四条への手紙

八坂神社宮司に
就任して

八坂神社 宮司野村 明義

PROFILEプロフィール

野村 明義(のむら あきよし)
八坂神社 宮司 野村 明義

昭和34年(1959年)石川県出身。同56年(1981年)皇學館大学文学部神道学科卒業後、乃木神社へ奉職。同57年(1982年)同神社権禰宜。平成5年(1993年)八坂神社へ転任、同14年(2002年)同財務部長就任、同17年(2005年)同神社禰宜。同28年(2016年)神社本庁教誨師就任。令和3年(2021年)10月1日付で八坂神社宮司就任。

この度令和3年(2021年)10月1日を以て宮司に就任致しました。明治時代に社家制度が廃止され、遡る事22代目の宮司となります。またコロナ禍での就任となり、祭典行事の縮小等思うようなご奉仕が叶わない中ではありますが、このタイミングでの就任を使命とし更なる御神徳の宣揚に努める所存であります。
さて四条繁栄会商店街振興組合の皆様におかれましては、当社の氏子として特に八坂神社参道商店街として神社の神事・行事に常日頃からご助力を賜っておりますこと感謝申し上げます。祇園祭では神輿が渡御する四条御旅所も皆様とは所縁深き場所でもあります。本年は3年ぶりに神輿が御旅所へ渡御する予定となっており、是非とも神輿が奉安される7月17日~24日の間、四条御旅所までお参りにお越しいただければと存じます。
また令和2年(2020年)12月23日、本殿が国宝、境内・境外摂末社、建造物26棟が重要文化財に追加指定され、四条御旅所につきましても東西両社殿とも重要文化財に指定されました。この貴重な国の宝を漏れなく継承し、その価値を高めていきたいと思う所存であります。その慶事に伴うお祝いの行事を予定しておりましたがコロナ禍により延期を余儀なくされております。本年の秋ごろには賑々しく執り行う予定ですので八坂神社まで足をお運びいただければと思います。
結びに我々は「蘇民将来の子孫」として、身心共に日々無病息災でお過ごしになられますことを祈念申し上げご挨拶と致します。

特集グラビア 京と鎌倉-武士たちのたどった道-

平安から鎌倉へ―。
それは公家から武家の世へ移り変わる
日本の歴史の大転換期でした。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で
注目を集めるこの時代、
京の都はまさに激動のときを迎えていました。
まちに残る史跡や宝物を訪ね、
いまも伝わる数々の物語から
武士たち、そして殿上人たちの
熱い思いと息吹をたどります。

頼朝と義経

鎌倉幕府の初代将軍となり、
武士が治める世を築いた源頼朝と
兄の命を受け、平家打倒に
獅子奮迅の働きをした弟・義経。
兄弟の命運はやがて悲劇を迎えますが
二人の足跡はさまざまな伝説とともに
京のまちに残されています。

「判官贔屓」という言葉があるように、源九郎判官義経といえば平家打倒に活躍しながらも兄・頼朝に追われ、若くしてその命を散らせたことで悲劇のヒーローとして長く日本人に愛されてきました。物語や歌舞伎などの舞台でも人気が高く、天狗に兵法を学んだといわれる「鞍馬山」や、武蔵坊弁慶と出会った「五条大橋」など京都にもゆかりの地が数多くあります。
一方、頼朝は源平合戦において上洛することはありませんでしたが、もとは都で朝廷に仕えていました。源氏累代の館は六条堀川あたりにあり、父・義朝の三男として生まれましたが、母が正室であったことから若くして二条天皇の蔵人に任ぜられ、のちに従五位下右兵衛権佐となって「佐殿」と呼ばれるようになります。
しかし、父が平治の乱でライバルである平清盛との合戦に敗れると、敗走ののちに父は打ち取られ、嫡男の頼朝は捕らえられて京へ連行されます。斬首に処されようというそのとき、助命を願い出たのは清盛の義母。六波羅の池殿に住まうことから池禅尼と呼ばれたこの女性の口添えによって頼朝は死を免れ伊豆に配流となります。このとき頼朝を生かしたことが、のちの平家滅亡につながっていったのでした。
イメージ
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将軍塚

将軍塚

国家の大事が起こるときには、その前触れとして鳴動するといわれる将軍塚。『源平盛衰記』によると源頼朝挙兵の前年、治承3年(1179年)7月には3度にわたって地鳴りが起こったといわれる。四条通の真上に位置する高台にあり、京都盆地を見下ろす大舞台からの眺望は圧巻。

  • 青蓮院門跡 将軍塚青龍殿/京都市山科区厨子奥花鳥町28
  • 電話/075-771-0390
  • 拝観/青龍殿・大舞台[500円] 9:00~17:00(受付16:30まで)
  • 交通/土日祝・大型連休・紅葉シーズンは
    三条京阪・四条京阪より循環バスあり
五条大橋

五条大橋

四条大橋から南へ二つ目の橋。乱暴者の武蔵坊弁慶がここで牛若丸こと後の義経から刀を奪おうとしたところ、返り討ちにされ、牛若丸の家来になったという伝説はとくに有名。ただし当時の五条大路は現在の松原通にあたるため、二人が出会ったのは一つ上流の松原橋だったと思われる。また松原通西洞院の五條天神宮や清水寺だったという説もある。

  • 京都市下京区河原町通五条東入ル
  • 交通/京阪電車「清水五条」下車すぐ
北野天満宮

北野天満宮

菅原道真を祀り、学問の神様として広く信仰を集めている。国宝など史跡が多く、頼朝が父から授けられたと伝わる名刀「鬼切丸」を所蔵。写真は重要文化財の三光門。

  • 京都市上京区馬喰町
  • 電話/075-461-0005
  • 拝観/6:30~17:00 境内自由
  • 交通/市バス「北野天満宮」下車すぐ
大覚寺

大覚寺

嵯峨野の風光明媚な地にあり、代々天皇や皇族が住持を務めた門跡寺院。義経が所持していたといわれる名刀「薄緑」を所蔵している。写真は大沢池のほとりに立つ五大堂。

  • 京都市右京区嵯峨大沢町4
  • 電話/075-871-0071
  • 拝観/9:00~17:00(受付16:30まで)
    [お堂エリア500円・大沢池エリア300円]
  • 交通/市バス「大覚寺」下車すぐ
「永遠に継ぐ 源氏の重宝」展

「永遠に継ぐ 源氏の重宝」展

平安中期の武将・源満仲によって兄弟刀として鍛えられた「鬼切丸」(別名髭切)と「薄緑」(別名膝丸)。のちに源氏の棟梁となった頼朝に鬼切丸が与えられ、薄緑は義経が所持したと伝わる。現在この二振を所蔵する北野天満宮・大覚寺の両社寺でこの夏、同時公開が予定されている。

  • 会期/2022年7月9日(土)~9月12日(月)
  • 会場・時間/北野天満宮宝物殿 9:00~16:30(受付16:00)
    大覚寺霊宝館 9:15~16:45(受付16:15)
  • 拝観料/1000円(大覚寺はお堂エリア参拝料含む)

祇園祭と源氏

七月の一カ月間にわたって
神事が行われる祇園祭。
そのハイライトの一つ、山鉾巡行は
「動く美術館」とも呼ばれ
古今東西の一流のアートが
競うように飾られています。
源平合戦に題を取ったものもあり
今年はとくに
注目したいところです。

長刀鉾を先頭に
四条通を巡行する前祭の山鉾
(提供:公益財団法人祇園祭山鉾連合会)
長刀鉾の鉾頭。大長刀の下に見える天王台に「和泉小次郎親衡」の天王人形が祀られている
長刀鉾の鉾頭。大長刀の下に見える天王台に「和泉小次郎親衡」の天王人形が祀られている。
橋弁慶山の御神体の弁慶・牛若丸像

▲橋弁慶山の御神体の弁慶・牛若丸像。宵山では通りからも見えるように会所二階に飾られている。(提供:公益財団法人祇園祭山鉾連合会)

橋弁慶山

【橋弁慶山】五条の橋での牛若丸と弁慶の出会いの場が描かれている。

鉾頭に疫病を祓う大長刀を付け、古来「くじ取らず」として前祭の先頭を務める「長刀鉾」。天高く伸びる真木の上方には天王台が設けられており、長刀鉾ではここに「和泉小次郎親衡」の像が天王人形として祀られています。通称・泉小次郎と呼ばれたこの人物は鎌倉初期の武将で、鎌倉幕府の御家人の一人でした。大河ドラマの主人公である北条義時を打倒しようと挙兵し、その奮闘ぶりは大力の士として後世にさまざまな伝説を生みました。この泉小次郎が長刀鉾の大長刀を懇望して一時愛用していたとされ、何かと不思議なことが起こったため、神仏を私する非道を悟って返納したと伝えられています。長刀鉾の天王人形では、片手に大長刀を持ち、もう片方の肩に小舟を担いだ姿が描かれています。
後祭の先頭を行く、くじ取らずの「橋弁慶山」はその名の通り、謡曲『橋弁慶』に題材を取っています。牛若丸が橋の擬宝珠に高下駄で飛び乗るようすは躍動感にあふれ、弁慶・牛若丸の二体の御神体は永禄6年(1563年)の作と伝わっています。
そして、人の頭に手をつき、ひらりと宙を舞うまさにその瞬間をとらえたのが「浄妙山」。『平家物語』の宇治川先陣争いで、筒井浄妙の頭上を一来法師が飛び越え一番乗りを競う姿が描かれています。この合戦の勝者は平家でしたが、源氏興隆のきっかけとなったことから「勝運の山」とされています。

2022年「祇園祭 山鉾巡行」

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、中止が続いた山鉾巡行。
3年ぶりに行われることが決まった2022年は、
約200年ぶりに後祭の巡行に復帰する鷹山が大きな話題を呼んでいる。

山鉾巡行/[前祭]7月17日(日) [後祭]7月24日(日)
浄妙山
【浄妙山】題となっているのは、源氏興隆の端緒となった宇治川先陣争いの場面。

承久の乱と京

建久3年(1192年)
源頼朝は、13歳の後鳥羽天皇から
征夷大将軍に任ぜられ
鎌倉幕府が開かれました。
政治の実権が東国へ移るなか
天皇親政を望んだ後鳥羽上皇は、
承久3年(1221年)5月
北条義時追討の兵を挙げます。
しかし、絶対的権威であるはずの
院宣を前に、鎌倉武士たちは
屈しなかったのでした。

