一連のプロセスでは、単なる消費以上の体験ができるため、人々は複数のコミュニティに所属し、複数の商品やサービスのクリエイターとして、PR担当として、利用者として、新しい買い物スタイルを楽しむようになる。彼らはもはや欲しい情報を求めて「検索」をしない。なぜなら、欲しい情報は、AIが自動的に集めて、整理してくれるだけでなく、自分がつながっている人たちやアプリから最新情報を得て、それに関するより詳しい情報はコミュニティのチャットやレビュー動画でチェックするからだ。

「誰が」「なぜ」その商品やサービスを作っているのか?が重要になり、その「物語が共有」され、「共感」されることでビジネスが成り立っていく。どんな「物語」なのかが魅力の違いになり、「誰が」「誰と」コラボし、「どう作るのか」で影響力に差が出てくる。

「買い物」がこのような一連のプロセス重視になる以上、これからは、すべてがオンライン上にさらけ出されることになる。つまり、商品を購入して実際に使用している日常生活が他者と共有され、商品を企画・開発して提供するビジネス部分も共有されるので、この二つの境界があいまいになる。言い換えれば、これからは公私の境目や、提供者と消費者の境目をむしろあいまいにし、それらの相反すると思われていたものを融合し、共創したものが勝者になっていくのである。つまり、これまでとは、ビジネスのルールが完全に変わったのだ。

四条は、常に新しいものに挑んでいくパイオニア精神を重視してきた。100年に一度と言われるほどルールが大きく変わる今、四条繁栄会には、どこよりも起業家精神を発揮して、この新しく台頭してきた時代をリードしてほしいと願う。

文:赤城 賀奈子(あかぎ かなこ)
イラスト:たつみ まさる

京都・知れば知るほど

京の食文化・パン

懐石や精進料理、宮廷の雅を伝える
有職料理をはじめ、仕出しやおばんざいなど
京のまちは世界に誇る和食の中心地です。
ところがその一方で、京都市民の
パンへの支出額やパンの消費量は
毎年全国で一位・二位を争うほど高く、
無類の「パン好き」として知られています。
なぜ京都人たちは洋食のパンをここまで
食べるようになったのか。
その謎に迫ってみましょう。

サンドイッチを中心に毎朝の食卓やランチタイムにおなじみの志津屋のパン。
昭和23年(1948年)に河原町六角下ルで創業以来、おいしさと体に良いパンを追求し続け、地元で長く愛されている。

京の食文化・干菓子
パリの地下鉄回数券の呼び名にちなんで名付けられた「カルネ」。何度でも食べてほしい、という思いが込められている。
京の食文化・干菓子
写真は四条河原町上ルにあった四条店の昭和44年(1969年)のようす。
京の食文化・干菓子
京ならではのあんパンが
手土産にできることで人気の新ブランド「SIZUYAPAN」。

小麦を粉にして焼くというパンの原型は、古代メソポタミアですでに食されていました。日本でも小麦粉を焼いたり蒸したりしたものが弥生時代に大陸から伝わっていたとされていますが、西洋のパン食文化がもたらされたのは時代を下って戦国時代、種子島に着いたポルトガル船によるものでした。ただ、これも鎖国によって広まらず、本格的に国内で作られるようになったのは幕末、兵糧として着目されてのことでした。
パンが庶民の間でなかなか普及しなかった日本ですが、転機となったのは文明開化。洋食が流入したことがきっかけでした。とくに明治7年(1874年)、東京銀座の木村屋が開発した「あんパン」がパン食を一躍広めたことはよく知られています。
京都でも明治維新とともに西洋人向けのホテルや洋食店が増え、まちに洋館や洋装があふれるようになると“新しもん好き”の京都人たちはパン食に親しむようになっていきました。なかでも着目したいのは、京都が「学生のまち」という点。比較的安価で手軽なパンは学生たちに好まれ、喫茶文化とともに生活のなかへ定着していきました。戦後まもなく創業し、現在京都で20店舗以上を展開する「志津屋」もまた、早くから学生食堂などに自社のパンを卸してきました。定番の「カルネ」など手ごろで食べ応えのあるサンドイッチは志津屋を代表する味として知られ、学生時代に親しんだパンを子や孫と囲むようになったという根強いファンが多いのも特徴です。
いまでも毎月5~6種の新作が店頭に並ぶほか、日持ちのする手土産用あんパンのブランドを立ち上げるなど挑戦を続け、この春には地下鉄四条駅・京都駅ホームにカルネの自動販売機も登場しています。新しいものを常に追い求める気質こそが、京都をパンのまちにしているのかもしれません。

〈取材・資料提供〉

志津屋

本社/京都市右京区山之内五反田町35TEL.075-811-6000(代)

私の四条通り

京のものづくりを背景に
さらなる四条のブランド化を

関西国際大学 教授 宗田 好史さん

歩道が拡幅され、歩くまちを実現した四条通。
歩道が拡幅され、歩くまちを実現した四条通。

データから見た四条通の歩道拡幅

遡れば四条繁栄会さんとは20年以上のおつきあいになるでしょうか。亡くなられた「みのや」の髙橋亮太郎元理事長が「風格と華やぎ」を掲げてまちづくりに奔走されているころからのことで、髙橋さんの後を受けて理事長をされた「田 と」の堀部素弘さんや、ほかに「伊と忠」の伊藤忠三郎さん、「ゑり善」の亀井邦彦さんら理事のみなさん方が企画してくださり、シンポジウムでの講演やワークショップに幾度となく参加してきました。
私の専攻は都市・地域計画学や歴史都市の再生政策、観光学で、京都市の景観政策に長くかかわってきたこともあり、2015年に完成した四条通の歩道拡幅事業についても初期の実証実験などに加わり、当時指導していた京都府立大学の学生たちを動員して交通調査を行ったりもしました。
当初は厳しい反対意見も多かった歩道拡幅ですが、実際に京都のまち角に立って細かくデータを取ってみると面白いことわかりました。車の多い通りと、人の多い通りは反比例するのです。通りから車を3台減らすと人が1人戻ってくる、という数字は考えてみれば当たり前で、車が多い通りを人は避け、人が多い通りを車では通りたくないものです。四条にやってくる車の駐車場をどうするか、商品搬入の車両はどうするのか、といった声も上がりましたが、車で来街する少数の人や搬入のために、まち歩きを楽しんで買い物してくれる大多数のお客様を減らしていたのでは本末転倒です。
幸い、四条通に近い各商店街も共通の搬入場所や搬入時間の統一設定に迅速に対応してくださり課題は解決に向かいました。以前は錦市場に交わる南北の通りなどには、ひっきりなしに搬入車がずらっと路肩に並んでいるのが当たり前でしたが、そんな光景を見なくなりましたよね? 歩いて楽しいまちは、いろんなみなさんの努力と協力のもと実現されたわけです。

