四条への手紙

京都経済界
一丸となって

京都商工会議所 会頭塚本 能交

PROFILEプロフィール

塚本 能交(つかもと よしかた)
京都商工会議所 会頭 塚本 能交

昭和23年(1948年)京都府生まれ。同46年(1971年)芦屋大学教育学部卒業後、株式会社ワコール入社。昭和62年(1987年)同社取締役社長、平成23年(2011年)代表取締役会長就任。同年より株式会社ワコールホールディングス代表取締役社長を兼務し、平成30年(2018年)代表取締役会長就任。京都商工会議所議員、副会頭を歴任し、令和2年(2020年)より現職。公益財団法人京都服飾文化研究財団理事長、日本商工会議所副会頭、一般社団法人京都知恵産業創造の森理事長等を務める。

はじめに、新型コロナウイルス感染症により様々な形で影響を受けられている皆様にお見舞いを申し上げますとともに、医療従事者をはじめ、感染拡大防止に取り組む多くの皆様の献身的なご努力に対し、心から感謝を申し上げます。
現在、新型コロナウイルスの感染拡大の影響によって世界的に人・物の動きや経済活動が制限され、京都経済はかつて経験したことのない危機に見舞われています。特に、対面によるサービス提供を基本としてきた小売業や観光業界では、大変厳しい状況が続いております。
貴商店街におかれましては、昭和44年(1969年)に設立されて以来、カード事業の先駆けとなるKICS事業や、アーケードの管理や歩道拡幅など「心地よく歩ける四条通」を目標とした街づくりに取り組まれるなど、京都の最大規模の商店街として、常に先取の精神で幾多の難局を乗り越えてこられました。この度のコロナ禍にあっても、いち早く感染拡大防止対策を講じられ、また、コロナ禍の退散祈願に取り組まれるなど、その行動力に心より敬意を表します。
京都商工会議所と致しましても、コロナ禍にあって、特別融資・補助金など様々な施策に対応するため、経営相談窓口を強化し、中小企業の支援を行っています。また、感染収束に向けた効果が期待されるワクチン接種についても、中小企業への接種事業を推進するとともに、ポストコロナ社会を見据えて、京都のまちや企業が継承・発展させてきた価値を今一度見直し、国内外に向けて輝く京都ブランドを磨き上げることで、一刻も早く元気な京都を取り戻せるように、精一杯努めたいと存じます。
コロナ危機からの回復は長い道のりとなりますが、貴商店街、当所をはじめ、京都経済界一丸となってこの苦難を乗り越えてまいりましょう。
結びにあたり、コロナに負けず、貴商店街の益々のご発展と、貴組合員の皆様のご健勝とご多幸をお祈り致します。

特集グラビア 疫病退散-都人たちの祈り-

開運や商売繁盛、縁結びなど
神仏への祈りはさまざまですが
いま、多くの人が心から願うのは
やはり新型コロナウイルス感染症の
一日も早い終息でしょう。
そこで今回は、私たち日本人と疫病の
歴史を振り返るとともに
京都に数ある名所のなかで、
とくに疫病除けの御利益で知られる
社寺を取り上げ、あわせて深まる秋に向けて
紅葉の見どころもご紹介します。

悪鬼を祓う神々に、救いを願って

古くから私たち人類はたびたび疫病の流行に見舞われてきました。
医学が発達していなかった時代のこと、感染症を引き起こすのは怨霊や悪鬼だと考えられときの為政者たちは国をあげて
神仏に祈りを捧げ、祭を行い、神社や寺院を造営して疫神を鎮めようとしました。
日本三大祭に数えられる祇園祭も、暑い夏にはびこる疫病を祓う神事です。
千年もの長きにわたって都が置かれた京都はまさに祈りの中心地。
いまも疫病除けに御利益のある社寺が数多くあり、信仰が暮らしのなかに根付いています。

鍾馗像
【鍾馗像】 鍾馗は道教の神で、唐の皇帝が瘧(おこり/マラリア)に罹った際、夢枕に現れ小鬼を退治して病を祓ったという説話がある。京都では鬼(瓦)よりさらに強いとして屋根や軒先に据え付ける風習がある。写真は四条通の八坂神社御旅所近くの屋根上。
八坂神社境内にある疫神社の祭神は蘇民将来命

八坂神社境内にある疫神社の祭神は蘇民将来命。
素戔嗚尊から厄除けの茅の輪を授けられ、その子孫であると唱えると、災厄から逃れるといわれている。

「蘇民将来之子孫也」と書かれた八角守

「蘇民将来之子孫也」と書かれた八角守。

八坂神社

「祇園さん」の名で広く親しまれ、日本三大祭の一つ、祇園祭も八坂神社の祭礼で暑い夏に疫病を祓うために受け継がれてきた。境内にはその名も「疫神社」があり、7月31日の夏越祭では茅の輪くぐりが行われる。秋には境内のほか隣接する円山公園の紅葉も見ごたえがある。

  • 京都市東山区祇園町北側625
  • 電話/075-561-6155
  • 拝観/境内自由(社務所は9:00~17:00)
  • 交通/市バス「祇園」下車すぐ
  • 紅葉の見ごろ/11月中旬~11月下旬
八坂神社
江戸初期に再建された八坂神社本殿。
昨年、国宝に指定された。
イメージ
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疫病除けのご利益を訪ねて