承久の挙兵の際、西国の武士を集める口実となった「城南流鏑馬」。現在は数年ごとに行われている。
城南宮

城南宮

平安遷都の際に王城の南に国の守護として祀られ、古くから方除・厄除の大社として信仰されている。白川上皇以降、院政が行われた鳥羽離宮の中心に位置する。承久の乱によって途絶えた城南流鏑馬は、平成の代に再興された。

  • 京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
  • 電話/075-623-0846
  • 拝観/境内自由 神苑800円
  • 交通/地下鉄「竹田駅」徒歩約15分
宇治橋

宇治橋

日本三古橋の一つ。交通の要衝であることからしばしば戦場となり、治承4年(1180年)以仁王の乱や寿永3年(1184年)木曽義仲の討伐、承久の乱の宇治橋の合戦など源氏にかかわるものもよく知られる。

  • 京都市宇治東内
  • 交通/京阪電車「宇治駅」
    徒歩約3分
六波羅蜜寺

六波羅蜜寺

平安時代に平家の邸宅があった地で、宝物館に平清盛坐像や空也上人立像が安置されていることでも知られる。境内には鎌倉幕府の六波羅探題があったことを示す石碑も立てられている。

  • 京都市東山区轆轤町81-1
  • 電話/075-561-6980
  • 拝観/境内自由
  • 交通/市バス「清水道」徒歩約5分
大原陵・法華堂

大原陵・法華堂

後鳥羽天皇、順徳天皇の御陵。大原三千院の北隣に後鳥羽天皇の陵である十三重塔と順徳天皇の円丘の2陵が並んでおり、そばには法華堂が静かにたたずんでいる。

  • 京都市左京区大原勝林院町
  • 交通/京都バス「大原」徒歩約10分

頼朝の死後、三代で源氏の主流が絶え、頼朝の妻である北条政子とその弟・義時らの北条家が幕府を統括するようになります。都では源平争乱中に即位した後鳥羽上皇が権力を手にしますが、荘園の運営問題などで幕府に実権を握られ、不満を募らせていました。後鳥羽上皇は歴代天皇のなかでもとくに文武に優れた人物だったといわれ、それがゆえに天皇親政を望むようになっていきます。
白河上皇が造営し、院政の中心になっていた鳥羽離宮。その鎮守社でもある城南宮では毎年の祭礼で競馬や流鏑馬が催されます。承久3年(1221年)、後鳥羽上皇はそれを口実に武者揃えと称して武士たちを集め、鎌倉幕府打倒の兵を挙げました。
上皇は幕府執権・北条義時追討の院宣を発しますが、東国の武士たちは「一所懸命」と命懸けで守ってきた土地を奪われまいとして決起。都に攻め入り承久の乱となります。宇治川を渡って都を制圧し、ひと月足らずで朝廷側は敗北しました。後鳥羽、順徳、土御門の三上皇は配流され、武力を失い、朝廷側についた者の領地も没収されて鎌倉幕府の権威と財力をより強固にする結果となったのでした。幕府の京での出先機関として六波羅探題を置きました。後鳥羽上皇は配流先で生涯を終えますが、遺骨は京都に遷され大原の御陵に埋葬されています。

四条・五条界隈のゆかりの地

源氏ゆかりの地はまだまだ
数え切れないほど京都に伝わっています。
古くから多くの人が集まる四条界隈も
その足跡がいくつも残るまち。
数々の言い伝えを手掛かりに
武者たちの面影を探してみませんか。

冠者殿社

冠者殿社

八坂神社の境外社の一つで四条御旅所にある冠者殿社は、素戔嗚尊の荒魂が祭神。素戔嗚尊が姉である天照大神に身の潔白を誓ったという神話にちなみ、誓文(契約書)の神として商売人から信仰を集めている。ここにもう一柱、祀られているのではないかと、地域の人々の間に伝わっているのが土佐坊正尊。頼朝から義経討伐の命を受け、表向きは熊野詣として上洛し「討手ではない」と誓文を書いた。しかしそれを破って義経を急襲・捕獲する話は能の『正尊』にも描かれている。冠者殿社の祭礼日である10月20日は、一年の嘘偽りを詫びる「誓文払」の日とされ、いつしか商人たちが日ごろの駆け引きを払って売り出しをする日となっていった。大正のころには全国に先駆けた商店街挙げてのバーゲンセールが開催されるようになり、現在でも大福引大会が続けられている。

  • 京都市下京区四条通寺町東入ル貞安前之町
  • 参拝/自由
  • 交通/市バス「四条河原町」徒歩約3分
五條天神宮

五條天神宮

平安遷都の際に、弘法大使が大和から天神を勧請したのが始まりとされる古社。農耕・医薬・まじないの神として崇敬を集め、節分祭では日本最古の木版刷りの宝船が授与されることで知られる。『義経記』には義経が弁慶と出会った場所として登場する。

  • 京都市下京区松原通西洞院西入ル天神前町351-2
  • 電話/075-351-7021
  • 拝観/境内自由
  • 交通/市バス「西洞院松原」下車すぐ
若宮八幡宮

若宮八幡宮

天喜5年(1057年)、天皇の勅願により源頼義が創建したことに始まり、左女井八幡宮、六条八幡宮などと呼ばれ広い境内と社殿があったという。頼朝も崇敬し、鎌倉の鶴岡八幡宮に併せて放生会を始行した。豊臣秀吉の時代に東山に遷されたが、小さな宮が残され地域で守り伝えられている。

  • 京都市下京区若宮通花屋町上ル若宮町
  • 参拝/自由
  • 交通/市バス「堀川五条」徒歩約3分
六波羅蜜寺

左女牛井跡

平安期、六条堀川には源氏の邸宅・堀川館があり、のちに義経はその近くに居を構えたといわれている。邸内の井戸があったと伝わる場所にいまは石碑が立っている。室町期の茶人・村田珠光はこの水を汲んで将軍足利義政に献茶し、千利休も愛用した名水だったと伝わっている。

  • 京都市下京区堀川通五条下ル西側
  • 交通/市バス「堀川五条」下車すぐ

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四条通のアーケードに面して高級感あるディスプレイを展開。

oomiya 京都店

世界のブランドがそろう
正規腕時計専門店

四条通に移転・拡大リニューアル

店長 岡本尚平
京都出身で前店舗から
京都店の店頭に立ってきた岡本尚平店長。
「このまちでより信頼していただける
店舗にしていければ」と笑顔をみせる。

人気の腕時計を集め、より広く、至便な四条通へ

世界各国の輸入時計や宝飾品、眼鏡を中心に、高級ブランドの正規販売権を数多く取得し、幅広い品揃えと確かな品質、手厚いサービスで高い信頼を得ている株式会社オオミヤ。そのなかで「oomiya 京都店」は、腕時計専門店として2014年に烏丸通六角にオープンし、以降、京都・滋賀を中心に幅広い年齢層に支持されています。そして今年2月12日、より交通至便な四条通の大丸前に広いスペースを確保し、移転リニューアルオープンを果たしました。また同日に2軒隣には同社が運営する、スイスの高級時計メーカー「ブライトリング」の専門店「ブライトリング ブティック 京都」もオープンしています。
店舗拡大に伴って、人気の「チューダー」「IWC」「パネライ」「ゼニス」「クストス」などに加えて、「ブランパン」「ジラール・ペルゴ」「グランドセイコー」「ベル&ロス」の新規取り扱いをスタートさせ、ブランドごとに専用コーナーを展開。 豪華で洗練されたしつらえは四条通のアーケードからもひときわ目を引き、一歩店に足を踏み入れた瞬間から心躍るような気分にさせてくれます。

正規販売にこだわるわけ

オオミヤの創業は昭和53年(1978年)。和歌山県有田郡湯浅でまちの時計・宝飾・眼鏡店として時計職人の社長(現会長)を中心に家族経営で運営を続けていました。大きく路線を転換したのは、社長(現会長)の長男であり現代表取締役の出水孝典さんがさまざまな業界で修業を積み、家業に戻ってからのこと。徹底した市場調査とエリアマーケティングを行い、湯浅の店とは別の土地に2001年、時計専門店を開業します。
郊外の50坪ほどの店舗でしたが、並行輸入品を取り扱わず、すべて正規販売のブランド商品でそろえたことが功を奏し、遠くからも多くの人が足を運ぶようになったといいます。「価格競争は市場を壊すだけ」という考えのもと、ブランドと商品の特徴をじっくり説明し納得して購入してもらうスタイルを確立。それが「品質の確かな良いものを身につけたい」という人や腕時計愛好家たちの心をつかみ、現在では和歌山市内の本店をはじめ、心斎橋、仙台、鹿児島にも店舗を展開しています。
大手男性ファッション誌や嗜好品を特集した雑誌などへ積極的に広告を出稿しているのも、「宣伝という意味もありますが、それよりも弊社で購入されたお客様が“ここに載っているこの店で買った”と安心し、ご満足いただけることに大きな意味を感じています」とは京都店の岡本尚平店長。WEBにも力を入れ、商品の入荷状況や解説などはもちろん、ブランドの歴史や特徴なども見やすく丁寧にまとめられています。顧客の感想を掲載するページもあり、京都店でもきめ細やかにお客様の声に耳を傾け、より良いサービスや改善につなげているといいます。

顧客とじっくり寄り添って

顧客からの品質への信頼に応えるため、同社では入荷した商品についても厳しい検品を行っています。もちろん一流ブランドばかりとあってメーカーでも厳重な検査が行われているのですが、それでもオオミヤの独自の審査ラインを通らずメーカーへ返品することもあるのだとか。
店舗でも時計のベルトや部品のストックを充実させ、交換や修理に迅速に対応できるよう体制を整えています。岡本さんによれば、輸入品ではベルト交換1つとっても取り寄せにかかる期間は通常1〜3カ月以上。「お客様がせっかく気に入って使ってくださっているのですから、お待たせすることなく身につけていただけることを大切に考えています」。
購入時にはその人の用途や使う頻度、好みなどを丁寧に聞き取り、一つひとつの品のメリットだけでなくデメリットも説明することを重視しているといいます。知人が買ってよかったという品や雑誌で見て「これを買おう」と思って店の扉をくぐっても、スタッフと話し込むうちに自分に何が合うかが見えてきた、という人も多く、当初の目当てとは違う品を納得して購入していくとか。じっくり腰を据えて選びたいという人のためにバーカウンターやソファスペースなどが店内のあちらこちらに設けられていて、「お客様お一人あたりの平均滞在時間は3~4時間。再来店、再々来店と品選びに時間をかけられる方も多く、選ぶ時間も含めて時計の面白さ、奥深さを楽しんでいただければ」。そう話す岡本さんの周囲にも、ゆったりと落ち着いた空気がただよっているように感じます。
ネット通販など、顔の見えない販売形態が増えるなか、一人ひとりの顧客と向き合い、寄り添って、その人にとってよりよいものを提案していこうという姿勢は、これからの対面販売、そして商店街のあり方の一つのヒントといえるかもしれません。

oomiya 京都店
店舗は2フロアからなり、ブランドごとにスペースを設けている。
oomiya 京都店
品選びがじっくり楽しめるよう、店内にはバーカウンターなども設けられている。
oomiya 京都店
ソファ席もあり、一つひとつ手にとってデザインや機能を確認できる。
oomiya 京都店
  • 京都市下京区四条通高倉西入ル立売西町72
  • TEL.075-229-6689
  • 【営業時間】11:00~19:30 水曜定休
  • 【URL】https://www.jw-oomiya.co.jp

コラム〜京おんなは知っている、ヒミツの…

イラスト:たつみ まさる

京都が大きく経済発展するための
ある秘策とは?