「これからは次の四条のブランド形成が求められる」と宗田好史教授
「これからは次の四条のブランド形成が求められる」と宗田好史教授。

フィレンツェに学ぶ、これからの商店街の姿

コロナ禍が収束に向かい、京都にインバウンド需要が戻ってきました。こうなることはわかっていたのであまり懸念はしていませんでしたし、ましてや四条のような都市型の商店街はコロナによる人流減の影響はあったものの、海外からの観光客の影響はさほどないものです。インバウンド頼みの地方の観光地や土産物を扱う店の多い商店街とは分けて考えなければなりません。
都心の商店街が観光を考えるとき、だれにどんなサービスをするかが重要でしょう。まだまちづくりが過渡期だった2004年、髙橋理事長に依頼されて、イタリア・フィレンツェ市観光局長のエミーリオ・ベケッリ氏を招いて基調講演を行っていただいたことがありました。あわせて行われたパネルディスカッションでは、大阪大学の鳴海邦先生をコーディネーターに、京都大学の中川大先生と私、髙橋さんが加わったことを覚えています。
ベケッリ氏はいち早くデータサイエンスを観光学に取り入れて研究されており、フィレンツェにインバウンドが増えたことで都心の商業がどう変わったかを伺いました。 国籍ごとにセグメントを分け、日本人客だと2泊3日、アメリカ人だと4泊5日などの宿泊傾向があることを分析し、1泊の日本人は駅近くに、学生なら団体バスで来てインターチェンジ近くに泊まって都心はわずかな観光だけになるといったことが見えてきます。ただし、後者のような観光では感動が薄い。2泊3日して都心のいいホテルに泊まる客にどうアプローチしていくかが大切になります。

例えば、まちのブティックでスーツを買うとします。普通ならお直しに3日から1週間かかるところ、商店街の上の小部屋にお針子さんを待機させておいてすぐ作業をする。一方で客には「どちらへお泊りですか?」「お食事はどちらで?」と丁寧に接客し、必要であれば商店街内の人気のレストランを紹介する。食事を終えて気持ち良くホテルへ戻ってみると、「お店からお荷物が届いております」という案内があるわけです。しかも、無粋な箱や紙袋に入れてポンと置いてあるのではなく、クローゼットを開けるとそこには新調した服…。有名ブランドの良さもありますが、まちのテーラーの自分だけのためのサービスというのは、旅先でひととは違う「通」になれた気分を味わせてくれます。こういった演出が、また来たい、また買いたいと思わせ、それらは商店街の連携で生み出すことが可能になっているわけです。
講演後に髙橋さんは「四条こそ、こういった接客が大事なんだ!」 とおっしゃり、「組合でお金を集めてみんなでフィレンツェへ視察に行きましょう! 先生の分は出しますよ」と笑ってらっしゃいましたが、残念ながら叶わぬままになっています。

都市計画と観光についての多数の著書
都市計画と観光についての多数の著書。

まち並みは一日にして成らず

四条のまちづくりが始まったころ、私は京都市の高さ規制政策に携わっていたところでした。2007年9月に実施された新景観政策では、それまで建築物の高さの上限が31mだったところが15mまで下がりました。このときよく不動産関係者から言われたのが、マンションの高さが半分になれば、戸数も半分しか作れなくなる。土地の価格が下がれば会社がどんどんつぶれていくぞ、ということでした。一見すればもっともらしい話ですが、不動産市場はいうまでもなく需要と供給で成り立っています。確かに経済が成長しているときは規制緩和をすればそこにお金が集まってくるということはありますが、2007年といえばサブプライムローン問題で金融不安が拡がった年であり、翌年にはリーマンショックが起こっています。経済が下がっていくときは、需要と供給のバランスはもとの市場原理のセオリーに戻ります。つまり供給を減らせば値段は上がり、都心のマンションはその通りに値上がりしました。
景観政策のなかでは町家と街並みの保存にも規制を敷きました。いま、新しく建つビルやマンションに平入りの屋根庇がつくようになったのもこれに合わせたものです。古い町家なども再活用されるようになり、四条通の南北あたりでは町家レストランなども驚くほど増えました。とくに四条通より南のエリアでは、北や東の高級路線とは異なり、若い人たちによる新たなまちのかたちも生まれています。
町家のある美しいまち並み、とひと口にいいますが、実は町家だけが美しくなったわけではありません。手入れされ洗練されているものももちろんたくさんありますが、町家というのはもともと古いものですから、昔からあるそのままなわけです。では何が変わったのか。それは新しい建物が美しく建てられているからです。ビルを思い思いに建てるのではなく、適度な高さ、町家に則うデザインになるよう規制を敷くことで、まち全体の姿、まちの未来は変わりました。
規制前、まちづくりを考えるパブリックフォーラムで、ある人から「宗田さん、高さ規制をしたら京都がパリやローマになるとホラを吹いてるけど、どう責任とるつもりや」と言われたことがありました。私の答えはひと言「ローマは一日にして成らず」(笑)。
あれから10年以上が経ち、京都は訪れたい観光地の1位に選ばれるようになりました。比較基準はさまざまあれど、観光客の評価では京都はパリやローマをしのいだわけです。京都市はこれまで国の支援を受けながら、まず文化財を守り、文化政策を進めて、そののち景観や町家の再生に独自に取り組んできました。費用は観光というかたちで回収され、これからは宿泊税などもスタートします。一つひとつの壁を打ち砕き、乗り越えるのは途方もないことでしたが、コツコツと一日ずつ積み上げることでしか、やはりまちづくりは成らないのです。

「風格と華やぎ」のまちへの期待

四条のみなさんの地区計画、そして歩道拡幅の実現もまさにこれと同じ歩みを経てこられたと思います。これからはお客様がますますグローバル化し、お店もグローバル化が求められますが、世界を見据えたまちのブランド化という意味において、四条には高いポテンシャルがあります。フィレンツェにグッチやフェラガモがあるように、四条にはゑり善さんや伊と忠さん、田中彌さんがあり、それに続くスタイルを見つけていくことがこれからの課題になってくるでしょう。
京都が東京や大阪と異なるのは、「ものづくり」を背景に抱えている点です。フィレンツェの商店街の上のお直しのお針子さんたちがいるように、数丁行けば職人さんたちの仕事場がある。きものや陶器などの伝統産業を和の文化の粋として売るのか、洋のテイストとコラボレーションするのか。その価値に信頼を与え、世界に向けて発信するショーウインドウが四条通そのものであり、それがこのまちの本質なのではないでしょうか。
京都市では上質宿泊施設誘致制度も始まり、世界中の富裕層がこぞって京都を訪れています。インターネットで世界中のものが手に入る時代、ものの売り方は問題ではなく、誰に売り、どれだけ長くつながっていけるかが大切になっていきます。四条通には世界有数のブランドショップが軒を連ね、四条ならではのブランドもあり、薄利多売に走らず少しだが良いものを売ろうという昔ながらの気風もあります。四条ならではのブランドをさらに確立し、接客・サービスを充実させることで、「風格と華やぎ」がまちに根付いていくことをこれからも応援していきたいと思います。<談話>

宗田 好史
PROFILE 宗田 好史(むねた よしふみ) 1956年浜松市生まれ。法政大学工学部建築学科、同大学院を経て、イタリア・ピサ大学、ローマ大学大学院にて都市・地域計画学を専攻。歴史都市再生政策の研究で工学博士(京都大学)。国際連合地域開発センターを経て、1993年より京都府立大学助教授、2012年より同教授。2016年4月から2020年3月まで副学長、和食文化研究センター長を務め、2022年名誉教授、現在は関西国際大学国際コミュニケーション学部長。京都市景観まちづくりセンター理事、京都町家再生研究会理事などを務める。国際記念物遺産会議(ICOMOS)国内委員会理事、東京文化財研究所客員研究員、国立民族学博物館共同研究員などを歴任。主な著書に『にぎわいを呼ぶイタリアのまちづくり』(2000年)、『中心市街地の創造力』(2007年)、『創造都市のための観光振興』『町家再生の論理』(2009年)、『なぜイタリアの村は美しく元気なのか』(2012年)、『インバウンド再生』(2020年)、いずれも学芸出版社。