比叡山延暦寺横川中堂 元三大師堂

天台宗総本山で世界遺産にも登録される比叡山延暦寺は、本年、宗祖伝教大師最澄の1200年大遠忌を迎えた。山内でもひときわ山深い修行の地・横川は、延暦寺中興の祖・元三大師良源の住坊があったといわれる。横川中堂は秋になると紅葉にひときわ映える。

  • 滋賀県大津市坂本本町4220
  • 電話/077-578-0001
  • 拝観/東塔・西塔・横川共通1000円
    東塔地区/3月~11月8:30~16:30
    西塔・横川地区/3月~11月9:00~16:00
    ※時期によって拝観時間に変更あり。
  • 交通/叡山電鉄「八瀬比叡山口」から叡山ケーブル、
    叡山ロープウェイを乗り継ぎ、「比叡山頂駅」から
    シャトルバス「横川」下車、徒歩10分
  • 紅葉の見ごろ/10月下旬~11月中旬
疫神病除として知られる角大師の護符
疫神病除として知られる角大師の護符は、疫病神と戦う元三大師良源の姿を写しとったものといわれる。
元三大師堂
良源の住坊跡といわれる元三大師堂。

百萬遍知恩寺

浄土宗大本山として知られる百萬遍知恩寺。都で疫病が流行ったときのこと、住職だった空圓上人が7日間にわたって百万回の念仏を唱えたところ病が治まったという。この功績により後醍醐天皇から賜った百萬遍の称号が一帯の地名となった。紅葉の名所、吉田山や真如堂、哲学の道にもほど近い。

  • 京都市左京区田中門前町103
  • 電話/075-781-9171
  • 拝観/境内自由(9:00~16:00)
  • 交通/市バス「百万遍」下車、徒歩約2分
  • 紅葉の見ごろ/11月中旬~11月下旬
百萬遍知恩寺
境内で毎月15日に開かれる「手作り市」は大勢の人でにぎわう。

粟田神社

貞観18年(876年)、疫病を恐れた朝廷が祇園感神院(現・八坂神社)に勅使を送ったところ、祇園の東北に牛頭天王ゆかりの地があり、そこに大己貴神を祀れとお告げがあり、建立されたのが粟田神社。古くは感神院新宮とも呼ばれ、秋の粟田祭に登場する長さ7m超の剣鉾は祇園祭の山鉾の原形の一つともいわれる。

  • 京都市東山区粟田口鍛冶町1
  • 電話/075-551-3154
  • 拝観/境内自由(6:00~17:00)
  • 交通/地下鉄「東山」下車、徒歩約5分
  • 紅葉の見ごろ/11月中旬~11月下旬
粟田祭の剣鉾を模した絵馬
粟田祭の剣鉾を模した絵馬。
粟田神社
粟田神社は高台にあり、市街地や比叡山、愛宕山までの眺望が楽しめる。

紅葉の京都で疫病退散を祈願

今宮神社

神社のある紫野には平安遷都以前から疫社があったといわれ、994年の疫病流行の折、社の神を神輿で船岡山に遷し、紫野御霊会が行われた。このとき綾傘を飾り、お囃子にあわせて鉾を振って疫病を追い立てたのが現在の「やすらい祭」につながる。その後、再び御霊会を営み、1001年に新たに三柱の神を祀り今宮神社が創建された。

  • 京都市北区紫野今高宮町21
  • 電話/075-491-0082
  • 拝観/境内自由
  • 交通/市バス「今宮神社前」すぐ
  • 紅葉の見ごろ/11月中旬~11月下旬
お守りの裏面には毎年4月に行われるやすらい祭のようすが描かれている
お守りの裏面には毎年4月に行われるやすらい祭のようすが描かれている。
なかに「蘇民将来子孫也」と書かれた札が入った「やすらい人形」
なかに「蘇民将来子孫也」と書かれた札が入った「やすらい人形」。
今宮神社
今宮神社の東門を彩る紅葉のグラデーション。門前には二軒の茶店があり「あぶり餅」が名物。

御霊神社

「上御霊さん」の名で親しまれ、桓武天皇の弟・早良親王など政争のため非業の死を遂げた高貴な人々を八柱の祭神として祀り、神霊を慰めている。平安初期、都に流行った疫病を鎮める御霊会を神泉苑で執り行い、これが祇園祭の原型といわれている。

  • 京都市上京区上御霊竪町495
  • 電話/075-441-2260
  • 拝観/境内自由(7:00~日没)
  • 交通/地下鉄「鞍馬口」下車、
    徒歩約3分
  • 紅葉の見ごろ/11月中旬~11月下旬
往時の御霊祭神輿渡御のようすを描いた絵馬
往時の御霊祭神輿渡御のようすを描いた絵馬。
心を鎮める神社として知られ、「こころしずめ」のお守りや“コロナうつ”のお守り
心を鎮める神社として知られ、「こころしずめ」のお守りや“コロナうつ”のお守りが授与されている。
御霊神社
境内はかつて御霊の森と呼ばれ、応仁の乱が起こったときには東軍の陣が敷かれた。

毘沙門堂 勝林寺

東福寺の塔頭で鬼門に当たり、東福寺の毘沙門天とも呼ばれる。軍神である毘沙門天が財運と勝運を授け、邪気から守ってくれるとされることから疫病除けのお守りも授与されている。華やかな御朱印は人気があり、一年を通じて手水鉢に色とりどりの花を浮かべる「花手水」を楽しむことができる。