イラスト:たつみ まさる

コロナにウクライナ情勢、加えて円安と日本経済にとっては厳しい状況が続いている。とはいえ、前年対比でプラスになっているビジネスは、実は少なくない。この違いは、時代の変化にどれだけ対応できているか、そしてこれまでとは違う、新しい時代に合わせたスキルを持ち合わせた人材がいるかどうかによるところが大きい。

産業革命が起こった時、それまでの農業のやり方は90%が失業状態になったと言われている。そして、産業革命の要素を取り入れた農業だけが生き残り、産業革命を取り入れたビジネスは大きく繁栄した。つまり、次の時代に来るものを上手に取り入れ、活用するものは経済的な恩恵を受けることができる。京都が経済的な発展と豊かな社会を築くためには、次に来る時代の流れをしっかり取り入れ、恐れず変化しなければならない。では、次に来るのは何だろうか? それは、「起業」革命である。

アメリカと比較し、日本は起業しづらいと言われている。確かにその側面はあるが、経団連がスタートアップ庁の提案をしたように、環境はどんどん整い始めている。特に東京では、すでに起業のエコシステムはできている。京都は東京に比べて資金調達が難しく、また京都人の気質として東京と同じエコシステムの環境を作っても面白いとは思わないだろう。だから独自のエコシステムを作るべきだと思うが、何よりの問題は、肝心の起業家をどう増やすのか? である。

そこで大注目されているのが起業家育成のための「起業家教育」である。実は起業家教育というのは、起業家になりたいと思わない人にとっても、学ぶ意義が大きい。なぜなら起業家教育は、これからの時代を生きるために必須である批判的思考、創造性、協働、コミュニケーション力、デジタルリテラシーなどを身につけ、磨きをかけることができる教育内容だからだ。そのため、もし起業家教育を単なるお金儲けのノウハウを教えるプログラムだと勘違いしているとしたら、それは将来にとって大きな損失となるだろう。

また、起業家教育で起業家が育成できるのか? ということが問題になるのだが、この質問は音楽を勉強したら全員が音楽家になるのか? というのと同じだ。専門家にならないからといって、学ぶのをやめるのではなく、その分野のプロにならなくとも、生きる上で有益だから私たちは学ぶのだ。先行き不透明な時代では、どのような職業に就こうとも、起業家マインドセットとも言える、チャレンジ精神や柔軟性、失敗に対して立ち直る力などがこれまで以上に必要になる。そのため、起業家教育はもっと幅広い世代に普及していくべきなのだ。

私は今、兵庫県内の中学高校生の約400名を対象に行われる起業家教育が、子供たちにどのような影響を与えるのかを恩師の京都大学経理管理大学院の関口教授のご指導を得ながら、クラスメイトだった兵庫県立大学のサダム准教授と一緒に研究している。日本では、ようやく大学生向けに起業家教育が広がっているが、ヨーロッパでは子供たちへの起業家教育は国家戦略として行われ、世界ではエビデンスを重視した起業家教育研究が活発に行われている。それに比べると日本はまだ不十分で、特に小中高といった若い世代を対象にした研究が圧倒的に足りない。

イラスト:たつみ まさる

起業のための経済的なサポート力では、京都は残念ながら東京には勝てない。だが、この起業家育成のための環境作りでは、京都は東京よりも発展できるポテンシャルを秘めている。大学生の街だからではない。実はもっと低学年の小中学生への起業家教育の分野で、これから大きく発展できる可能性があるのだ。なぜなら京都には、四条繁栄会をはじめ、地域コミュニティがまだしっかり残っているからだ。

例えば、京都では伝統文化に触れる機会が小学生の時からある。こういった機会の積み重ねが子供たちに伝統文化を身近に感じさせ、そこにある問題へ意識を向けさせる。また将来の職業選択のひとつへとつながってもいく。起業家教育も同じで、本物の地域の銀行家や多種多様な経営者と出会う機会を作り、子供だけでなく、地域コミュニティの人たちも起業家教育にかかわることで、京都独自の起業エコシステムを作ることができる。子供たちは伝統文化を学ぶ時と同じように起業にまつわる体験学習をし、そのような機会を継続的に体験することで、自ら問題を見出し、解決する力をつけていく。そうなれば、地域への愛着も増し、豊かな創造性や積極的な行動力を身に着けることができるようになっていくだろう。このことが将来、京都を大きく発展させる原動力になるのだ。

京都は長期的な視点が持てる街である。だからこそ、今、目を向けるべきは子供たちへの起業家教育なのだ。京都の子供たちがなりたい職業のトップ3に起業家が入る。そんな街になれば京都の未来は明るい。そうなるために、私もできることには惜しまず取り組みたいと思う。

文:赤城 賀奈子(あかぎ かなこ)
イラスト:たつみ まさる

京都・知れば知るほど

京の食文化・干菓子

宮廷や数多くの社寺があり
また茶道三千家が本拠地を置く京都では
古くから菓子文化が発達し
奥深い京菓子の世界がつくられてきました。
なかでも干菓子は薄茶と取り合わせて
茶事に用いられ、また、日持ちがすることから
参勤交代の際など
遠方への土産にも重宝されて、
さまざまな味、素材、かたちのものが
生み出されてきました。

一休寺納豆を中央にいれた玄米落雁の「一休寺」。詫びた風情と素朴な味わいのなかに、塩みの利いた一休寺納豆の香りが際立ち、繊細な口どけが京菓子らしさを感じさせる。

京の食文化・干菓子
亀末廣を代表する詰め合わせ「京のよすが」。
京の食文化・干菓子
「打ちもの」と呼ばれる干菓子の型。意匠は手前から菱撫子、菊、八重桜。
京の食文化・干菓子
姉小路通に店を出した当初からの外観を残す主屋と
築100年以上の穀物用の蔵がいまに伝わる。

和菓子の種類は作り方によって生菓子、焼きもの、半生菓子、干菓子に大きく分けられます。干菓子とは水分の少ない乾燥した菓子の総称。茶道では薄茶の席で供され、「打ちもの」「押しもの」「焼きもの」、そして有平糖などの「飴」があります。打ちものの代表格ともいえる落雁は、寒梅粉やみじん粉などのもち米の粉を砂糖と混ぜ、木型に入れ固めて打ち出したもの。押しものの材料は打ちものとほぼ同じですが、型に入れてから押して固め、包丁で切り出します。干菓子の焼きものといえば煎餅で、起源は諸説ありますが平安時代に空海が日本に製法を伝えたといわれ、現在の亀甲煎餅に近いものだったようです。
京都の老舗のなかでも干菓子からその歴史が始まったことで知られるのが姉小路烏丸東入ルの「亀末廣」。通りに面して掲げられた看板をよく見ると、縁をぐるりと古い打ちものの木型が囲んでいます。伏見醍醐で茶釜を鋳造していた初代が、文化元年(1804年)に烏丸五条で菓子屋を営んだのが始まりといわれ、その後現在の地に移り、御所や二条城の徳川家にも出入りを許されていました。 干菓子の木型は一般的によく用いられる意匠から、店ごとに特徴のある模様、また客の注文にあわせて型から誂えることもあり、「長く使い続けている古い型もありますが、打ち出す際にどうしても傷むので職人の方に作り直していただいたものも多いです」とは八代目を継ぐ予定の吉田かな女さん。型に使われる桜の木は硬くて粘り気が強く、使い込むほどに線が柔らかくなり菓子に上品さが生まれるといいます。
季節感と自然な味わいを大切にしてきた同店は、ほかに支店や出店を出さず、販売も店頭のみ。手の込んだ丁寧な菓子づくりは代表菓「京のよすが」にも表れています。十数種類の干菓子と半生菓子が入り、年に14回も題材が変わるというこの詰め合わせは“四畳半”の愛称で親しまれる甘党あこがれの逸品。受け継がれてきた暖簾の奥では、きょうも忙しく京ならではの繊細な手仕事が続けられています。

〈取材・資料提供〉

御菓子司 亀末廣

京都市中京区姉小路通烏丸東入ルTEL.075-221-5110

私の四条通り

まちを見守りまもなく百年。
調べるほどに魅了される
四条河原町のレトロビル。

株式会社池善
代表取締役
井上 千鶴さん

株式会社池善
四条河原町南西角に大正末期に建てられた池善ビル。
2021年3月1日、京都市の「京都を彩る建物や庭園」に選定された。

「京都を彩る建物や庭園」に選定

四条河原町の南西角に立つ「池善ビル」は建築からまもなく約100年を迎えます。まちの皆様にも長く親しんでいただいているこのビルは、昨年、京都市の「京都を彩る建物や庭園」に選定していただくことができました。50年以上の歴史がある建物ならば選に入るかもしれないと伝え聞き、応募してみたところ令和3年(2021年)3月1日に選定証を頂戴しました。

池善ビルの建築年は未だにはっきりとはわかっていません。このビルで長年「株式会社池善化粧品店」の経営者であった私の父からは、昭和5年(1930年)ごろに建ったと聞いていました。

鴨川畔に建つヴォーリズ建築の東華菜館さん(旧矢尾政)は大正15年(1926年)の完成ですが、その矢尾政さんの建築途中を撮影した写真に、白い池善ビルが写っています。また、手元にある「昭和の御大典」こと昭和3年(1928年)に行われた昭和天皇即位大礼記念博覧会の記念絵葉書にも池善ビルの姿があります。当時、池善ビルに隣接していた刃物の老舗「常久」さんの洋館も同時期に完成したようです。池善ビルの建築は、昭和5年以前、大正末期なのではないかと考えています。