京洛墨彩

【ゴク・キョク・きわめる】

最も高いところにある木、棟木、ひいては最高・最上の意を表す。

極

いにしえの皇尊すめらみことが愛でし清き泉。
絶えることなく滾滾こんこんと湧く水に
長き泰平をなぞらえ、
覇者たちは祈る。
乱を治めて、権を極め、
受け継ぎ栄えた永の世も
砲の音にまた潰えた。
極彩色のやしろはときの証を宿して
いまなお輝く。

祇園四条の駅から電車で約20分。伏見桃山は古くから京と大坂を結ぶ淀川船運の要衝として栄え、豊臣秀吉はここに港と伏見城を築いて天下を差配しました。

駅近くに立つ神門は御香宮ごこうのみや神社のもので、伏見城の大手門を移築したと伝わっています。貞観4年(862年)に境内から香りの良い水が湧き出し、清和天皇より「御香宮」の名を賜ったとされ、御香水と呼ばれる湧き水は環境省の名水百選の一つ。その豊かな水脈は、酒づくりのまち伏見を育んできました。

時は遡って秀吉の時代、伏見築城に際して秀吉は城内に鬼門除けの神として御香宮を勧進しました。その後、関ヶ原で天下を手にした徳川家康は、慶長10年(1605年)、元の地に本殿を造営。細かな彫刻と極採色に彩られた本殿は、安土桃山時代の特色を表す大型社殿として国の重要文化財に指定されています。また拝殿は紀州徳川家・初代頼宣の寄進によるもので、以降、徳川家の手厚い加護を受けて受け継がれてきました。

幕末の慶応4年(1868年)には鳥羽伏見の戦いが勃発し、伏見奉行所の幕軍に対して、御香宮に官軍(薩摩藩)の屯所がおかれました。幸いにも社殿は戦火を免れましたが、一帯は戦場となって焼き尽くされ、およそ260年、15代に亘って続いた徳川の世は終焉に向かうことになったのでした。

御香宮神社

京都市伏見区御香宮門前町
交通/京阪電鉄「祇園四条」より「伏見桃山」下車、徒歩約5分

コラム四条

昭和はもっとみんな寛容やった

“世界幸福度ランキング”というのがあるんやそうどすなあ。

新型コロナウイルスのパンデミックを経験して、私たちの幸福に対する意識も大きく変化したように思うのどす。“世界幸福度ランキング”は毎年3月20日に発表されるのどすけど、始まったんは2012年の6月からで、国連顧問のジェイム・イリエンさんが提唱し、国連総会で193ヵ国の加盟国が満場一致で、国連決議として採択されたんやそうどす。この日は“世界が幸福であるように”と願い、また、“幸福とは何か”を考える日なんどす。

コラム四条

このジェイム・イリエンさんはインドのカルカッタの路上に捨てられた孤児やったそうどす。マザーテレサの関係する孤児院に連れていかれ、そこで養母となるアメリカ人のアンナ・イリエンさんに出会い、以来、義母とともに世界中の孤児院をまわらはったようで、貧困・戦争・飢餓などで両親や家族を亡くした“私のような子どもたちのために何かしたい”という思いがあったんやそうどす。

2023年の日本の幸福度は47位。主要7カ国(G7)では最下位。日本人はあまり幸福やと思うてないらしい。トップは6年連続でフィンランド、2位デンマーク、3位アイスランドの北欧圏が上位にランキングされているんどす。

ヒュッゲ(Hygge)とはデンマーク語で“居心地がいい空間”や“楽しい時間”の意味。そういうたら、北欧のデザインはこのヒュッゲと関係あるそうどす。機能性が高こうてシンプルで洗練されていて、自然を感じられる木製の家具や暖かで優しい灯りのある暮らし。

ろうそくを囲んで友人や家族で食事をしたり、天気の良い日に芝生で昼寝をしたり…。日本では人よりたくさんお金を稼ぐことが、幸福を生む条件の一つのように考えたはるところがあるように思うのどす。北欧ではお金が幸福を生むのでのうて、お金はヒュッゲを創り出すため。人より貯金があるとかないとか、人の意見や視線を気にしまへん。自分を幸福にするために、最低限だけ働かはるんやそうどす。

社会保障が充実しているさかい、そやけどほんまに自由でよろしいなあ。いま報道番組はどこも同じ情報ばかりで、専門家のコメントも似たり寄ったり。バラエティにしても以前はちょっと過激やなと思う番組もあったんどすけど、最近は視聴者からの批判を恐れて無難に作ったはる、おもしろいことおへんわ。SNSの普及で匿名の誹謗中傷がおおなって、バッシングを受けへんよう可もなく不可もない表現になっているように思うのどす。報道の自由、言論の自由が昔に比べて、とても不自由な国になっていっているように感じるのは私だけやろか。

コラム四条

ウェルビーイング(Well-being)私たちを幸福で健康にするのは、富でも名声でもなく、モーレツに働くことでのうて、良い人間関係につきると思うのどす。それは量とは違う。温かな人間関係を築く上において、自分の意見や立場の異なる人らに、どれだけ理解を示すことができるかどす。昭和は貧しかったけど、もっとみんな温こうて寛容やった。

京野優女(きょうのやしょうめ)

京都漫歩

SNS

●作者プロフィール
辰巳 優(たつみ まさる)

  • 1951年 (昭和26年)京都生まれ
  • 1992年 読売国際漫画大賞優秀賞
  • 1993年 ユーモア広告大賞ビジュアル賞
  • 1994年 飛騨高山漫画フェスタ入賞
  • 1998年 長野五輪四文字熟語漫画最優秀賞
SNS

情報過多のこの時代、
SNSの功罪が問われています。
フェイクニュースに誹謗中傷、
ナントカ詐欺に
イタズラ動画が飛び交います。
上手く使えば便利で快適、
便利の裏に落とし穴。
これぞ地球も呑み込む
ブラックホールと言うべきや。
アインシュタインもペロリと舌を出してます。
どうする、どうする?

チャットGPTに聞いてみましょうか。

四条の道具

豆そのものの味を引き出す焙煎機。
ここだけのコーヒーの楽しさを四条のまちで。

四条の道具

豆の個性を引き出してくれる「熱風低温焙煎機」。
焙煎中は四条通のアーケードにまで香りが広がり、通りを行く人々を誘う。

四条の道具
商品ごとの味をわかりやすく解説した手作りの味覚チャート。
これを参考にメニューを選び、豆を購入することができる。
四条の道具
それぞれの席は適度に距離を保ち、コーヒーを楽しむ時間に浸ることができる。
テーブルにはそれぞれのコーヒーを俳優に例える読み物などユニークなPOPも。

喫茶店文化が盛んな京都には、戦前から続く名店や若者が集まるカフェ、コーヒー豆の卸業者なども数多い。とくに四条界隈は人気店が集中するエリアの一つで、そのなかでも一度聞いたら忘れられない名前をもつのが四条通麩屋町西入ルにある自家焙煎店「生きている珈琲」だ。

コーヒーが“生きている”というのは、豆の細胞を極力壊さないよう、素材そのものを生かしたコーヒーという意味で、味の秘訣は特殊な焙煎方法にある。店舗入口に鎮座する「熱風低温焙煎機」は、豆を直火で焼く一般的な焙煎方法とは異なり、熱風を用いてゆっくり豆を煎る。焼くというよりも“蒸す”のに近く、産地ごとに異なる豆本来の個性が損なわれないため、ここではストレートコーヒーのメニューも多い。