  • 京都市東山区本町15-795
  • 電話/075-561-4311
  • 拝観/境内自由(10:00~16:00)
  • 交通/JR・京阪「東福寺」下車、徒歩約8分
  • 紅葉の見ごろ/11月中旬~11月下旬
疫病退散と書かれたお守り
疫病退散と書かれたお守り。
粟田神社
一年を通して庭が美しく整えられ、紅葉とともに花手水も楽しみたい。

CLOSE UP MISE

四条河原町のランドマークに家電と
暮らしの殿堂が誕生

エディオン京都四条河原町店

「四条河原町ガーデン」の地下1階から6階にオープン。

  • 京都市下京区四条通河原町東入ル真町68
  • TEL.075-213-6021
  • 【営業時間】10:00~21:00 ※状況により変更になる場合あり
  • 【URL】https://kyoto.edion.com/
店長 金子誠治
「今回開店にあわせて京都に赴任になりましたが、
実は祖母が堺町四条にある千丸屋の生まれで、
四条は親しみ深いまち。 "帰ってきた" という気持ちで
まちに貢献していければ」と店長の金子誠治さん。

まちが、人が、心待ちにした6月のグランドオープン

京の繁華街の中心地の一つ、四条河原町。そこに今年、新たな「まちの顔」が加わりました。交差点の東南角にある「京都河原町ガーデン(京都住友ビル)」。その地下1階から地上6階までのフロアに誕生した「エディオン京都四条河原町店」は、約9553平方メートルという同社最大級の売り場面積を有する大型店舗です。
 当初4月29日の開店予定でしたが、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言を受けて延期となり、解除後に時短営業をスタート。6月25日にグランドオープンを迎えました。昭和51年(1976年)の阪急百貨店開店以降、四条のランドマークの一つとして親しまれてきたこの地は、昨年の京都マルイ撤退後1年を経て、まちの人々の期待に応えにぎわいを取り戻しています。

エディオン京都四条河原町店
小さな子どもたちのための玩具はもちろん、ゲーム機器やプラモデルも充実した地下1階「ネバーランドフロア」。

「きょうのあなたに、きょうのいちばんを」

全国に1000を超えるグループ店舗を展開する株式会社エディオン。戦後まもない時期から高度経済成長期にかけて誕生した第一産業(のちのデオデオ)や栄電社(のちのエイデン)、ミドリ電化社など全国各地の家電量販店が手を結び、幾度かの再編を経て平成14年(2002年)に設立されました。そのなかでも京都四条河原町店は全国で指折りの大型旗艦店。「きょうのあなたに、きょうのいちばんを」をテーマに、地元“京”の人たちの”今日“の暮らしに密着した商品・サービスをそろえ、また”今日“という日に京都を訪れた観光客など多様な人々からも支持される店をめざしています。
郊外型の店舗展開が多い同社にとって「歴史あるまちの、まさに一丁目一番地に店を構えることに対して強い思いがありました」と話してくれたのは執行役員で同店店長を務める金子誠治さん。四条界隈では寺町通が京都随一の電気街としてにぎわっていましたが、近年では専門店が次々に撤退し、電化製品を買うために京都駅あたりまで足をのばす人が増えていました。そんな家電のエアポケットになりつつあったこの地で、人々の暮らしに役に立ち、愛される店をつくっていくことが同店の使命であり目標だといいます。コロナ禍にもかかわらず電球や電池などの身近な生活必需品や電動自転車など地元の人々が購入したと思われる商品の売れ行きが好調とか。人流が半分以下ともいわれる現状のなか、「市場としての四条の高いポテンシャルを感じます」とまちを分析します。

エディオン京都四条河原町店
1階「モバイルライフフロア」では携帯電話やモバイルバッテリー、ワイヤレスイヤホンなどが驚くような品ぞろえで並ぶ。
エディオン京都四条河原町店
パソコン、カメラなどがそろう2階「デジタルライフフロア」。テレワーク関連や、家庭で動画を撮影・編集する機材などが自宅の一角を想定してディスプレイされている。

その人にとっての“最適”を
接客のスペシャリストがアドバイス

四条通から入ってすぐの1階にはスマートフォンや時計が並び、地下へ降りると、四条界隈では最大級のおもちゃ売り場が展開され、玩具やゲーム機がずらり。2階にはパソコン関連商品が充実しており、3階はオーディオビジュアルフロア、4階は美容・健康器具と調理家電などを扱うヘルスケアフロア、5階はエアコンや冷蔵庫などが並ぶシーズンライフフロアに。そして、6階は住宅設備メーカーの展示ブースが軒を連ね、市街地では関西最大級の総合リフォーム展示場になっています。
各フロアには製品の使い方や応用方法などを提案するディスプレイがあり、それらを見て回るだけでもわくわくすること折り紙付き。ネット通販で買い物する人が増える昨今、ここでは実際の商品が試せる「タッチ&トライ」のコーナーも用意されているほか、専門の販売員に直接質問ができ、自分にあった商品をアドバイスしてもらえるのは何よりも最大の魅力です。エディオンでは接客スペシャリストの育成に力を入れており、「老舗の多い四条の商店街と同じく、対面販売ならではの利点を生かしていきたい」とのこと。
四条繁栄会が掲げる「風格と華やぎ」のキャッチフレーズに倣い、店内外の装飾にも京都らしさを取り入れ、京都の糸屋「糸六」の糸巻きをモチーフにした証明器具も採用されています。ほかにも西陣織金襴を使った同店限定商品や老舗料亭お墨付きの日本酒セラー、町家の景観を損ねないエアコン室外機カバーなど、京都の企業と連携した商品をそろえ、オープン記念には永楽屋特製のエコバックも配られました(配布終了・読者プレゼントはP37掲載)。
人と人、まちと店舗がつながりあい、地域に密着した商品・サービスが充実していくことに、今後も期待が集まります。