そんな古いビルが髙島屋さんの正面玄関隣に建っているものですから、四条のまちの真ん中で「ふんばっている」ように見えるのか、「ド根性ビル」と呼ぶ人もあれば、私も幼いころから「お前のところはなんで立ち退かへんのんや」と、からかわれたりもしました。しかし、父母や私が知る限り、また昭和58年(1983年)に父が株式会社池善化粧品店の社長になってからは、どこからも買収のお話はなく、皆さんが思われるよりもはるかに平和に、そしていたって和やかにお商売を続けてきたようです。

株式会社池善
昭和3年、御大典を記念してつくられた絵葉書。
矢尾政(現・東華菜館)の洋館の奥に池善ビルが見えている。(株式会社池善蔵)

池善こと「池田屋善兵衛」と四条

私が物心ついたときには、両親そろって池善化粧品店で仕事をしていたため、このレトロビルを見ながら成長しました。当時、南隣には尾州屋さん、新雪さんがテナントとしてご入居されていて、西隣には髙島屋さん、目の前には四条河原町の交差点があり、それを日常の風景だと思って生活してきました。店にはいつもたくさんのお客様がおられ、母がにこやかに接客し、父もニコニコと和やかな雰囲気がいっぱいでした。よくいらっしゃるお客様には私も可愛がっていただきました。

株式会社池善
昭和8年(1933年)3月発刊の「資生堂グラフ」から継続的に
池善化粧品店の広告が掲載されていた。

池善ビルは、建設当初から親族の間で持ち主が変わっていますが、祖父(父の養父であり叔父)の所有となったことはなく、平成12年(2000年)、親族の一人が手放すことを機に、父が土地と建物のすべてを買い取りました。父からは、江戸時代に曽祖父(池田屋善兵衛)が入手した土地を守りたかったと聞いています。

また、父は平成元年(1989年)、実父から相続していた土地と親族の所有していた土地をあわせて、現在のエディオンさんの東隣に共同で「ユーイットゥ池善ビル」を建設しました。現在は株式会社リバティ池善さんと共同で管理しています。ユーイットゥ池善ビルの管理に関わったことが、私が家業に関わるきっかけになりました。池善ビルに関わるようになったのは尾州屋さん、新雪さんが退去されたあとのことです。その後、私が設立した会社が池善ビルも管理運営していくことになりました。

建物と関わるうちに、ビルへの愛着が以前にもまして湧くようになりました。それとともにこの建物がどういう経緯で建てられ、どんな歴史をもっているのかを子孫に伝えることが私の一つの責任ではないかと思うようになりました。

池善に関する江戸や明治の資料が殆ど手元にないため、京都府立京都学・歴彩館の資料課の方々にご協力をいただいて、四条、とりわけ四条河原町周辺の町内である真町、また、池田屋善兵衛に関する古文書などの資料を少しずつ調べています。

池善は池田屋善兵衛の略で、井上家の当主は、代々、通称としてこのように名乗っていたようです。父の曽祖父もその一人ですが、弘化3年(1846年)に北野天満宮の諸堂修復に係る費用を集める係の一員として名を連ねています。また、安政3年(1856年)に江戸幕府と京都町奉行所の主導で加茂川筋の土木工事が実施されましたが、これに冥加銀(寄付)を納めたことも資料に残されていました。父が古くから大切に残している資料に、慶応4年(1868年)の『駕輿丁四府一沪控』という駕輿丁のお役目を担った京都の商人の名簿の複写があり、そこに髙島屋、三井等の有名な当主の方々の名前と並んで池田屋善兵衛の名前が在りました。この名簿の存在により、1868年ごろの池善が商いをはじめて間もなかったとは考えにくく、すでにある程度の規模の商いをし、地域からの信頼も得ていたと考えられます。また、江戸時代末期に現在の池善ビルを含む土地を購入したであろうことが、京都府立京都学・歴彩館に残されている売買記録から伺えます。四条のまちと池善は実に160年以上にわたるおつきあいというわけです。

株式会社池善
明治3年(1870年)『下京拾貮番組 四條通小橋西入 眞町之圖』。
町控とあることから公的に提出したものの控えと思われる。(株式会社池善蔵)

活用してこその商業ビル

池善ビルの土地には、もとは間口六間(約11メートル)の木造家屋がありました。日露戦争後、京都市は三大事業の一つとして輸送力の増強を含めた道路幅拡張工事を進めており、河原町通も拡張されて電車が通ることとなりました。この時に河原町通の西側が二間から十二間(約22メートル)に拡幅され、交差点近くにあった池善の土地が削られることになりました。その後、大正15年12月25日に京都市電河原町線が開通します。京都市役所にご協力いただいて調べたところ、大正14年(1925年)8月に京都市と土地を売買した記録があり、当時の土地の持ち主の井上新兵衛(父の大叔父)は、土地の売却後、すぐにビル建設に取り掛かったと思われます。

令和2年(2020年)以降、新しいテナントが入居されましたが、その改装時に昔の作りがそのままになっている箇所が見えました。池善ビルは、鉄筋コンクリート3階建て屋上付きで、現在は3つの区画に分けてご利用いただいておりますが、実は北側と中央の区画の1階から3階の隔壁に区画を行き来できる大き目の木製ドアがはめ込まれています。1階の入り口にもアーチ型の木枠があり、建設当時は透明のガラス戸が設けられていたようです。南側区画(現在のMARUMARU雲の茶 京都髙島屋前店さん)には建設当時の造作がいくつか残っており、天井がかなり高く狭さを感じさせません。2階も3階も天井と階段の造りが昔のままとなっています。

昭和40年代ごろまでの写真を見ると、建物中段の10カ所に小さなレリーフ、さらに建物上部5カ所には十字型のやや大振りのレリーフが掲げられていたことがわかります。これらを含めた外観は、いつか復元できればと思っています。

池善ビルではいまなお小売店の営業が続けられており、京都屈指の繁華街である四条河原町の交差点に面する商業ビルとして使っていただいてこそ、その価値が生きるものです。今後は、店舗を利用される方が使いやすいよう、また長く使えるよう、しっかりとした改修工事を実施したいと考えています。また、窓や屋上から眺望を楽しめるような使い方もできればいいなと考えています。

大正末期に誕生し、昭和の激動期を乗り越えて築後100年近くとなる池善ビル、平成元年に建設されたユーイットゥ池善ビル、いずれも四条の発展と共に歩み続け、変化を遂げ、皆様にかわいがっていただいて歴史を刻んでいます。これからも地域の発展に貢献できるような建物であり続けられるよう、微力ながら尽力してまいります。(聞き書)

井上 千鶴
PROFILE 井上 千鶴(いのうえ ちづる) 京都市生まれ。京都女子大学卒。日本航空株式会社入社、国際線CAを長年務める。その後、外資系企業勤務等を経て、2020年、株式会社池善を設立、代表取締役に就任。

京洛墨彩

【シ・むらさき】

色の名。王や道教に関する事物に関することば。

紫

夜が明けて、
山ぎわの里を包むのは
紫にたなびく朝霞。
やがて差しはじめた夏の陽に
露をたたえた一面の葉が
匂い立つように
高貴な色を輝かせる。
葉からこぼれる一滴は
悲運の母が
子を、世を思い、流した涙か。

四条の繁華街から車で約30分。大原は紫幹翠葉の眺めが広がる山里です。ここに伝わる哀しい物語といえば、『平家物語』に登場する建礼門院徳子の悲劇がよく知られています。

平清盛の娘として生まれた徳子は、高倉上皇と結婚し、安徳天皇を生みます。平家が隆盛を極める礎をつくった女性ではありますが、やがて源氏に追われて都落ちすると、壇之浦の戦いで一族とともに船から海へ身を投げました。愛しいわが子である安徳天皇が幼い命を落とすなか、徳子は源氏方の熊手に水面から掻い取られ、京へ送られる運命に。29歳の若さで得度し、建礼門院と名を改めます。元歴2年(1185年)、わずかな女官とともに大原の寂光院に入った建礼門院は、わが子をはじめ平家一門の冥福を祈り続けたのでした。

大原は赤紫蘇の産地として知られ、それを使った名物のしば漬けにも、建礼門院にまつわる言い伝えが残されています。しば漬けの起源には諸説ありますが、大原の名刹・三千院の聖応大師が発案した漬物といわれ、それを里人が建礼門院に献上したところ、たいそう喜んだ女院は鮮やかな紫色にちなんで「紫葉(むらさきは)漬け」と名付けたのだとか。

かつて高貴な人々だけがまとうことを許されたという紫の色と建礼門院を重ね合わせ、里人たちによってその味と伝承はいまも守り伝えられています。

大原の紫蘇畑

京都市左京区大原
交通/四条河原町より京都バス16・17
大原行きにて「大原」下車

写真田口郁明

コラム四条

コロナと戦争、私たちは乗り越えられるやろか⋮。

京都の夏はほんまに蒸し暑い。三方を山に囲まれた盆地特有の気候なんどすけど…。露地に入れば石畳、軒先には朝顔やひまわりの鉢植えがあって、真っ青な空のもと、太陽に向かって咲いている。私はそんな京都の町とこのひまわりの花が大好きなんどす。ゴッホが南フランスで描いた花瓶のひまわりはユートピアの象徴どした。

ひまわりは北アメリカが原産。紀元前1500年頃から栽培されていて、コロンブスがアメリカ大陸を発見した後に、スペイン人によって持ち込まれ、ヨーロッパに広がったんやそうどす。

ヨーロッパでは観賞用に栽培されていたんどすけど、ロシアでは食用として品種改良されたんやそうどす。

ひまわりはまた、ウクライナの国花。そのウクライナに2022年ロシアが軍事侵攻。3月15日ロシアの国防省はヘルソン全域を掌握したと発表したんどす。その時、ウクライナの老婦人がロシア兵に「戦死しても花が咲くように、ポケットにひまわりの種を入れなさい」と詰め寄るツイッターの動画が世界中に配信されたんは衝撃どした。

そして、1970年に公開された名作映画「ひまわり」を思い出したんどす。主演はソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ。戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を描いた悲哀の物語。ヘンリー・マンシーニの哀愁漂うテーマ音楽はヒットしました。エンディングは地平線にまで及ぶ、スクリーンいっぱいのひまわり畑。印象的どしたなあ。

ロケ地になったひまわり畑はソビエト連邦時代のウクライナの首都キーウから南に500キロ行った黒海沿岸のヘルソン州。あの老婦人がロシア兵にひまわりの種を渡した場所、つい日々報道される軍事侵攻の悲劇に重ね合わせてしまうのどす。