また、焙煎後も味わいが新鮮なまま酸化しにくく、口あたりがさっぱりして胃にもたれないこともあり、何杯でもおいしく楽しむことができる。希少な豆も積極的に取り扱い、それぞれに合う焙煎やブレンドを工夫することで評判を呼び、京都のコーヒー通たちを唸らせてきた。オープンから12年経ったいまでは、ウイスキーの樽で寝かせた豆や、タバコとよくあう「スモーキングブレンド」など、常時20種類を超えるメニューがそろう。古き良き“純喫茶”のような落ち着きと、カウンターや個室風の席、喫煙ルームなど好きなスタイルでコーヒーをじっくり味わいたい人のための空間づくりが徹底され、着実にファンを増やしてきた。

この3年、コロナ禍で多くの飲食店がダメージを受けたが、「うちの場合、開店当初に比べればお客様は多かったぐらいで…」と苦笑いするのは店長の小林弘樹さん。いまでは遠方からわざわざ足を運ぶ人もいるほどだが、オープンしたばかりのころはアピールの方法も手探りで、まさに閑古鳥が鳴いていたという。

小林さんは若いころからあちこちの喫茶店を訪ね歩くのが趣味で、コーヒー好きが高じて店を開くことにしたが、店の経営どころかコーヒーを入れること自体もまったくの素人だった。当時、日本に数台しかなかった前述の焙煎機に惚れ込み、その味をゆっくりと楽しんでもらえるようなスペースを探していたところ、出会ったのが現在の店舗だった。

ビルの地下とはいえ、入口は京都のメインストリートの一つである四条通に面しており、「飲食業の右も左もわからない自分が借りられるとは到底思えませんでしたが、ダメでもともとで」という気持ちで交渉したところ、オーナーから条件が一つ提示されたのだという。

そのビルオーナーというのが、四条で代々呉服商を営んできた「みのや」の前社長・髙橋亮太郎氏。商店街の理事長などを歴任し、四条ならではのまちづくりに奔走してきた髙橋氏から提示されたのは、「ここに来なければ楽しめない、ここだけの味をつくる」ということ。京都の喫茶文化の一端を担うような店になり、それを長く続けていってほしいというのが条件だった。残念ながら開店から3年後に髙橋氏は急逝されたが、「自信が無くなりかけたときには、この約束に背中を押されてここまで来たように思います。少しでもご恩返しになるよう、味への挑戦を続け、この場所を守っていきたい」と小林さんは話してくれた。商う品や取り巻く世情は異なるが、四条商人の心意気はここに受け継がれている。

四条の道具
四条通に面した店舗への入り口。地下から良い香りが漂ってくる。

生きている珈琲

京都市下京区四条通麩屋町西入ル立売東町 みのや四条ビルB1F
TEL.075-255-3039

四条昔語り

このまちにまつわるエピソードを綴る昔語り。まだ人々の記憶のうちに留まっている思い出からまちと人の歩みを語り継ぎます。

毎夜聞こえた拍子木の音と自ら団結し、まちを守った警防団

四条昔語り

昭和11年8月、四条通の萬養軒前にて。伊谷市郎兵衛氏より寄贈された初代救急車。

寄贈された京都第1号の救急車

四条昔語り
昭和16~19年(1941~1944年)ごろの警防団。戦時中は地域の防火、防空の一翼を担い。自治体消防発足後は消防団として新たにスタートした。

今年2月にトルコ南部とシリアで起こったマグニチュード7.8の大地震。被災地では5万6000人が亡くなり、いまも250万にのぼる人々が避難生活を余儀なくされているという。私たちの日本も決して他人事とは言えない、と考えていた矢先の5月、石川県能登半島や千葉県で大きな地震があり、京に住む私もテレビから突如響いた緊急地震速報に肝を冷やした。近く、確実に数十年以内に起こるとされる南海トラフ地震では、津波の高さがいままでとは桁違いの30数メートルに及び、死者は全国で32万人以上になると予測されている。大災害に備える必要性を感じ、私も改めて防災の装備を点検した。

京都は古くから人口が密集する都市ということもあり、ひとたび火災が起これば大きな被害が出た。天明8年(1788年)に起きた京都の歴史上最大の火災「天明の大火」では、いまの川端四条を下ったあたり、南座の南側にあった団栗辻子の民家から早朝に出火したとされている。火は東からの強い風にあおられて鴨川を越え、西や北、南へも拡大して二昼夜に亘り燃え続けたという。鎮火までに北は鞍馬口通から南は七条通、東は鴨川東岸、西は千本通までが焼け、御所や二条城、東西の本願寺をはじめ6万5000世帯が住む家を失ったうえに、商業・産業も大打撃を受けた。

その後も二度の大火に見舞われたことで、洛中の人々の心のなかには防災に対する意識が深く根ざしたのだろう。自治体消防組織が結成される以前から地域消防の活動が盛んで、太平洋戦争中には若者を中心に銃後の守りを兼ねた「警防団」なる組織があった。戦後、私たち四条の子どもたちも少年野球チームを基本とした「少年消防隊」が組まれたと記憶している。

京都市消防局の資料によれば、昭和11年(1936年)8月、四条通のフランス料理店「萬養軒」の初代・伊谷市郎兵衛氏が地域防災に役立ててほしいと、アメリカから救急車を輸入して市に寄贈したことが記録されている。贈られたのはダッジ1935年型といわれる輸入救急車と付属品一式で、これが京都の救急車の第1号になったのだという。記念の写真が残されており、四条通に面した三階建ての古風な建物全面を蔦が覆う姿が懐かしい。いまは四条通麩屋町を離れられ、祇園と髙島屋さんに出店されている。まちを守りたいという思いはまた、まちの人々にも愛され続け、皇室や各国の賓客をもてなした上品な味もそのままだ。


店の奥から響く「火の用心」の声

地域防災といえば、戦前の私が幼いころに父から聞いた話を思い出す。我が家はかつて住まいを兼ねた店舗が四条通沿いにあり、道の拡幅などで幾度が転居している。四条河原町を少し東へ入った南側に店があったころ、三軒東隣に「けん菱」という小さな造り酒屋があった。その家からは毎夜零時近くなると拍子木を打ち鳴らしながら「火の用心、火の用心」という女性の声が聞こえてきたという。

私が父の仕事を手伝うようになった経済成長期のころ、町内会の懇親会の席でこの話の一部始終をお話ししたところ、なんと、毎夜拍子木を打って火の用心に回られていたご本人がその場にいらして驚いた。

その大奥様によると、結婚して家に入った花嫁は、家の女の仕事として店と住まいを夜回りするのだという。時代劇の大名屋敷や大奥などで、燈明をかざしながら火の用心に回るようすなどが描かれているのを観たことがあるが、これと同じことが、京都在住の作家・杉本秀太郎氏の著書『火用心』にも綴られていた。京の旧家では日々当たり前のことであったようだ。杉本氏の奥様は私の同級生で、その次女が料理研究家の杉本節子さん、そして三女の歌子さんがいまも大事に家を守っておられる。平成2年(1990年)には京都市の有形文化財に指定されており、代々受け継いでこられた「火の用心」の声が、まちの財産ともいうべき古い町家をいまに繋いでくださったのだと思うと感慨深い。防災とは一人ひとりの高い意識を縦に横にと連鎖させていくことなのだと改めて考えさせられた。

[文/四条繁栄会商店街振興組合・扇子豊]
写真提供:京都市消防局

  • 四条昔語り
    昭和10年代後半~23年ごろのもの。大丸京都店で実施されていた防火展覧会のハガキ。
  • 四条昔語り
    昭和10年(1935年)、自治体消防発足前の火災予防啓発ビラ。防火宣伝映画の入場券が付けられている。