エディオン京都四条河原町店
大画面のテレビがひときわ目をひく3階「オーディオビジュアルフロア」。とくに高級オーディオのコーナーは仕事帰りのミドル層やシニア層に人気。
エディオン京都四条河原町店
買い物帰りや仕事帰りに相談に立ち寄れることで好評の6階「リフォームフロア」。有名住宅設備ブランドの展示ブースが並ぶ。
エディオン京都四条河原町店
4階「ヘルスケアフロア」。調理家電のそばにキッチングッズを置くなど、顧客の視点に立った陳列がされている。
エディオン京都四条河原町店
5階「シーズンライフフロア」。掃除機の使い心地を実際に試したり、提案型の商品ディスプレイがうれしいところ。
エディオン京都四条河原町店
京都に拠点を置く日本漢字能力検定。6階には大人から子どもまで遊んで学べる展示ブースも。

コラム〜京おんなは知っている、ヒミツの…

イラスト:たつみ まさる

コロナ時代に売る方法

POWER OF ART
イラスト:たつみ まさる

「売り方」が変わり続けている。コロナ禍で非接触販売の方法がどんどん進化しているのだ。今は複数の販売方法があり、顧客だけでなく売主側も戦略的に選べるようになってきた。あなたはいくつの方法を言えるだろうか? もし、店頭販売とオンライン販売しか思いつかないのであれば、今すぐ情報をアップデートする必要がある。

まず店舗による接客販売から、1995年のウインドウズ95の発売を境にして、国内のインターネットによる通販は大きく成長し、今や購入手段として完全に定着した。その結果、参入者にとってEコマース市場は熾烈な競争が繰り広げられ、魅力的だが厳しい市場になっている。しかも、ほとんどの商品やサービスは、あふれかえる情報の中で埋もれてしまい、深海魚のように浮上してくることがない。

そんな中で新しい「売り方」として注目を浴びているのが「ライブ配信」だ。中国ではライブ配信を通じて商品を紹介し、テレビショッピングのようにバンバン販売していく方法がメインだが、日本ではまだそこまで浸透していない。しかし、顧客に長時間の買い物を楽しんでもらえない中、新しく非接触での販売方法を模索しようとライブ配信に活路を見出したことで、思わぬ効果や売上を生んでいる人たちが、実は国内でも続々出てきている。特に日本の市場と相性が良い方法は、コミュニティを作って販売していくライブ配信の形である。

あまり知られていないがCyberZとデジタルインファクトの共同調査によると、2020年のデジタルライブエンターテイメントの国内市場は140億円で、2021年は2.2倍の314億円となり、3年後の2024年には、なんと1,000億円になるとも言われている。ここには、音楽や演劇のほかに集客や販売のための配信も含まれている。5Gの登場と共に、ライブ配信は今後はVRやMRなどとも相まってさらなる成長市場になることが見込まれている。さらに、ライブ配信は情報を伝える広報ツールとしても利用できるだけでなく、街づくりや地方創生にも活用されるようになるだろう。また、就職や雇用でも応用できる。

そのため、昔「店舗で直接見たりせずに、ネットだけで信用して買う人はいない」などと言って、インターネット販売に乗り遅れた人は、今度こそ、今すぐトライすることを検討すべきだ。なぜなら、今の「ライブ配信」は当時のネット販売と違い、コストがほぼ無料であり、スマホ一台あればできてしまうほど簡単で、さらに編集技術もいらないからだ。

イラスト:たつみ まさる

当たり前だが、セールスをするためには、まずは存在を知ってもらう必要がある。観光客などがたくさん京都を訪れてくれていた時は、目の前に来てくれるお客様候補にどう訴求するかを考えれば良かった部分もある。だが、次々と変異株も出てコロナが長引く今、新しい販売方法、広報方法を考えることは、非常に重要だと言える。

実は、中小企業のような小規模事業者や個人事業者とライブ配信は、非常に相性が良い。なぜならライブ配信は、規模は小さくても自分なりの「こだわり」や「哲学」などを持つ人にとって、大きなプラスとして働くからである。しゃべりが上手であるかどうかよりも、その人の「世界観」や「ストーリー」の方が大事であり、それこそが波及するための鍵となる。

ここまで読んで勘の良い人は気が付いたかもしれない。実はライブ配信は「新しいことをやれ」とか「業態変更をしろ」という話ではなく、「売り方」を変えるという話なのだ。そしてこの「売り方」はこれまでのどの方法もよりも、強力に視聴者と心を通わせていける。これまでパンフレットやウェブサイトが担ってきたものが、「ライブ配信」という生の言葉と映像を通じて伝えることで、人がつながり、コミュニティが生まれ、単なる顧客やファンを通り越して、仲間化していく。そして、そこで様々なモノが売れたり、新しいサービスが生まれたり、町おこしが起こる。この分野も市場の成長に沿って、やがて激しい競争にさらされていくだろうが、今はブルーオーシャンだ。だから、今すぐトライすべきなのである。