2020年にリバイバル上映されたんどすけどコロナのまん延で動員数も伸びなんだそうどす。ロシアの軍事侵攻が報道されてからは上映の輪が全国に広がって、京都の映画館でも上映されたんどす。なんでこんな戦争が21世紀に起きるんやろか、信じられへん。うちらはコロナとこの戦争を乗り越えられるのやろか…。

京野優女(きょうのやしょうめ)

コラム四条

京都漫歩

鎌倉幕府

●作者プロフィール
辰巳 優(たつみ まさる)

  • 1951年 (昭和26年)京都生まれ
  • 1992年 読売国際漫画大賞優秀賞
  • 1993年 ユーモア広告大賞ビジュアル賞
  • 1994年 飛騨高山漫画フェスタ入賞
  • 1998年 長野五輪四文字熟語漫画最優秀賞
鎌倉幕府

1192いいくにつくろう鎌倉幕府

源頼朝の武家政権が誕生します。
この後、南北朝時代(1333年~)、応仁の乱(1467年)を経て戦国の世へと突入していきます。
京都(朝廷)も戦乱の波に翻弄され、とりわけ洛中の人々の暮らしは混乱を極めたに違いありません。
時に実力者達は「いい国つくろう」のスローガンのもと、戦いを続けていくのです。
戦はゲームではありません。さて1192年に戻りましょう。鎌倉殿の13人(切り札)は揃いました。
「いざ鎌倉」ジョーカーは北条政子と見ました。歴史の陰に女あり。

四条の道具

祭のにぎわいをまちに届け続けて三十五年。
からくり時計が奏でる三分三十秒の祇園囃子。

四条の道具

1日に6度、午前9時、11時、午後1時、3時、5時、7時にからくりが作動し、祇園囃子が奏でられる。

四条の道具
山鉾巡行の見どころの一つ「くじ改め」は、ビルの前で行われる。
扇子を使った独特の作法で、くじが奉行役の京都市長に差し出される。
四条の道具
昭和62年(1987年)に竣工した京都野村證券ビルは地上8階、地下1階。

四条通堺町の北西角。祇園囃子が流れ始めると、通りを歩く人波のなかで幾人かがふと足を止めて頭上を見上げる。

野村證券京都支店の吹き抜けのエントランスに設けられた「祇園・長刀鉾時計」は、京都最大規模のからくり時計で、昭和62年(1987年)京都野村證券ビルの竣工にあわせてつくられた。定時になると時計のついたシルバーの外箱がするすると天井に向かって上がり、実物の20分の1サイズで精巧につくられた長刀鉾が姿を現す。鉾には43体の人形が乗っており、祇園囃子を奏でながらゆっくりと鉾が回転。鉾の上では音頭取りが扇子を手にして前後に動き、笛を吹く囃子方も左右に体を振って拍子をとる。3分30秒の小さな山鉾巡行は、日に6回、35年も続き、いまでは四条通のシンボルとしておなじみの風景になっている。

野村證券が四条通に出店したのは、社の創業と時を同じくする大正15年(1926年)1月4日のこと。麩屋町通四条に京都出張所として開設され、2年後には四条通柳馬場西入ルに移転。石造りの洋館がまちの人々に親しまれた。その後、四条通沿いに新築移転を繰り返し、現在のビルが建てられている。

からくり時計の設置が計画された時点で、同店の四条通での営業は60年余。地域への感謝とともに、京都を訪れる人々の目と耳を楽しませることを目的に、設計から2年半の歳月をかけて制作されたという。高い位置に設置されているためわかりにくいが、模型が納められたシルバーの箱は高さ約2メートルもあり、八坂神社の火炎太鼓をモチーフにした時計の文字盤は18金貼り。見送りなどの懸装品も専門の織物業者に特注したというこだわりようだ。制作時の詳細な記録はあまり残っていないが、大変な費用がかかったと当時の本誌は記事にしている。もちろん安全管理やメンテナンスにも毎年多くの費用が割かれており、2年前には大掛かりなオーバーホールも行ったというから頭が下がる。

もう一つ、野村證券と地域のつながりとして忘れてはならないのが、祇園祭の「くじ改め」だ。山鉾巡行の順番は毎年くじ引きで決められ、17日の前祭の巡行では、その順番に間違いがないかを、ちょうど野村證券ビルの前で改める。

四条通堺町には「くじ改め処」の屋形が組まれるが、その組み立てや運営は立売中之町の人々が取り仕切ることになっており、野村證券も町内会の一員として祭に参加し、場を提供しているのだという。ビルのエントランスは屋形を建てても通行が妨げられないよう、通りから奥へ広場のようになっており、「くじ改めのために野村さんが工夫してくれはった」とまことしやかに言う人もあるが、当時建設に携わった人や詳細な資料が残っていないため確かなことはわからない。

とはいえ、祭当日は幾人かの社員が出て屋形設置のために場を整備したり、通行人の見守りをしたりと長年にわたって協力を続けている。企業がまちとつながり、地域に貢献するにはどうあるべきか。からくり時計の奏でるお囃子がそれを代弁してくれているかのようだ。

四条の道具
ビルの東側にある応挙地蔵尊。この界隈には江戸中期の絵師・円山応挙の住まいがあり、一説では応挙の庭にあった地蔵が残されたものだという。ビル建設にあたっては地蔵尊を守る町内の人々の声に応えて撤去や移動はせず、壁面を窪ませて祠を設置した。

野村證券株式会社
京都支店

京都市下京区四条通堺町角
TEL.075-221-7211

四条昔語り

このまちにまつわるエピソードを綴る昔語り。まだ人々の記憶のうちに留まっている思い出からまちと人の歩みを語り継ぎます。

五条の橋のたもとに逃げた忘れられない戦時中の体験

四条昔語り

いまは扇塚が立っている五条大橋の西岸たもと。ここに筆者たちが逃げ込んだ地下トイレがあった。

警報で駆け込んだ銀行の地下

毎日ニュースで報道される異国の戦禍。ウクライナの現状が流れるたびに、遠く記憶の彼方にあったはずの空襲警報のサイレンが思い出され、背筋が寒くなる。私のような戦中に育った世代にはそんな人も多いのではないだろうか。

京都にも原子爆弾を落とす予定があり、その目標地点は現在、鉄道博物館になっている梅小路車庫だったと聞いたことがある。投下予定日の天候が悪く、あやうく難を逃れたのだという。「京都のまちは戦禍を免れた」という人もあるが、西陣や東山区馬町、右京区太秦などには空襲があり大きな被害も出ている。とくに昭和20年(1945年)6月26日朝に起きた西陣空襲ではB29が爆弾7個を投下して一般市民43人が即死、66人が重軽傷を負い、300棟近い建物が全半壊したと聞く。被害にあわれた方々が語り伝えようと、有志による石碑が西陣の辰巳公園に立っている。

あのころの四条通は平日でも人は少なく、馬車や牛車とともに走っていた自動車もほとんど通らず、車はほぼタクシーのみ。もちろん市電は通っていたが、空襲警報の発令中はすべてその場で停車した。

あるときの警報では、上空1万メートルをB29らしき1機が飛行機雲を引きながら南東から北西方向へ悠然と抜けていくのが見えた。不思議なことにこのとき、日本の迎撃戦闘機は1機も見当たらなかった。うちの店は四条河原町にあったが、四条通に防空壕はどこにもなく、私は父の命令で西隣にあった住友銀行四条支店の地下へ避難した。

高瀬川を東へ渡った木屋町の北東角には洋食と喫茶洋菓子の不二家があり、戦前は西洋人でにぎわっていたことをよく覚えている。太平洋戦争が始まると西洋人すべてが敵国人であると教えられたが、私には不思議に思えてならなかった。


幼い目に焼き付く恐怖

四条昔語り
ひらけた鴨川沿いでは、機銃掃射から身を隠すところがない。

この不二家の支店長さんが父と親しく、戦時のもののないときにもかかわらず魚を一斗缶にいくつも分けてくださった。西山に疎開していた私たちのもとへ父と学校の先生が二人で京都から大八車を押して夜通し運んでくれ、思わぬご馳走に親元を離れて寂しい思いをしていた児童全員が大喜びした。団長の先生は父と二人で会うよう取り計らってくれようとしたが、私一人が面会してはほかのみんなに申し訳ないからと断った。あとで聞けば父も同じように断ったらしい。このとき、父が持参したスーパーシックスのカメラでみんなを撮ってくれた写真が残っている。数年前には集団疎開40周年を機に有志で記録を冊子にまとめた。いまとなっては貴重な資料だ。

疎開する前にはまちなかで怖い思いをしたこともある。場所は今年の大河ドラマにも登場した源義経こと牛若丸と弁慶で有名な五条の大橋だった。

その日、敵機が近畿地方に迫っているという知らせがあり、小学校は授業を午前中で切り上げ、下校となった。私は電車通学だったため三条行・2両編成の京阪電車に乗ったが、五条駅で急停車するや、車掌さんが大声で「退避せよ!」と叫んだ。敵戦闘機1機が機銃掃射しながら迫っていると告げられ、乗客はその場から全員各自退避せよとの命令だ。だが当時、京阪電車は七条から三条まで鴨川と並行して地上を走っており、どこにも隠れようがない。

幸いこの電車には私の担任で剣道五段のS先生が同乗されていた。先生の指示に従って、五条駅のすぐそばにある五条大橋を西へ渡って逃げることになった。橋の西岸のたもとの北側には地下になった公衆便所があり、そこへ避難するという。いまは緑が植えられ扇塚が立っているが、当時は半円形の地下トイレで入口が南北2カ所あり、地面との高低差5~6メートルを生かした造りだった。

さて、そこまでどうやって走り抜けるか。敵機がいつどこから来るか皆目わからない。生徒は国民学校(小学校)3年生の私が一番上で、下には弟たちとその友人4・5人の1年生。まず駅から橋の欄干に沿って低い姿勢で先生が走り、そのあと一人ずつ同じように西岸へ向かって送り出し、しんがりは私が走り抜け地下トイレに駆け込んだ。悪臭はひどかったが命には代えられないと息をひそめて我慢した。五条駅からの逃避行は文字にすればアメリカの戦争映画でビック・モロー主演の『コンバット』を地でいく体験そのもののようにも思えるが、命を失うかもしれないという恐怖はいまも忘れられない。

集団学童疎開地から見た、大阪の夜空が爆撃で赤く染まるすさまじさ。そして戦後の悲惨な焼け跡の姿。幼い目で見た光景は齢八十を過ぎても脳裏に焼き付いている。そしていま、戦禍に暮らす遠い国の子どもらを思うと暗たんたる思いがする。早くこの戦争が終結するよう、平和をただ祈るしかない。戦争は失うものばかりで、得るものは何もない。