四条問わず語り

亡き父との「問わず語り」

四条問わず語り
昭和30年、工事中の飯田屋ビル。
四条問わず語り
現在。華やかなテナントさんたちのおかげで夜はキラキラと。

八坂さん御旅所の西側に鎮座する冠者殿社。その西隣りの小さな建物が飯田屋ビルです。何故ここにご縁があったのか、どのような変遷があったのか…。祖父母や父と「問わず語り」をしたくても誰もこの世にはおりません。10年ほど前に父が情報誌「四条Vol.43」に寄稿させていただいた「私の四条通り」や、公的資料、古写真などを元に作成した拙文「京都四条界隈 気まま歩き」から過去を振り返ってみました。

● 古くは祖母の実家が現在地で袴店を営む
● 明治28年 曽祖父が新町六角にて飯田屋糸店を開業
● 明治36年 四条東洞院へ移転
● 大正13年 四条富小路西南角へ移転
      (昭和3年、父はここで誕生しました)
● 戦争末期 一旦廃業
● 終戦直後 現在地に建てた木造家屋にてネクタイ等を販売
※参考資料 明治45年「京都実業界―京都産業人人名録」
      戸籍謄本、過去帳等
四条と共にあった飯田屋の一端です。

四条問わず語り
完成したビルの前で正面を向いているのは祖父。

昭和31年にビルが完成し、地下と2、3、4階は賃貸に、1階は商売と四条が好きな祖母が経営する呉服店が入り、私も大学生の頃から手伝いました。祖母と四条で過ごした15年余りは様々な経験をさせて貰った貴重な年月です。

しかし祖父母の高齢化や後継者問題は避けられず、昭和63年に呉服店は廃業し貸ビル業へ転換。父はこれからの時代、素人によるビル管理は難解と考え、管理会社に依頼することにしました。小規模ながらも組織が整えられ今日に至っています。

『過去は芒洋として静謐である。未来は遠潤であってざわめき、しかも光明が強く期待される。そしてかくいう現在は刻々未来を食い、消化し過去を作る。“時”の神秘は何物にも換え難い』。父が出自を記した「小山家小史」の一節です。混沌とした現代、迷うことも多々ありますがもし父が存命ならこう言うでしょう。「テナントさんはじめ周囲の皆様とのご縁を大切に、そして四条通で難しい時代を乗り越えてきた、先人達の思いを次世代に引き継いで」と。

御旅町 飯田屋 谷口 圭子

ワタシの大切な時間とき

四条問わず語り

私は四条河原町で働く会社員です。

さようなら!コロナ禍の暮らし‼をようやく感じられるようになる今日この頃。最近の四条の街は、笑顔で話す若者たち、おめかしスタイルで話を弾ませ街を歩くご婦人達、そして京都・四条を楽しむ海外の人々の活気で満ちています。

日々時間に追われる中、私には楽しみ、大切な時間があります。それは、四条の街ならではの「空」を見ること。
東山の緑や鴨川のトンビが飛ぶ「ナチュラルな空」。
四条と河原町の交差点から見る「スクエアの空」。
整備されたビルとビルの谷間から見る「扇状の空」。

そこには空の色や雲のカタチで、四季の彩を感じるコトができ、またワタシに、明日への心の糧とキモチを整えてくれます。

例えば春。京都の春の朝、まだまだ気温が低くピーンと張りつめた空気が流れる四条の街。日中の賑わいとは異なり、街並みの間に見える青い空に筆でサッとひいた雲は「今日も一日楽しみなさい!」と後押ししてくれます。また日中は、青い空から街へと眩しい光が差し込み、街の賑わいを一層活気づけます。そして夕方、西山に沈む夕日に、賑わいの街が一遍します。日が沈むと5分後は全然違う表情を見せてくれます。

四条問わず語り

オレンジ色から薄いブルーグレーのはんなりとした空とライトアップした街、通り行く車のネオンがミックスされた幻想的な空。そこには、楽しく街を行き交う人々の風景に癒されるとともに「明日もがんばろう!!」と思うのです。

この風景は、いつの時代にもこの朝空と夕焼けをもたらし、街を活気づけ、楽しむ人々の時間は物語となって、これからも続いていくのだろう~‼と考えると、私は笑顔になります。そんなコトを考えながら四条の街を歩くと一層楽しく、これからも四条の街「空」から、元気をもらい自分の大切な時間を過ごしていきたいです。

イロドリの空

おこしやす 京の歳時記

京都には、長い歴史と文化から育まれた
季節感のある祭が数多くあり行事が営まわれています。
その中から、京都をより知り、味わえるよう
6月から12月までの祭と祭事を選びました。

*日程/場所/最寄り交通機関/問い合わせ
(変更になる場合がございますのでご注意ください)
*予定が変更になる場合がございますので、
必ずお出かけ前にご確認をお願いいたします。
鴨川納涼床
鴨川納涼床

6水無月

鴨川納涼床
~9月30日(期間は店により異なる)/鴨川西岸 二条~五条/
http://www.kyoto-yuka.com/
貴船の川床
~9月30日(期間は店により異なる)/貴船川沿い/
☎075-741-4444(貴船観光会)
宝厳院 春の特別公開
~30日/宝厳院/嵐電(京福電鉄)「嵐山」/
☎075-861-0091
吉田神社 夏越大祓式
30日/吉田神社/京阪電車「出町柳」/
☎075-771-3788
建仁寺塔頭 両足院 初夏の特別公開
~7月10日/建仁寺塔頭 両足院/京阪電車「祇園四条」/
☎075-561-3216
祇園祭
七夕祭

7文月

祇園祭
1日~31日(17日/前祭山鉾巡行、神幸祭、
24日/後祭山鉾巡行、還幸祭ほか)/
☎ 075-213-1717 (京都市観光協会)
上賀茂神社 御戸代会神事
1日/上賀茂神社/市バス「上賀茂神社前」/
☎075-781-0011
白峯神宮 精大明神例祭「七夕祭」
7日/白峯神宮/市バス「堀川今出川」/
☎075-441-3810
安楽寺 鹿ヶ谷カボチャ供養
25日/安楽寺/市バス「錦林車庫前」/
☎075-771-5360
狸谷山不動院 火渡り祭
28日/狸谷山不動院/市バス「一乗寺下り松町」/
☎075-722-0025
愛宕神社 千日詣り
31日~8月1日/愛宕神社/京都バス「清滝」*徒歩約120分/
☎075-861-0658
下鴨神社 夏越神事
下鴨神社 夏越神事

8葉月

醍醐寺 万灯会
5日/醍醐寺/地下鉄「醍醐」/
☎075-571-0002
下鴨神社 夏越神事
7日(立秋前夜)/下鴨神社/市バス「下鴨神社前」/
☎075-781-0010
千本ゑんま堂
お精霊迎え・送り
7日~16日/千本ゑんま堂/市バス「千本鞍馬口」/
☎075-462-3332
大文字送り火
16日 /京都五山/
https://gozan-okuribi.com/(京都五山送り火連合会)
上善寺 小山郷六斎念仏
22日/上善寺/地下鉄「鞍馬口」/
☎075-231-1619

9長月

車折神社 重陽祭
9日/車折神社/嵐電(京福電鉄)「車折神社」/
☎075-861-0039
虚空蔵法輪寺 重陽の節会
9日/虚空蔵法輪寺/阪急電車「嵐山」/
☎075-862-0013
鞍馬寺 義経祭
15日/鞍馬寺/叡山電鉄「鞍馬」/
☎075-741-2003
石清水八幡宮 石清水祭
15日/石清水八幡宮/京阪電車「八幡市」/
☎075-981-3001
神泉苑 観月祭
29日/神泉苑/地下鉄「二条城前」/
☎075-821-1466
時代祭
時代祭