京都は「こだわり」も「哲学」も「世界観」もある街だ。だからこそ、「ライブ配信」はものすごく相性が良い。京都が再ブレイクする方法。それが「ライブ配信」という最新テクノロジーを活用した「生身」の人、モノ、コトの魅力を伝える最強のツールを使うことなのである。

文:赤城 賀奈子(あかぎ かなこ)
イラスト:たつみ まさる

京都・知れば知るほど

京の食文化・乾板

社寺の多い京都では、それぞれの門前に一服できる茶店や土産の菓子などがあり名物をいただくのもお参りの楽しみの一つです。 なかでも上御霊さんの名で親しまれる御霊神社ゆかりの銘菓といえば唐板。 その起源は平安初期にまで遡り、疫病除けの御利益があるといわれることからコロナ禍を受けて買い求める人もあるとか。 千年の歴史をもつ味が守られてきた背景には門前で暖簾を受け継ぐ老舗の奮闘がありました。

材料の水分量が多いのが唐板の特徴で、「一気呵成につくるのがコツ」と千栄子さん。焼いた際、生地から水分が抜けようとして膨らみ、それがサクサクとした食感を生み出す。表面の白い模様は膨らんだあと。

京の食文化・乾板
御霊神社の境内に茶店を構えていたころ。先の大戦時に夜間、店の明かりがもとで神社に爆撃があってはいけないと門前に移ったとか。
京の食文化・乾板
黒い箱と紫の紐結びがシンプルかつ上品な詰め合わせ。
京の食文化・乾板
大正末期に建てられた現在の店舗。

唐板は小麦粉と上白糖、塩と卵というシンプルな材料でつくられる煎餅菓子。薄くのばした生地を短冊状に切り分け、銅板の上で焼いてつくられます。サクサクとして歯ざわりは軽く、淡い甘さを残してほどけるように消えていく口どけは飽きがこない味。「どこにでもあるようで、どこにもない」と称す人も多く、茶事の菓子としても茶人たちに愛されてきた京銘菓です。

この味を受け継ぐ御霊神社門前の水田玉雲堂は、扱う商品も同じくシンプルでこの唐板のみ。京の人々には「唐板屋はん」と呼び親しまれています。唐板の起源は平安初期の貞観5年(863年)、流行する疫病を鎮めるために御霊会が神泉苑で行われ、このとき神前に奉じられた煎餅を疫病除けの唐板と名付けて人々に授与したといいます。御霊会は応仁の乱のため断絶し、唐板も途絶えていましたが、それを憂いた水田玉雲堂の先祖が古書を頼りに製法を会得し、再興したのがおよそ500年前のこと。以来、世の嗜好に適するよう工夫され、江戸のころにはその御利益とともに味が広く知られるようになりました。

現在、製造を一手に引き受けるのは先代店主の奥様である水田千栄子さん。50年にわたって唐板をつくり続けてきたご主人が亡くなったあと、一度は暖簾を降ろすことも考えましたが、一念発起して休業していた店を3年前に再開しました。最大の難関だったのはご主人がつくる生地の再現。ご主人は一度食べただけの料理を再現するほどの味覚の持ち主で、根っからの職人気質。唐板がシンプルな菓子だけに、気温や湿度に細心の注意を払って配分を変えていました。「それを自分ができるのか当初は不安でいっぱいでしたが、不思議なもので主人が作業場で立てる音を聞くとはなしに聞いていたんですね。そこから記憶を辿って先代の味に近づくことができたんです」。

毎日同じ作業の繰り返しに見えても「もっとおいしくできると思うと面白くて飽きないんですよ」と笑う千栄子さんの奮闘が、ご主人の味と老舗の歴史をいまにつないでいます。

〈取材・資料提供〉

水田玉雲堂

京都市上京区上御霊前町394TEL.075-441-2605

私の四条通り

妊婦さんからシニア、
オリンピック選手まで、
「生涯水泳」で
豊かな人生を。

公益財団法人 京都踏水会
代表理事
檀野 晴一さん

公益財団法人 京都踏水会
左京区聖護院、踏水会南側に位置する琵琶湖疏水の夷川ダムを練習場所として使っていた。
写真は大正2年(1913年)8月19日、武徳会游泳部大演習での障碍物競争。
『踏水会百年史』より。

125年の歴史を有する京都踏水会

京都踏水会は明治29年(1896年)、大日本武徳会游泳部として創設されました。琵琶湖疏水の夷川ダムと呼ばれる舟溜りを練習場に、武芸の一つである日本泳法の修練を目的としていました。日本泳法には海や川、池などの自然環境に合わせた13流派があり、肥後(熊本)細川藩に伝わる“水を踏む”強力な立ち泳ぎが中心の小堀踏水術を採用したことが「踏水会」の由来です。以来125年にわたり、海や湖といった水に縁のない京都の人々に泳ぐ楽しさや泳法を伝授してきました。

昭和39年(1964年)の東京オリンピックでは、日本はメダルが期待されたものの銅メダル1個という結果でした。ヨーロッパを視察した京都踏水会の幹部は「冬でも屋内で泳いでいる、これで勝てるわけがない」と。当時の日本は東京に屋内プールが1つあるだけで、夏の期間のみ練習するという状況でした。京都踏水会では同43年(1968年)に17mの室内温水プールを完成させます。琵琶湖疏水の水質悪化もあり、プールで一年を通じて指導が行われるようになり、その後も25m公認プール、競泳用プール、歩行用プールなど施設を充実させました。