[文/四条繁栄会商店街振興組合・滝川一]

四条問わず語り

祇園祭にちなむ深いご縁

四条問わず語り
大丸福岡天神店パサージュ広場にて撮影(筆者)

私は博多大丸勤務の折、「博多祇園山笠」に参加する機会をいただきました。博多にも祇園町があり関西出身の私にとっては不思議な縁を感じていましたが、ルーツは祇園祭であることを知りました。博多山笠も江戸時代までは京都と同じく車を曳いて巡行していたのだそうですが、せっかちな博多っ子が前の山を追い越したことがきっかけで、今のような神輿を担いで走るスタイルになったそうです。自分が京都に勤めることになり、今度は本家の祇園祭も経験させていただくことになりました。人生の貴重な体験だと感謝しています。

現在私の住居は山鉾がたくさん建ち並ぶ室町通りにあります。昨年は初めて山鉾建てを拝見することができました。また同時に会社が京都検定の受験を推奨していることもあり、必修科目と言える祇園祭について勉強させていただきました。実際本試験では祇園祭から10問出題され、四条堺町での「くじ改め」、四条麩屋町での「注連縄切り」、など四条通に因んだ問題も多くありました。毎日通りを歩いて出退勤をしている私にとりまして、身近に接していることも有り大変興味深く学ぶことができました。  話は変わりますが、私は松坂屋上野店長も務めたことがあり、その折松坂屋の社訓も大切にして勤務をしていました。その社訓とは、仏教語で「諸悪莫作、衆前奉行」と言い、意訳しますと「悪いことをしてはならない、善い行いをしなさい」という意味です。しかしながら驚きましたことは、私の家の近くに建つ「白楽天山」の由来は、唐の詩人白楽天が、仏法の大意を問う場面を表しており、尋ねられた道林禅師がそれは「諸悪莫作、衆前奉行」であると答える場面を描いているというのです。ここでも何か深いご縁があり、心の中にある松坂屋の社是を「白楽天山」を通して道林禅師がいつも私に語りかけてくれている気がしてなりません。

四条問わず語り
松坂屋 創業家 伊藤祐良書
(J・フロントリテイリング史料館蔵)

今年は巡行も行われることが決まり、四条通にも賑わいが戻ってくることを期待しています。コロナ感染症との闘いはまだ収束が見えませんが、だからこそ祭の由来である「疫病退散」を願い、無事に巡行が行われることを祈念しますとともに、平安の古来から、東の守りである「八坂神社」と西の守りである「松尾大社」を結ぶ由緒ある四条通が、京都の街の中心であり続けることを願っています。

株式会社大丸松坂屋百貨店
執行役員 大丸京都店長 宮嵜 久朗

四条のまちゆかりの
「知られざる傑僧」長松清風ながまつせいふう

四条問わず語り
『清風一代記』/長松清風が自身の一代記を描いた数メートルに及ぶ巻物。
波乱に富んだ生涯を聖人ならではの画才とユニークさで記している。

私の勤務先ホテルグランバッハ京都セレクトは、本年春に開業から9年目を迎えました。これもひとえに、東京が本社の新参者を温かく迎えて下さったまちの皆様の御蔭でございます。誌面をお借りして心より御礼申し上げます。誠に有難うございます。

四条通は京都最大の繁華街でございますが、一歩南へ進みますと、閑静な佇まいに出会うことができます。今回は、当ホテル入口のある麩屋町通に暮らした「知られざる傑僧」長松清風(1817〜1890年)について書き綴らせて下さい。彼は江戸時代末期の宗教家・文化人であり、彼の文化人としての偉業を中心にお伝えしたいと思います。

清風聖人の実家は蛸薬師通室町の裕福な旧家/小間物屋で、当主は代々文芸に優れており、清風もそれを受け継ぎ、わずか十四歳の時には、当時の文人名鑑『平安人物誌』に、絵画の部で名前が載るほどでした。二十五歳の頃には、公家の邸宅で、百名を超える人々を前に日本文学の最高傑作『源氏物語』を毎月講義したくらいです! 彼の記した書の一つは、明治天皇の手習いの手本となり、他の公家たちも彼の書を所望したとのこと…脱帽です。

それどころか今でいうところのヘタウマ系のイラストもお得意で、ユーモアや皮肉に溢れた絵を見るだけで仏教が分かるように描かれているという、21世紀に生きる私でも十分共感できる感性に満ちていました。

四条問わず語り
2016~2017年に開催された「長松清風展」。

一方で優美な工芸品をいくつも手掛けたデザイナーでもあり、その作品はイラストと同じ人物の手によるとは思えぬほど。清風の表現力の多様さに感服するしかありません。源氏物語講義という国学者としての最高の栄誉を得た頃、最愛の母を失ったことをきっかけに、彼は出家し、その後はその才能を市井の人々への仏教教育に用いました。歌人としての才能は、御教歌をなんと三千首以上を作ることに生かし、仏教の教えを分かりやすく一般の人々が学ぶよう助けました。

彼について知ったのは、京都佛立ミュージアム/本門佛立宗の「生誕200年記念展覧会」(2016~2017年開催)でございました。まるでダ・ヴィンチのような芸術の万能人間たる凄い方が存在し、それも当ホテル周辺で晩年の六年間を過ごされたとは! 唯々感動でした。

京都はどこまでも奥が深く、こんな小さな通りにも歴史や偉人たちの歩みが息づいていて…、本当に日本に京都があってよかった、と日々思いつつ京都や四条と御縁をいただきながら仕事ができる幸せをかみ締めております(長松聖人の麩屋町通仏光寺上ルの御住いは、その後、長松寺<非公開>となっています)。

ホテルグランバッハ京都セレクト・コンシェルジュ 小玉 恭子
(写真提供:京都佛立ミュージアム)

おこしやす 京の歳時記

京都には、長い歴史と文化から育まれた
季節感のある祭が数多くあり行事が営まわれています。
その中から、京都をより知り、味わえるよう
6月から12月までの祭と祭事を選びました。

*日程/場所/最寄り交通機関/問い合わせ
*(変更になる場合がございますのでご注意ください)
*新型コロナウイルス感染拡大防止のため、
予定が変更になる場合がございますので、
*必ずお出かけ前にご確認をお願いいたします。
貴船の川床
貴船の川床

6水無月

鴨川納涼床
~9月30日(期間は店により異なる)/鴨川西岸 二条~五条/
http://www.kyoto-yuka.com/
貴船の川床(かわどこ)
~9月30日(期間は店により異なる)/貴船川沿い/
☎075-741-4444(貴船観光会)
鞍馬寺 竹伐り会式
20日/鞍馬寺/叡山電鉄鞍馬線「鞍馬」/
☎075-741-2003
北野天満宮 大茅の輪くぐり
25日/北野天満宮/市バス「北野天満宮前」/
☎075-461-0005
八坂神社 大祓式
30日/八坂神社/京阪電車「祇園四条」/
☎075-561-6155
祇園祭
祇園祭

7文月

祇園祭
1日~31日(17日/前祭山鉾巡行、神幸祭、
24日/後祭山鉾巡行、還幸祭ほか)/
☎ 075-213-1717 (京都市観光協会)
貴船の水まつり(七夕神事)
7日/貴船神社/京都バス「貴船」/
☎075-741-2016
千本ゑんま堂 風祭り
1日~15日/千本ゑんま堂/市バス「千本鞍馬口」/
☎075-462-3332
松尾大社 御田祭
17日/松尾大社/阪急電車「松尾大社」/
☎075-871-5016
城南宮 例祭(お涼み神楽)
20日/城南宮/地下鉄「竹田」/
☎075-623-0846
五智山蓮華寺 きゅうり封じ
23日/五智山蓮華寺/嵐山電鉄「御室仁和寺」/
☎075-462-5300
大文字送り火
大文字送り火

8葉月

六道珍皇寺 六道まいり
7日~10日/六道珍皇寺/市バス「清水道」/
☎075-561-4129
六波羅蜜寺 萬燈会厳修
8日~10日/六波羅蜜寺/京阪電車「清水五条」/
☎075-561-6980
清水寺 千日詣り
9日~16日/清水寺/市バス「清水道」/
☎075-551-1234
大文字送り火
16日 /京都五山/
https://gozan-okuribi.com/(京都五山送り火連合会)
上御霊神社 小山郷六斎念仏
18日/上御霊神社/地下鉄「鞍馬口」/
☎075-441-2260
上賀茂神社烏相撲
上賀茂神社烏相撲

9長月

上賀茂神社
重陽神事と烏相撲
9日/上賀茂神社/市バス「上賀茂神社前」/
☎075-781-0011
大原野神社
御田刈祭と神相撲
11日/大原野神社/市バス「南春日町」/
☎075-331-0014
平野神社
御鎮座記念祭・奉灯祭
14日/平野神社/市バス「衣笠校前」/
☎075-461-4450
御香宮 神能
中旬/御香宮/近鉄電車「桃山御陵前」/
☎075-611-0559
白峯神宮 秋季例大祭
21日/白峯神宮/市バス「堀川今出川」/
☎075-441-3810
鞍馬の火祭
鞍馬の火祭

10神無月

北野天満宮 ずいき祭
1日~5日/北野天満宮/市バス「北野天満宮前」/
☎075-461-0005
今宮神社 例祭
8日・9日/今宮神社/市バス「今宮神社前」/
☎075-491-0082
上賀茂神社 笠懸神事(流鏑馬神事)
16日/上賀茂神社/市バス「上賀茂神社前」/
☎075-781-0011
時代祭
22日/京都御所~平安神宮/
☎075-213-1717(京都市観光協会)
鞍馬の火祭
22日/由岐神社/叡山電鉄「鞍馬」/
☎075-741-4511
(鞍馬の火祭テレフォンサービス 9月1日~10月末日)

11霜月

藤森神社 秋季大祭・火焚祭
5日/藤森神社/京阪電車「墨染」/
☎075-641-1045
真如堂 お十夜
5日~15日/真如堂/市バス「錦林車庫前」/
☎075-771-0915
虚空蔵法輪寺 うるし祭
13日/虚空蔵法輪寺/阪急電車「嵐山」/
☎075-862-0013
清凉寺 夕霧祭
13日/清凉寺/市バス「嵯峨釈迦堂前」/
☎075-861-0343