10神無月

安井金比羅宮 秋季金比羅大祭
1日~10日/安井金比羅宮/市バス「東山安井」/
☎075-561-5127
壬生寺 壬生狂言
7日~9日/壬生寺/市バス「壬生寺道」/
☎075-841-3381
上賀茂神社 笠懸神事(流鏑馬神事)
15日/上賀茂神社/市バス「上賀茂神社前」/
☎075-781-0011
時代祭
22日/京都御所~平安神宮/
☎075-213-1717(京都市観光協会)
鞍馬の火祭
22日/由岐神社/叡山電鉄「鞍馬」/
☎075-741-4511
(鞍馬の火祭テレフォンサービス 9月1日~10月末日)

11霜月

護王神社 亥子祭
1日/護王神社/地下鉄「丸太町」/
☎075-441-5458
狸谷山不動尊 秋の祈願祭
3日/狸谷山不動院/市バス「一乗寺下り松町」/
☎075-722-0025
伏見稲荷大社 火焚祭
8日/伏見稲荷大社/京阪電車「伏見稲荷」/
☎075- 641-7331
正覚庵 筆供養
23日/東福寺 塔頭正覚庵/京阪電車「東福寺」/
☎075-561-8095

12師走

北野天満宮 献茶祭
1日/北野天満宮/市バス「北野天満宮前」/
☎075-461-0005
千本釈迦堂 成道会法要と大根炊き
7日・8日/千本釈迦堂/市バス「上七軒」/
☎075-461-5973
六波羅蜜寺 空也踊躍念仏/かくれ念仏
13日~31日/六波羅蜜寺/市バス「清水道」/
☎075-561-6980
山科義士まつり
14日/毘沙門堂~岩屋寺~大石神社/
☎075-592-3088(山科義士まつり実行委員会)

ART

場所/日程/休館日/料金
*都合により変更になる場合がございます。悪しからずご了承ください。
*各催事について事前に新型コロナウイルス感染症の
  感染予防・拡大防止の観点からの注意事項や来館方法を
  お電話やホームページでご確認をお願いいたします。

髙島屋京都店 グランドホール(7階)
☎075-221-8811

第41回京都新聞チャリティー美術作品展
8月16日(水)~21日(月)/10時~19時*最終日は16時閉場
(いずれも入場は閉場の30分前まで)/無料
第45回圓照寺門跡 山村御流いけばな展
8月24日(木)~29日(火)*前期展24日(木)~26日(土)、
後期展27日(日)~29日(火)/10時~19時*26日(土)は16時閉場、最終日は17時閉場
(いずれも入場は閉場の30分前まで)/無料

京都国立近代美術館
☎075-761-4111

開館60周年記念 Re: スタートライン 1963-1970/2023
現代美術の動向展シリーズにみる美術館とアーティストの共感関係
~7月2日(日)/10時~18時、金曜は20時まで開館(いずれも入館は閉館の30分前まで)/
月曜休館/一般1200円他
開館60周年記念 走泥社再考―前衛陶芸が生まれた時代
7月19日(水)~9月24日(日)/10時~18時、金曜は20時まで開館(いずれも入館は閉館の30分前まで)/
月曜休館(ただし、8月14日(月)、9月18日(月・祝)は開館)/一般1700円他
開館60周年記念 京都画壇の青春―栖鳳、松園につづく新世代たち
10月13日(金)~12月10日(日)/10時~18時、金曜は20時まで開館(いずれも入館は閉館の30分前まで)/
月曜休館/観覧料は未定

京都国立博物館
☎075-525-2473(テレホンサービス)

特集展示 新収品展
~7月17日(月・祝)/9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)/
月曜休館(ただし、7月17日(月・祝)は開館)/一般700円他
特集展示 茶の湯の道具 茶碗
~9月10日(日)/9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)/
月曜休館(ただし、7月17日(月・祝)は開館、翌18日(火)休館)/
一般700円他
特集展示 日中 書の名品
8月8日(火)~9月18日(月・祝)/9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)/
月曜休館(ただし、9月18日(月・祝)は開館)/一般700円他
特別展 東福寺
10月7日(土)~12月3日(日)/9:00~17:30(入館は閉館の30分前まで)/
月曜休館(ただし、10月9日(月・祝)は開館、翌10日(火)休館)/
一般1800円他

コラム〜歌舞伎のまち・四条

『清正誠忠録』

『清正誠忠録』
一年を通して多くの観光客が訪れる二条城。写真は堀川通に面した東南隅櫓。
南座公演ラインナップ

●お問い合わせ/京都・南座
TEL.075-561-1155
●一般電話予約/チケットホン松竹
TEL.0570-000-489(ナビダイヤル)
またはTEL.06-6530-0333

ナビダイヤルは一部交換機種などの設定によってはかかりません。
(受付時間/10:00〜17:00)
※この情報は2023年5月25日現在のものです。変更になる場合があることをご了承ください。

通称『毒饅頭の清正』とも呼ばれるこの演目は、三世河竹新七作で明治8年(1875年)の初演です。

関ケ原の戦いに勝って征夷大将軍から大御所となった徳川家康と、豊臣秀吉の跡を継いだ秀頼は、慶長16年(1611年)に二条城で対面します。そこに立ち会った秀吉子飼いの家臣・加藤清正が対面後まもなく亡くなっており、清正の死は二条城で毒饅頭を食らわせられたことが原因だという俗説がまことしやかに伝わっていました。それをもとに脚色されたのがこの作品です。

二条城の場では、豊臣家を潰さんと目論む家康側によって、対面の席に毒を盛った饅頭が出されます。このとき、清正ら一行に見破られぬよう、家康の家臣が自ら犠牲となって毒見をしたのです。清正はその忠心に感じ入り、毒入りと知りながらあえて饅頭を口にします。余命いくばくもない清正は、大坂城で秀頼や淀君に別れを告げ、領地の肥後に戻ろうとしますが、徳川方が押し寄せると聞いて京へ引き返し、事件を治めます。そして清正は移り行く時代を嘆きつつ、竹田街道を去っていったのでした。

明治8年の初演の際は、徳川の世の名残りが色濃い時代ということもあってか、近江源氏に舞台を替えて上演されましたが、明治中期の再演からは実名に改められるようになったと言われています。

また昭和の名優・初代中村吉右衛門(1886~1954年)は「清正俳優」と呼ばれるほど加藤清正の役を得意としており、彼のために作られたのが吉田絃二郎作『二条城の清正』。昭和8年(1933年)に初演されたこの作品に毒饅頭は登場しませんが、迫りくる死期を覚悟しながら身をもって秀頼を守ろうとする清正の胆力が役者の腕の見せどころ。吉右衛門の俳名にちなんで得意芸を集めた「秀山十種」には、『清正誠忠禄』とともに選出されています。

新会員店紹介

四条の新しい顔。
加盟店が続々!