古来より伝わる日本泳法とバタフライ・背泳ぎ・平泳ぎ・クロールの4種近代泳法を合わせて教える水泳指導機関はほかにはありません。また日本泳法を将来へ継承するという公益性から、平成25年(2013年)に公益財団法人に認定された日本で唯一のスイミングクラブです。京都踏水会では「生涯水泳」を掲げ、妊娠されたお母さん方のマタニティコース、ベビースイミング、幼児、小学生、中高生、成人、マスターズなどのコースがあります。水中は浮力があるため足腰に負担がかかりませんし、水の抵抗で筋力もつきます。体力づくりや健康増進、リハビリなどを目的に妊婦さんから95歳のシニアの方まで幅広い世代にお越しいただいています。また競泳、水球、AS(アーティスティックスイミング=旧シンクロナイズドスイミング)、日本泳法といった競技の選手育成のための特別コースも設けています。

公益財団法人 京都踏水会
水泳を通し人生で何かの役に立つ力を培ってほしいと、半世紀以上指導に携わってきた。

水に親しんだわんぱく少年時代

私が水泳を始めたのは小学1年生のとき、近所のお姉さんに「晴ちゃんもいっしょに踏水会に行こう」と誘われたのがきっかけでした。昭和30年代前半、団塊の世代で子どもの数が多く、琵琶湖疏水の夷川ダムでの夏期講習には1万人以上が参加していました。水面は子どもたちでぎっしり、練習時間も長いので、わんぱく少年4~5人でこっそり抜け出すんです。水泳帽を脱いで、裸足のふんどし姿のまま疏水沿いを京都会館から平安神宮、動物園、蹴上のインクラインまで歩きました。インクラインの線路の先に水が勢いよく出ている場所があり、そこへドボンと飛び込んで、そのまま流れに乗って、途中で橋の下につかまって遊んだりしながら、夷川ダムまで泳いで帰ってくるんです。「疏水下り」と名付けて楽しんでいました。プールなどはない時代ですから、夏になると疏水や鴨川の四条大橋あたりでもみんなよく泳いでいましたね。水が綺麗で、四条あたりでは川魚の漁も盛んでした。少年のころから水に親しみ、水泳が好きになり、高校では水泳部に所属して、自由形や個人メドレーで国体選手にも選ばれました。高校卒業後は父の仕事を手伝っていましたが、先輩に「夜だけでいいから子どもたちに水泳を教えてくれないか」と声をかけていただき、昭和45年(1970年)から「これを仕事にしよう」と、それからもう50年以上、京都踏水会で指導をしています。

公益財団法人 京都踏水会
お母さんのおなかのなかから通い始め、ベビー、幼児と泳ぎ続けて、選手の卵になる子どもたちも。

五輪代表など世界で活躍する教え子たち

先ほどもお話ししたように、京都踏水会では水泳を始めたときから日本泳法と近代泳法を両立できるカリキュラムになっているため、子どもたちは自然に立ち泳ぎを覚えます。ASや水球では立ち泳ぎは欠かせませんから、日本泳法ができるのは非常に有利です。オリンピック、世界選手権などで日の丸を背負って活躍できる選手を多数輩出した大きな要因でしょう。今夏の東京オリンピックに出場したASの福村寿華選手、水球女子の塩谷南美選手・橋田舞子選手・山本実乃里選手も京都踏水会の出身です。

バルセロナオリンピックのシンクロナイズドスイミング銅メダリストの奥野史子も私の教え子です。幼稚園から水泳を始め、とにかく負けず嫌いで「オリンピックに出たい」とよく言っていました。体のバネと運動神経が抜群で小学生のころから全国大会で優秀な成績を残すなど頭角を現していました。いまはお母さんになり、娘さんも踏水会でASをやっているので、週2回は顔を合わせています。アトランタ・シドニー・アテネと3つのオリンピックで銀・銅5つのメダルを獲得したシンクロナイズドスイミングの立花美哉、武田美保、彼女たちとアテネでチームを組んだ北尾佳奈子、みんな教え子です。北尾佳奈子はその次の北京オリンピックもめざしていたのですが、あるとき「もう辞めたい」と相談に来たんです。「オリンピックで銀メダルまで取ったのに、これからどうするの?」と聞くと「ショーの世界に挑戦したい」と話してくれました。高い芸術性で世界的な人気を誇るサーカス劇団のシルク・ドゥ・ソレイユのオーディションに合格し、海外の一流アスリートやパフォーマーたちと切磋琢磨しながらがんばっています。競技者としても、拠点であるアメリカ代表で世界選手権に出場して銅メダルを獲得するなど、彼女らしいチャレンジを続けています。

私が子どもたちを指導するときに大切にしていることは、その子にとって何かの役に立つ力を育むこと。私は現場主義なので、子どもたちと目線を合わせて、ときには厳しい言葉をかけることもあります。強い子もいれば弱い子もいますし、1位がいれば最下位もいるわけです。努力しても悔しい思いをすることもあります。それでも途中で挫折せず、諦めずにやり遂げたら、そのがんばりがきっと生かされるときが来ます。「将来、仕事でしんどいとき、親になって子育てに悩んだとき、必ず自分の力で乗り越えられる根性がついているから」と伝えています。