12師走

三宝寺 宗祖報恩御会式(厄落としの大根焚き)
4日/三宝寺/市バス「三宝寺」/
☎075-462-6540
安井金比羅宮 終い金比羅祭
10日/安井金比羅宮/市バス「東山安井」/
☎075- 561-5127
事始め
13日/花街・祇園など/市バス「祇園」
矢田寺 かぼちゃ供養
23日/矢田寺/市バス「河原町三条」/
☎075-241-3608

ART

場所/日程/休館日/料金
*都合により変更になる場合がございます。悪しからずご了承ください。
*各催事について事前に新型コロナウイルス感染症の
*感染予防・拡大防止の観点からの注意事項や来館方法を
*お電話やホームページでご確認をお願いいたします。

髙島屋京都店 グランドホール(7階)
☎075-221-8811

第40回京都新聞チャリティー美術作品展
8月17日(水)~22日(月)/10時~19時*最終日は16時閉場
(いずれも入場は閉場の30分前まで)/無料
第44回圓照寺門跡 山村御流いけばな展
8月24日(水)~29日(月)/10時~19時*26日(金)は16時閉場、最終日は17時閉場
(いずれも入場は閉場の30分前まで)/無料

京都国立近代美術館
☎075-761-4111

MONDO 映画ポスターアートの最前線
~7月18日(月・祝)/9時30分~18時、7月12日(火)~18日(月・祝)は10時~18時、金曜は20時まで開館*ただし7月15日を除く
(いずれも入館は閉館の30分前まで)/月曜休館(7月18日は開館)/一般430円他
没後50年 鏑木清方展
~7月10日(日)/9時30分~18時 金曜は20時まで開館
(いずれも入館は閉館の30分前まで)/月曜休館/一般1800円他
生誕100年 清水九兵衞/六兵衞
7月30日(土)~9月25日(日)/10時~18時 金曜は20時まで開館
(いずれも入館は閉館の30分前まで)/月曜休館*ただし9月19日(月・祝)は開館、翌20日(火)休館/一般1200円他
ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡
― 市民が創った珠玉のコレクション
10月14日(金)~2023年1月22日(日)/開館時間は上記と同じ/月曜休館、年末年始*ただし2023年1月9日(月・祝)は開館、翌10日(火)休館予定/観覧料未定

京都国立博物館
☎075-525-2473

特集展示 新発見!蕪村の「奥の細道図巻」
~7月18日(月・祝)/9時30分~17時(入館は閉館の30分前まで)/
月曜休館*ただし、7月18日(月・祝)は開館/一般700円他
特別展 河内長野の霊地 観心寺と金剛寺
─ 真言密教と南朝の遺産 ─
7月30日(土)~9月11日(日)/9時~17時30分(入館は閉館の30分前まで)/
月曜休館/一般1200円他
特別展 京(みやこ)に生きる文化 茶の湯
10月8日(土)~12月4日(日)/開館時間は上記と同じ/
月曜休館*ただし10月10日(月・祝)は開館、翌11日(火)休館/観覧料未定
新春特集展示 卯づくし
─ 干支を愛でる ─
2023年1月2日(月・祝)~29日(日)/9時30分~17時(入館は閉館の30分前まで)/
月曜休館*ただし、1月2日(月・祝)、9日(月・祝)は開館、1月10日(火)休館/一般700円他
特集展示 雛まつりと人形
2023年2月4日(土)~3月5日(日)/
開館時間・観覧料は上記と同じ/月曜休館

コラム〜歌舞伎のまち・四条

『鬼一法眼三略巻 ― 菊畑』

『鬼一法眼三略巻 ― 菊畑』
紫野、今宮神社門前の紅葉。
南座公演ラインナップ

●お問い合わせ/京都・南座
TEL.075-561-1155
●一般電話予約/チケットホン松竹
TEL.0570-000-489(ナビダイヤル)
またはTEL.06-6530-0333

ナビダイヤルは一部交換機種などの設定によってはかかりません。
(受付時間/10:00〜18:00)
※この情報は2022年5月23日現在のものです。
変更になる場合があることをご了承ください。

牛若丸こと源義経は歌舞伎の演目にも数多く登場します。今回ご紹介する『鬼一法眼三略巻』は全五段からなる浄瑠璃として享保16年(1731年)に作られ、翌年歌舞伎に移されました。三段目『菊畑』と四段目『一条大蔵譚』はとくに名高く、なかでも菊畑は華やかな舞台と様式美が人気を呼び、今日では後半の「奥庭」が多く上演されています。

菊畑と銘打つ通り、舞台となるのは菊の花が咲き誇る館の庭。主の吉岡鬼一法眼は源氏の侍でしたが、主君の源義朝が滅びて以来、敵方である平家の兵法師範となっていました。彼の強さの秘密は、代々の天皇が秘蔵していた“虎の巻”六鞱三略の兵書。清盛をはじめ皆がこの奥義を狙っていました。

この館で下働きをする虎蔵と智恵内は、実は奥義を手に入れようとする牛若丸と、その家臣であり鬼一の生き別れた弟・鬼三太。鬼一は二人の正体に気づいており、試しに二人を叱責して智恵内に虎蔵を杖で打つよう命じます。そこへ割って入ったのは鬼一の娘で虎蔵に恋する皆鶴姫。結局、暇を出された二人は館に忍び入って虎の巻を手に入れようとします。

奥庭で自ら正体を明かした牛若丸。そこに天狗の面をかぶった鞍馬山の恩師・僧正坊が現れます。不審がる牛若丸の前で面がとられると、その下にはなんと鬼一法眼の顔。彼こそ幼い牛若丸に軍法を教えたその人だったのです。虎の巻を皆鶴姫に託した鬼一は「平家の禄を食んだ腹を切って返し、魂はもとの源氏に…」と切腹。壮絶な最期を遂げたのでした。

館があったのは堀川今出川から一条のあたりとされ、そこは陰陽師・安倍晴明ゆかりの地。晴明の伝説と重ねて鬼一法眼が創作されたといわれています。

懐かしの四条

四条のまちの、いま昔。セピア色の懐かしい写真で綴る思い出ミュージアム。

観光客の増加とともに
姿を消した山鉾巡行の「粽投げ」

懐かしの四条
宵山の町会所で授与される厄除け粽。浴衣姿の子どもたちが昔から伝わる節回しで
「ご信心の御方さまは…」と歌う姿がどこか郷愁を誘う。(提供/公益財団法人祇園祭山鉾連合会)
懐かしの四条
毎年10月に行われる滋賀県大津市の「大津祭」。粽投げの風習はいまも続けられており、
事故防止の厳重ルールがいくつも取り決められている。(提供/びわ湖大津観光協会)

祇園祭で授与される粽は厄除けのお守り。他府県から訪れた人に時折「食べられないんですか?」と聞かれることもありますが、持ち帰って家の玄関先に吊るし、厄除けを祈願します。

宵山のまちをそぞろ歩いていると、駒形提灯が灯る町会所のあたりから子どもたちの声で「…お守りはこれより出ます。常は出ません今晩かぎり。ご信心の御方さまは、受けてお帰りなされましょう。ろうそく一丁、献じられましょう…」という歌声が聞こえてきます。各山鉾ではそれぞれの由来・ご利益に応じてお守りなどの授与品が用意され、粽もそこに並べられ売られています。これらは祭を維持・継承していくための貴重な資金源になっており、この2年、コロナ禍で山鉾巡行が中止になったことで、事前の申し込み制やインターネットを使った通信販売での授与などを行うところも増えました。

粽といえば、50代以上の人なら懐かしく思い出されるのが「粽投げ」。山や鉾の上から囃子方が見物客に向かって投げてくれる粽は、巡行の楽しみの一つでもありました。粽投げの起源は定かではなく、千年以上にわたる祭の歴史のなかでは比較的新しい風習ではないかといわれています。とはいえ、幕末の嘉永元年(1848年)に京都の絵師・冷泉為恭が描いた『祇園祭礼絵巻』には粽投げのようすが見え、長く町衆に親しまれてきたのは確かなようです。

最盛期には鉾や山の上に数千本のちまきが積まれ、新町通など細い通りでは家々の2階の窓へ直接粽を投げ入れるようすや、2階から籠や箱を差し出して束で受け取る姿も見られました。「鉾の近くは背の高い大人がひしめきあってるので、子どもは後ろで大声を上げて囃子方のおっちゃんを呼んだ」「遠くに飛ばすのが得意な囃子方さんがいた」といった思い出は人さまざま。なかには、粽が投げられた瞬間に「チカン!」と叫び、人波がサっと離れた隙に粽を拾う…などという不届きな強者までいたとかいないとか。

観光客が増えるにつれてトラブルも起こるようになり、ついに昭和51年(1976年)、粽が当たって大怪我をする人が出たことで粽投げは自粛となります。復活を望む多くの声に応え、本数制限や投げる場所を限定するなどして復活しますが、昭和57年(1982年)、粽を求めて押し合いになった末、怪我をする人が再び出てしまい、翌年から全面中止となりました。全国でも同様の問題で曳山から護符を撒く風習はどんどんと途絶え、いまでは滋賀県の大津祭などに残るのみでほとんど見られなくなっています。

一方で祇園祭では粽のほかに各山鉾が授与品に工夫を凝らされ、御神体や由来をモチーフにした手ぬぐいや土鈴、クリアファイルなども登場しています。近年では各山鉾をまわる「御朱印」集めなども話題になり、新しい祭見物の楽しみも生まれているようです。

新会員店紹介

四条の新しい顔。
加盟店が続々!