Ben's Cookies
京都四条店(菓子製造販売)
四条通木屋町西入ル北側
おにまる
京都四条河原町店
(おにぎり・惣菜・豚汁)
四条通新京極東入ル北側
☎(075)746-6777
カモセ珈琲直売所
(ドリンク・珈琲豆販売)
四条通新京極東入ル北側
ブランド品買取専門店
ブランドハンズ河原町店
(ブランド品買取)
四条通河原町西入ル南側
☎(075)708-7028
DIFFERENCE
京都四条寺町店(衣料品)
四条通御幸町東入ル北側
☎(075)606-5666
大和証券京都ビル
(不動産業)
四条通麩屋町西入ル北側
☎(03)5555-4710
ウブロ京都ブティック
(時計販売)
四条通堺町西入ル南側
☎(075)212-2155
大晋ビル(不動産賃貸業)
四条通高倉西入ル南側
☎(075)823-4108
幅田ビル(貸ビル)
四条通東洞院東入ル南側
☎(075)257-7890

懐かしの四条

四条のまちの、いま昔。セピア色の懐かしい写真で綴る思い出ミュージアム。

かつて鴨川を彩った
川面を染める色鮮やかな友禅

懐かしの四条
毎年8月に開催される「鴨川納涼」での「友禅流しファンタジー」。
(提供/鴨川納涼実行委員会)
懐かしの四条
鴨川を美しくする会によって開催された昭和45年(1970年)第2回鴨川納涼のようす。
(提供/鴨川納涼実行委員会)
「鴨川納涼2023」
日時8月5日(土)・6日(日) 午後5時~9時
会場三条大橋から四条大橋までの鴨川右岸河川敷
入場・観覧無料
主催鴨川納涼実行委員会

友禅流しファンタジー(協力:京都染織青年団体協議会)
◇8月5日(土)・6日(日)各日2回実演

問い合わせ/事務局:公益社団法人京都府観光連盟
電話:075-411-9990

川の流れにたなびく色とりどりの錦。腰近くまで水につかって布を投げ、引き寄せては反物を押し洗う職人たちの姿は、かつて鴨川の日常の風景の一つでした。「着倒れのまち」と呼ばれ、和装産業の中心地である京都では、高度経済成長期のころまで市内のさまざまな河川で「友禅流し」を見ることができました。

友禅染めでは布に染料を定着させるために糊が用いられ、反物に付いた糊や余分な染料を洗い落とす工程が友禅流しです。『京都近代染織技術発達史』によれば、古くから堀川やその東側に流れていた西洞院川などで「水洗」が行われていましたが、次第に水質が悪くなり布地の白い部分が汚れてしまうため、鴨川でも水洗いするようになったと記されています。鴨川で友禅流しが始まったのは、おそらく明治35年(1902年)ごろとか。また『近代友禅史』には、鴨川の水は水洗に最適とされ、明治末期には出町・荒神口・丸太町付近から下流は三条あたりまで水洗の作業が許可されていたとあります。

その後、戦前戦後を通して鴨川での友禅流しは続けられていましたが、河川の水質汚染が懸念されるようになり、昭和46年(1971年)に水質汚濁防止法が施行。反物の水洗は工場内の人工川などで行われるようになり、友禅流しは京のまちから姿を消したのでした。

また同じころ、鴨川で大きな問題となっていたのがゴミの不法投棄でした。いまは鴨川といえば美しい景観で知られていますが、高度経済成長期には工場排水などで水は汚れ、河川敷にはごみが散乱。夜の闇に紛れて橋の上から古くなった家財を投げ捨てる者まであったほどでした。そんななか、昭和39年(1964年)に流域の住民たちが立ち上がり、ボランティア団体「鴨川を美しくする会」が結成されます。地道な清掃活動が続けられるなかで、より多くの人に鴨川に親しんでもらい、河川美化の大切さを訴えようと「第1回鴨川納涼」が昭和44年(1969年)に始まりました。以降、毎年8月恒例の催しとなり、いまも鴨川納涼実行委員会が運営を引き継ぎ続けられています。

とくに昭和56年(1981年)からは京都染織青年団体協議会によって友禅流しのデモンストレーションが行われるようになりました。夕闇迫るなか見事な手さばきで披露される「友禅流しファンタジー」は催しの見どころの一つ。再現される懐かしい風景のなかには、受け継がれる伝統の技と、まちを愛し守り続ける人々の思いが映し出されているかのようです。

四条おもてなし百彩

御旅町(おたびちょう)

八坂神社の四条御旅所があることにちなんだ地名。豊臣秀吉によって寺町通にたくさんの社寺が集められたこともあり、一帯には古くから店がたち並び、おおいに栄えてきた。交通の要衝でもあり、買い物客、観光客で常ににぎわっている。

四条おもてなし百彩 四条おもてなし百彩

お手入れからメイクまで
お肌の悩みのアドバイザー

戦前に四条河原町角で化粧品専門店として創業し、2021年に寺町通四条に「cosmetics池善」として移転オープン。各種大手メーカーのコスメのほか、とくに根強く支持されているのが傷やアザに対応したカバーメイクです。女性・男性問わず相談に訪れ、「じっくりお悩みに耳を傾けて解決方法を探します。足取り軽くお帰りになるようすや御礼のお手紙をいただいたときには、この商売をしていて本当によかった!と思います」と店主の井上さん。店はコンパクトながら2階にお手入れなどの施術室もあり、気軽にカウンセリングを受けられます。

cosmetics池善
相談にも気軽に対応してくれる。

cosmetics池善

京都市下京区寺町通四条下ル貞安前之町609
TEL.075-343-2323
【営業時間】10:30~19:30 第3水曜定休
【URL】http://ikezen.cosmestore.jp

生地や染めからこだわった
人気のインナーブランド

1986年創業のインナーブランド「Risa Magli(リサマリ)」は、上品なコンテンポラリーをベースにしながら、適度にトレンドを取り入れ、可愛らしさと女性らしさを表現したランジェリーが人気。海外などから最新の素材を直接買い付けし、オリジナルのレースやプリントを作り上げるために自社の染色工場をもってブランドならではのカラーを表現しています。京都四条の店舗は四条通沿いの路面店ということもあり、幅広い年齢層の人が訪れ、とくに5~60代の大人の女性が多いのも特徴とか。ほかにないデザインで見えないおしゃれを楽しんでみてはいかがでしょう。

京都四条 Risa Magli
藤井大丸の東向かい、四条通寺町東南角にある店舗。

京都四条 Risa Magli

京都市下京区四条通寺町角貞安前之町609
TEL.075-231-3318
【営業時間】11:00~20:00
【URL】https://store.world.co.jp/s/brand/risa-magli

京の目利きに応える
ヴィンテージの逸品を

世界中から集めたヴィンテージのブランドバッグやアクセサリーを取り扱う「DÉCOUVERTE(デクーヴェルト)」。そのコンセプトは、古きよきモノとの暮らしを大切にする京都のまちにマッチし、2018年のオープン以来ファンを増やしています。なかでも、いまのトレンドと一線を画すような個性的で味のあるデザインのアイテムは入荷後すぐに買い求められ、やはり京都は目の利くお客様が多い印象とか。長く使い続けることができ、子や孫へも引き継げるような品が揃うことから、母と娘、親子二代で訪れる人もあります。

DÉCOUVERTE京都店
国内外から掘り起こされた品とは、まさに一期一会。

DÉCOUVERTE京都店

京都市下京区四条通寺町東入ル貞安前之町609
飯田屋ビル1F
TEL.075-275-4069
【営業時間】平日11:00~20:00 土日祝~19:00
【URL】https://decouverte.baycrews.co.jp

プライバシーに配慮した
査定ブースで高価買取

京都市内に12店舗の拠点をもつチケット&ブランドの専門店「TOKAI」。京都のまちで30年以上にわたって信頼を積み上げ、年間15万件もの買取実績を誇ります。使わなくなった貴金属やクローゼットで眠っているブランド品をはじめ、金・プラチナやブランド時計、骨董品や高級酒、カメラ、記念硬貨、金券、コスメや着物、工具類など、買取対象商品も幅広く、一度利用すればその後もたびたび相談に訪れる人も多いとか。プライバシーに配慮した個室タイプの査定ブースを完備し、人目を気にせず利用できます。