公益財団法人 京都踏水会 檀野 晴一
PROFILE 檀野 晴一(だんの せいいち) 1948年、京都市上京区生まれ。1970年から京都踏水会で指導員として選手育成に携わる。多くのメダリストやオリンピック選手、日本代表選手を指導。国体の水泳京都チーム監督なども歴任。京都踏水会の専務理事などを経て2018年から代表理事。2017年から京都水泳協会会長、現在は名誉会長を務める。71歳で京都踏水会の小堀流10段を取得。愛娘も水球選手として活躍中。

京洛墨彩

【ホン・ひるがえる】

鳥がはねをひるがえして飛ぶ。ひるがえる、ひらひらとする。
物事がひっくりかえる、反対になる。

翻

燃え上がるような黄金色が
ひらひらと翻りながら
散策路に、都大路に
錦を織り成す。
風に枝をふるわせ
ときの流れに姿を変えても
その種子は人から人へ
受け継がれ、
絶えることはない。

秋も深まるころ、道路沿いや社寺の境内に植えられたイチョウの木は鮮やかな黄金色になり、私たちの目を楽しませてくれます。「植えれば孫の代に実る」という意味から公孫樹とも呼ばれ、長寿のシンボルとされてきました。街路樹としてもおなじみですが、実は「生きている化石」と呼ばれ、「野生絶滅種」に指定されているのをご存じでしょうか。

イチョウは恐竜が栄えたジュラ紀にはいまとほぼ同じ姿で世界中に広まっていました。しかし氷河期に絶滅の危機に瀕して中国大陸にわずかに残るのみとなり、やがて人々の手によって栽培されるようになりました。日本には鎌倉時代に伝わったとされますが、現在見られるのは人の手で植栽されたもので、自生のものは絶滅しているといわれています。

京都で有名なイチョウといえば堀川通の並木がその一つ。この堀川通も、イチョウの木と同じく、数奇な運命に翻弄されてきました。平安京造営時は堀川小路と呼ばれ、堀川を挟んで西堀川通と東堀川通がありましたが、第二次世界大戦中、西堀川通は防火帯として沿道の家屋が強制疎開させられ、通りを拡幅。また、かつては友禅流しが風物詩であった堀川も河川整備でほぼ暗渠化されました。平成に入って市民の声から親水公園としての整備が進み、川の流れる景観とまちの歴史を子や孫に伝えようという取り組みがいまも続けられています。

堀川通のイチョウ並木

交通/京都市営地下鉄「今出川」下車、徒歩約10分
市バス9、12、67番「堀川寺之内」下車すぐ

写真田口郁明

コラム四条

コロナは次に進むための神さんからの警告と違いますやろか…

コラム四条

何度も緊急事態宣言が発令されて、「不要不急」の外出が禁止。当然のことやった毎日の出社は在宅ワークに切り変わり、家族や友だちとの会食もできひん、まして、旅行なんてとんでもない。
出かける時はマスクを付けて、帰ったら手洗い、アルコール消毒の励行、コロナワクチンの2回接種も済んだんどす。そやけど、そんな生活ルールもだんだん守らんようになっていたところに、コロナの変異株が猛威をふるい、予想もしなかった爆発的感染。医療現場は逼迫し、とんでもない事態になってしもた。

そやけど、コロナ禍での生活も1年、そしてもうすぐ2年ともなると、慣れというのは恐ろしいもんどすなあ。もう、前の生活には戻れへん。

窮屈なビジネススーツを放り出して、化粧もせんと…。長引くリモートでの在宅勤務も素の自分に戻ったようで、のんびり。正直、ホッとしてる自分がいてるのどす。これまで前年比アップを目標に、有給休暇もあんまり取らんと、モーレツにがんばって働いてきたんやけど、あれはいったい何やったんやろ。もう頑張らんでもええんやと…。コロナが教えてくれたようにも思うんどす。

とは言うものの、直接人と会われへん寂しさはあります。そやさかい、人と会うて話をすることの大切さがわかったんどす。これから世界は、日本はどうなるんやろか、どう生きたらええのんか、本音を語り合える人と深く語りたいという想いが何でこんなにあふれ出てくるんやろか…。

コラム四条

バブル崩壊以後のこの30年。グローバル化が進む一方で、少子高齢化社会の日本は経済が低迷して、マイナス成長。大震災、度重なる大型台風による風水害、コロナによるパンデミックなどの有事にまったく太刀打ちできひん、機能不全。リスク管理のできひん社会を創り出してしもた。

コロナ禍でのオリンピックもとりあえず開催できたけど、良かったんか、悪かったんか、なんかようわからへん。最後の最後までゴタゴタしてたし、日本のおじさんの男尊女卑、性差別に世界も驚いた。私も含め日本人の人権意識の低さを露呈したようで恥ずかしい。そやけど、これが現実どすなあ。世界は大きく変化しようとしてるのに…。戦後、急激な経済成長で奇蹟のように、復活した日本やさかい、何もかも、今度は確実に積み重ね、全てもう1回ゼロから始めんとあかんのと違いますやろか。

限られた地球環境の中で、無限の豊かさを追求するのは不可能やし、無意味どす。サスティナビリティ、再生可能な社会をめざすことが大切やと、世界でいろんな取り組みが始まってますもん。もう、元には戻れへんのやから、これをきっかけに、人びとが豊かさをわけあえる幸せな国にしたいもんどす。

コロナ禍で学んだことは沢山ありました。なんかわからんけど変わらんとあかん。このままではあかん。コロナは神さんからの次のステージに進むための警告と違いますやろか。

京野優女(きょうのやしょうめ)