おたからや(買取専門店)
四条通木屋町西入ル北側
梅新京橋不動産(不動産業)
四条通木屋町西入ル北側
☎(06)6790-5000
とろり天使のわらびもち
京都河原町店(和菓子)
四条通木屋町西入ル北側
☎(070)8967-5924
甘蘭牛肉麺(飲食店)
四条通河原町東入ル南側
☎(075)223-8123
ケンズカフェ東京
四条河原町店(チョコレート菓子)
四条通河原町東入ル南側
☎(075)211-6161
スマホスピタル京都河原町
(スマートフォン等修理)
四条通河原町東入ル南側
☎(050)5444-3408
FLICK HAIR SALON
京都河原町店(美容室)
四条通麩屋町東入ル南側
☎(075)366-2507
BRITISH MADE 京都店
(服飾雑貨)
四条通富小路東入ル北側
☎(075)606-5801
Standard Products/
ダイソー京都四条通店
(小売業)
四条通富小路西入ル北側
バーバリー京都
【大丸京都店周辺店舗】
(衣料品)
四条通麩屋町西入ル南側
ブライトリング ブティック 京都
(腕時計)
四条通高倉西入ル南側
☎(075)212-1884
oomiya 京都店
(腕時計)
四条通高倉西入ル南側
☎(075)229-6689
レーサム(不動産業)
四条通東洞院東入ル南側
☎(03)5157-8873
寺内宝飾本店
(宝飾品、雑貨及び時計)
三条通柳馬場西角
☎(075)211-3511

四条おもてなし百彩
四条おもてなし百彩
図絵/『都の魁』京都府立京都学・歴彩館アーカイブより

立売東町(たちうりひがしちょう)

「立売」とは、その字の通り店舗を構えず、路上や軒下などで品物を販売すること。京都市内にはその名の付いた町名や通名がいくつかあり、四条立売は鎌倉・室町時代に市場街として発展した。南北朝時代には四条での立売を禁ずる触書が出た記録もあり、それほど商人たちが力をもち、商売が盛んだったことがうかがえる。


奈良物町(ならものちょう)

西は麩屋町通から御幸町通をはさみ、東は寺町通に出る手前辺り。四条通を中にして南北に位置する奈良物町。古くは平安京の四条大路のこのあたりに旧都・平城京(奈良)から移ってきた人々が住み、奈良のものを商っていたことに由来するといわれている。

四条おもてなし百彩 四条おもてなし百彩

信金とカフェ空間が一体に
好きな一杯でくつろぐ時間

厳選されたアラビカ種の豆だけを使ったこだわりのコーヒーと、バラエティーに富んだドリンクで人気を誇る「スターバックス」。2020年3月にオープンした京都信用金庫本店ビル店は、金融機関とカフェという取り合わせが話題になりました。京信本店のシンボルでもある吹き抜けの大空間ロビーとひと続きになった店舗スペースは、広々としている一方で、通りから一歩奥まった隠れ家のような雰囲気もあり、お気に入りの場所として通うファンも多いとか。モバイルオーダーや無線LANなどサービスも充実しています。

スターバックス コーヒー 京都信用金庫本店ビル店
一歩入ると、四条通の喧騒から離れて広い空間に。

スターバックス コーヒー
京都信用金庫本店ビル店

京都市下京区四条通柳馬場東入立売東町7
京都信用金庫本店ビル1F
TEL.075-366-4060
【営業時間】7:00~22:30
【URL】https://www.starbucks.co.jp

まちの歩みを見つめ続け
四条の発展とともに

立売東町の本社ビルを中心にテナントビルを運営する「株式会社イシズミビル」。四条界隈をよく知る人ならその名を聞いて洋服のショッピングを楽しんだことを思い出す人も多いのではないでしょうか。戦後の四条で呉服商からスタートし、洋傘、洋品を経てファッション、不動産業へ。もののない時代から経済成長期、現代を経て、まちの発展をともに見つめ続けます。

イシズミ本社ビル

イシズミ本社ビル

株式会社イシズミビル
京都市下京区四条通富小路西入ル立売東町14
TEL.075-223-0384

海外からも数寄者が訪れる
京の“目利き”

日常使いや入門編の手ごろな道具から、コレクター垂涎の名品まで、京ならではの目利きが選んだ品がそろう「原田茶具商店」。昭和初期に祇園で創業し暖簾分けで四条のまちに店を構え、多くの数寄者が通います。店内をよく見ると、江戸期の希少な品や現代の名工の作がさりげなく並んでいて、はっと息をのむことも。業界に先駆けてネット販売も始め、若手の三代目自らが手掛けるホームページやインスタグラムは茶道具の魅力を丁寧に発信。ネットを通じてつながった人が海外から四条の店へ足を運ぶことも増えているとか。

原田茶具商店
希少価値の高い古道具も数多く取りそろえる。

原田茶具商店

京都市下京区富小路四条下ル
TEL.075-351-2608
【営業時間】10:00~18:00 水曜定休
【URL】https://www.e-chadougu.com

いつでも鮮度の高い味を
豆の販売コーナーも充実

「ドトールコーヒーショップ」といえば、高品質な豆を国内の自社工場で焙煎し、鮮度の高いコーヒーを楽しめることでおなじみです。京都四条通り店は開店から20年。リニューアルを経て現在は総席数101席あり、早朝から夜遅くまで老若男女を問わず客足がとぎれることのない人気店です。店内には府内最大級のコーヒー豆の販売コーナーがあり、季節のギフトからちょっとした手土産、自宅で“おうち時間”を楽しむ際のお気に入りの味まで、用途や好みにあわせて気軽に購入できます。

ドトールコーヒーショップ京都四条通り店
アイスコーヒーとも相性抜群のジャーマンドック。

ドトールコーヒーショップ
京都四条通り店

京都市下京区四条通麩屋町西入ル 東京海上ビル1F
TEL.075-213-4041
【営業時間】平日7:15~22:00
(土曜7:30~22:00/日曜8:00~22:00)
【URL】https://www.doutor.co.jp

京都のまちで120年
「いざ」という時を守り続けて

今年140周年を迎える「戸田建設」。いまでは歴史的建造物とされている官公庁舎や大学施設などをいくつも手掛け、日本が世界に誇る大規模プロジェクトにも数多く携わっています。意外にも知られていないのが創業者の戸田利兵衛が京都出身の宮大工だったということ。「東京で事業を起こしたあと、京都にも早くから営業所を設け、女紅場の施設など当時の近代化政策に関わる建築物も担当していました」と教えてくれたのは京滋総合営業所の水城英勝所長。四条通にある営業所を拠点に、近年も美術館の新館や京都を代表する企業の開発棟、大学の新校舎など実績を重ねています。

東京海上日動火災保険株式会社 京都支店
京都を支える“Good Company”をめざして。

東京海上日動火災保険株式会社
京都支店

京都市下京区四条通麩屋町西入ル立売東町22
TEL.075-241-1152
【URL】https://www.tokiomarine-nichido.co.jp

いつもの旅を心地よく変える
くつろぎのスマートホテル

2021年6月に開業した「ホテルフォルツァ京都四条河原町」は、必要なものを必要なだけ贅沢に配し、くつろぎと眠りを追求する宿泊重視型のスマートホテル。旅の疲れを癒し、心身ともにリラックス・リフレッシュできるよう多彩なサービスを用意しています。とくに客室はデザイン性だけでなく、使い勝手や居心地にこだわり、30代・40代の女性を中心に高い評価を得ています。「いつもの出張」「いつもの旅」が、いつもとはひと味違う「心地よい旅」になる。そんな工夫ともてなしに出会えるホテルです。

ホテルフォルツァ京都四条河原町
四条の繁華街にあり駅に近い交通至便な立地。

ホテルフォルツァ京都四条河原町

京都市下京区四条通麩屋町西入立売東町25番1
TEL.075-254-8251
【URL】https://www.hotelforza.jp/kyotoshijo

コスメや処方箋受付も
公式アプリ会員募集中!

「マツモトキヨシ京都四条通り店」は、四条麩屋町角の便利な立地にあり、観光の合間や通勤帰りなど幅広いお客様が訪れるお店です。1階は医薬品・日用品売場、2階は化粧品売場でゆっくりコスメを選びたい方にもおすすめです。調剤薬局も併設しており、お買い物の合間に処方箋を受け取ることもできます。
「LINEの友だち追加」やマツモトキヨシ公式アプリをダウンロードすると、お得なクーポンを案内してもらえます。

マツモトキヨシ 京都四条通り店

マツモトキヨシ 京都四条通り店

京都市下京区四条通麩屋町角奈良物町359
TEL.075-211-9566
【営業時間】10:00~21:00 無休
【URL】https://www.matsukiyo.co.jp

質の高い睡眠を
「眠りのプロ」がアドバイス

「杉村屋」は元治元年(1864年)創業の四条でも古参の老舗。四条麩屋町角の旧店舗をテナントビルにし、3年前には西京極に「ねむりのアトリエ」を開きました。より広くなったフロアには最新の機能性寝具やオーダー枕のサンプルがずらりと並び、寝心地を試せるうえに、機能性マットレスの1週間お試しレンタルも行っています。代表の米津博人さんは、質の良い睡眠を追求してふとんアドバイザーや健康指導士の資格を取ったという「眠りのプロ」。単なる販売だけでなく、しっかりとしたカウンセリングやきめ細やかなメンテナンスが評判を呼び、知人から紹介を受けたという人やリピーターが増えています。

ねむりのアトリエ 杉村屋
高価な高機能寝具もお試しレンタルできる。

ねむりのアトリエ 杉村屋

京都市右京区西京極郡町92 エスワンビル1F
フリーダイヤル.0120-68-0150
【営業時間】10:00~18:00 水曜定休
【URL】https://sugimuraya.co.jp

インフォメーション四条

情報誌「四条」のWEBサイトオープン!!

コロナ禍で移動が難しく本誌を手に取っていただく機会が難しい中、遠方の方を含めできるだけ多くの方々にご覧いただきたい思いから情報誌「四条」のWEBサイトを立ち上げました。WEBサイトで58号(前号)より本誌と同じ内容をお楽しみいただけます。(59号(本号)は準備でき次第WEBサイトにアップします。)
WEBサイトの情報を参考に旅の計画を立てられてはいかがでしょう。京都にお越しの際は四条通のまち歩きのお供にもぜひご利用ください。

インフォメーション四条

情報誌「四条」次号発刊について

次号の発行時期につきましては、決まり次第、四条繁栄会のホームページでお知らせいたします。

四条の置いている場所2022年5月現在

四条通で楽しいお買い物 烏丸〜御幸町

烏丸〜御幸町
烏丸〜御幸町
烏丸〜御幸町
烏丸〜御幸町
烏丸〜御幸町

四条の置いている場所2022年5月現在

四条通で楽しいお買い物 御幸町〜先斗町

御幸町〜先斗町
御幸町〜先斗町
御幸町〜先斗町
御幸町〜先斗町
御幸町〜先斗町

編集後記

ようこそ四条へ。
この度は情報誌「四条」をお手に取ってくださり、誠に有難う御座います。
長びく新型コロナウイルス禍で、この2年間、祇園祭りの山鉾巡行も中止されましたが、
どうやら今年は再開される様です。
一方、比叡山延暦寺をはじめ、京都の各社寺が、それぞれに「コロナ疾病退散」のお祈り
をして下さり、これも次第に終息に向うものと信じております。
今年は「都をどり」も久方ぶりに開催され人々の気持も少しずつ晴れやかになってゆくのではありませんか。
おかげさまで、この五月の連休には四条への人出も多く、京都の元気は四条からと思っております。
情報誌「四条」も是非、御愛読下さる様、我々編集員一同これからも、なお一層努力する所存です。

Y.S記

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