買取専門店TOKAI四条河原町店
人目を気にせずにゆったりと査定してもらえる。

買取専門店TOKAI四条河原町店

京都市下京区貞安前之町610-4-2
TEL.075-255-1300
【営業時間】10:30~19:00
【URL】https://www.tokai-kaitori.com

格安チケットが勢揃い
賢く買ってお得に買い物を

四条河原町交差点より西へ100m。四条通沿いの南側に店舗を構える「チケットショップTOKAI四条河原町店」。多種多様な商品券や株主優待券、郵便商品、交通系プリペードカード、レジャー券などを幅広く扱い、いつも途切れることなく多くの人が訪れています。交通至便な土地柄もあり、お出かけ前に電車・バスのチケットを買ったり、買い物前に百貨店券や優待券などを購入する人も多いとか。外貨両替も行っており、不要な商品券、株主優待券などを買い取ってもらうこともできます。

チケットショップTOKAI四条河原町店
扉のないオープンな店構えで気軽に立ち寄れる。

チケットショップTOKAI四条河原町店

京都市下京区貞安前之町610-4-1 トーカイ四条ビル1F
TEL.075-213-4884
【営業時間】10:00~19:30
【URL】https://www.tokai-kaitori.com

いつもできたてのおいしさ
新たにカフェメニューも充実

京都随一の中心地にあって24時間途切れることなく、できたてのおいしさを楽しませてくれる「マクドナルド四条河原町店」。1991年のオープンから30年以上にわたり、まさにまちのオアシスとして親しまれています。おなじみのバーガー類で食事を楽しめるのはもちろん、ちょっとした休憩にマックフライポテト®とドリンクなど、さまざまなスタイルで立ち寄れるほか、このたび「毎日に、ちょっとの贅沢を。」というコンセプトのもと、スムージーやフラッペ、マカロンなどの「MacCafé」メニューを新たに販売。さらに楽しさが広がっています。

マクドナルド四条河原町店
にぎわう繁華街のなか、店内は266席と広々。

マクドナルド四条河原町店

京都市下京区四条通寺町東入ル貞安前之町610-5
TEL.075-257-3305
【営業時間】24時間
【URL】https://www.mcdonalds.co.jp

誠心誠意のお手伝い
ブランド買取専門店

京阪神を拠点に高級ブランド品・宝飾品の買取専門店を展開する「ブランドハンズ」。経験や商品知識の豊富な鑑定士が売れ筋アイテムについて常に情報を更新し、また、商品の状態や修復が可能かどうかなどについても熟知していることで、どんな状態の商品でも適正な買取価格を提示してくれます。納得できる査定が評判を呼び、顧客のリピート率も85%以上とか。「地域に根ざして10余年、お客様の大切なお品物にベストな選択ができますよう、誠心誠意お手伝いさせていただいています」と京都四条河原町店の田北店長。鑑定もスピーディーで、気軽に足を運んでみてください。

ブランドハンズ京都四条河原町店
四条河原町すぐ。交通至便で気軽に立ち寄れる。

ブランドハンズ京都四条河原町店

京都市下京区貞安前之町610-4
TEL.075-708-7028 【営業時間】11:00~20:00 無休
【URL】https://brand-hands.co.jp

まちとともに80年
御旅町の歴史を守って

戦後間もないころに洋品店として創業し、四条通や新京極、京都駅地下街などで婦人服専門店を展開してきた「株式会社イシズミ」。長年にわたり京都のまちのファッションを牽引し、幅広い世代に親しまれてきました。約10年前には販売事業からテナント運営に事業を切り替え、四条通に面した御旅店では現在テナントとしてブランドハンズ京都四条河原町店が営業中です。

80年近くに亘り、四条御旅所そばで商いを続けるなか、毎年10月20日に冠者殿社で行われる「誓文払」にも長く携わってきました。バーゲンセールの走りといわれるこの催しの伝統は、いまも大福引大会のかたちでまちに受け継がれています。

株式会社イシズミ
イシズミ御旅店では「ブランドハンズ」が営業中。

株式会社イシズミ

京都市中京区新京極通四条上ル中之町563
TEL.075-223-0512

ベーシックなアイテムを
高いファッション感度で提案

6年前、「藤井大丸御旅店」にオープンした「JOURNAL STANDARD(ジャーナルスタンダード)京都店」。1階にメンズ、2階にレディースを配した店内には、オリジナルブランドと国内外から集めたベーシックでスタンダードなアイテムに、旬ブランドをミックスした独自のセレクト商品が並びます。カテゴリーにとらわれないラインナップと新たな情報を常に提案しており、学生から年配の方までファッションに敏感な人々が通います。またスタッフのファッション感度の高さにも定評があり、その私物をリユース品として集めた「サーキュラブルサプライ」を3階に展開。こちらも口コミで人気が広がっています。

JOURNAL STANDARD京都店
藤井大丸の路面店で3フロアにわたり展開。

JOURNAL STANDARD京都店

京都市下京区四条通河原町西入ル御旅町21
藤井大丸御旅店1~3F
TEL.075-211-0135(レディース)
075-211-0132(メンズ)
【営業時間】10:30~20:00
【URL】https://www.fujiidaimaru.co.jp

インフォメーション四条

インフォメーション四条

情報誌「四条」次号発刊について

次号の発行時期につきましては、決まり次第、四条繁栄会のホームページでお知らせいたします。

四条の置いている場所2023年5月現在

四条通で楽しいお買い物 烏丸〜御幸町

烏丸〜御幸町
烏丸〜御幸町
烏丸〜御幸町
烏丸〜御幸町
烏丸〜御幸町

四条の置いている場所2023年5月現在

四条通で楽しいお買い物 御幸町〜先斗町

御幸町〜先斗町
御幸町〜先斗町
御幸町〜先斗町
御幸町〜先斗町
御幸町〜先斗町

編集後記

情報誌「四条」vol.60をお読みいただき、誠にありがとうございます。
5月には新型コロナの分類がようやく引き下げられ、京都でも、久方ぶりに様々な行事が再開されるとともに、「ひと」が「まち」に戻ってくることで活気をとりもどしています。地元の方々はもちろん、修学旅行生も多くみられるようになり、特に海外からの来訪者は、新型コロナ前にはこんなにも京都を訪れていたのかと思うくらいです。
また、7月には、本号の表紙でもあります祇園祭が斎行されます。そろそろ「コンチキチン」の音色が各鉾町から聴こえてくるのではないでしょうか。やはり京都ではこの音色を聴かないと夏を迎えた気になりません。祇園祭の主たる行事でもある神幸祭、還幸祭では、宵山や山鉾巡行だけでなく、神輿渡御が斎行されます。是非、四条寺町にあります八坂神社の御旅所にも足を運んでいただき、「ほいっと、ほいっと」の掛け声とともに勇壮なお神輿の差し上げを楽しんでいただければと思います。
四条という場所は、京都の商業の中心地でありながらも、先祖代々「ひと」が「まち」の記憶とともに今に受け継いでいることが魅力のひとつとして挙げられるのではないかと思います。本号でも掲載があります様に、情報誌「四条」では、現在の姿だけでなく、これまでの歴史も、生の声として発信しています。是非、今後も情報誌「四条」をお手にとって、京都散策のお供にしていただければ幸いです。

K.H記

ページトップへ