京都漫歩

五条大橋

●作者プロフィール
辰巳 優(たつみ まさる)

  • 1951年 (昭和26年)京都生まれ
  • 1992年 読売国際漫画大賞優秀賞
  • 1993年 ユーモア広告大賞ビジュアル賞
  • 1994年 飛騨高山漫画フェスタ入賞
  • 1998年 長野五輪四文字熟語漫画最優秀賞

京の五条の橋の上、
武蔵坊弁慶が
疫病退散に
自慢の長刀振り払い、
鬼の形相仁王立ち。
牛若丸も応援に、
背中に飛び乗り
安鎮の願掛け
流麗な舞を披露する。
一心に願うは諸行平常の世の中に、
力を合わせて臨むれば、戻るその日は近かりし。

四条の道具

スタッフが自らの言葉で綴る「手描きPOP」
作り手と売り手、使う人をつないで。

四条の道具

店頭の至るところで客を出迎える手描きPOP。商品の特徴はもちろん、使ってみた感想などが書かれているものもあり、とても参考になると好評。

四条の道具
コーナーの担当者が仕入れから陳列、POPのデザインまでを行う。
写真は京都在住のデザインユニット「COCHAE(コチャエ)」の風呂敷。
ものを包んだときに絵が完成する面白さが人気。
四条の道具
四条本店2階のキッチングッズ売り場。一見、ところ狭しと商品が並んでいるようでいて、手にとりやすく、選びやすい陳列が工夫されている。

さまざまな大きさの色画用紙に、丁寧に書かれた手描きの文字。ときに品物の特徴や使い方を伝え、ときに作り手の思いを代弁するPOPは、雑貨店「イノブン」でおなじみの店頭アイテムだ。
京阪神を中心に14店舗を展開する株式会社イノブンは四条河原町に本拠地を置いている。文化11年(1814年)に紙業として創業し、戦後は井上文具店の名で親しまれた。ちょうど先の東京オリンピックが開催された昭和39年(1964年)に雑貨ショップに転業し、名前も井上文具店から「イノブン」とした。
以降、取り扱う商品はステーショナリーからファッション、ファブリックや家具、小物などのインテリア、キッチン用品、リラックスグッズなど多岐にわたっている。洗練されていて、かつ親しみやすい商品セレクトと、足を運ぶたびに入れ替わっているラインナップ、提案性のあるディスプレイと丁寧な接客で人気を集めてきた。店舗そのもののデザインテイストが好きというファンも多く、「ぜひ我が家をイノブンさんのようにしたい!」という要望からインテリアデザインセクションを設立。いまでは新築戸建てやリフォームも手掛けている。

前述の店頭POPについて詳しく尋ねると、専従の制作スタッフがいるのではなく、それぞれのコーナーごとに接客担当者が手作りしているという。「POPだけではなく、ディスプレイの演出はもちろん、自分のコーナーにどんな商品を置くかを決め、メーカーと交渉したり、ギフトセットなどの組み合わせを考えたりするのもそれぞれの担当者なんですよ」と教えてくれたのは四条本店スタッフの外間麻貴子さん。しかも、それらの業務は社員に限らず、主婦パートタイマ―や学生アルバイトにも任せられるというからさらに驚かされた。POPには商品紹介にとどまらず、実際に購入し、使ってみた感想が書かれているものも多い。「お客様に日々接しているスタッフは、いまどんなものが売れているか、その理由やもう少しこうすれば売れるのでは、といったことを肌で感じています。それを商品セレクトに生かしたいという思いから生まれた販売スタイルなんです」。
地元京都の手仕事にも目を向け、積極的に店頭で販売したり、コラボ商品の開発にも力を入れてきた。売り手であるスタッフの商品への思いが強いからこそ、それが買い手にも伝わり、心をひきつける。イノブンの息の長い人気の秘訣を象徴しているのが、この手描きのPOPといえるだろう。

四条の道具
紙業として文化11年(1814年)創業。写真の撮影時期は不明だが、「井上商舗」「萬国産紙和洋式諸帳簿」の文字が見える。
四条の道具
戦後間もないころの店頭のようす。

株式会社イノブン
イノブン四条本店

京都市下京区四条河原町
西入ル御旅町26
TEL.075-221-0854

四条昔語り

このまちにまつわるエピソードを綴る昔語り。まだ人々の記憶のうちに留まっている思い出からまちと人の歩みを語り継ぎます。

”ハレ  “あれば ”ケ  “あり。華やかな祭の表舞台と舞台裏。

四条昔語り

明治28年(1895年)、平安遷都千百年を機に平安神宮が岡崎に創建され、それを奉祝し市民をあげて始められた時代祭。
写真は平成23年(2011年)の行列で、御所を出発する行列の中ほどに筆者。このあと肝の冷える出来事が待っていようとは…。

ハレの日は一夜にして成らず

秋の京都といえば心待ちなのは何といっても10月22日に行われる三大祭の一つ、時代祭だろう。維新勤王隊の勇ましい鼓笛を先頭に、時代ごとの装束をまとった行列が明治より平安時代へと遡っていき、その変遷を間近に見ることができる。昔は御所から烏丸通を南下し、四条通から東に進んで河原町通から三条、平安神宮へと道のりを辿っていたが、祭の観光化に伴ってルートが変更され、いまは御所を堺町御門から出て烏丸通、観覧席が設けられた御池通、三条通を通って平安神宮に向かう。
 この祭は市民参加型で、学区ごとに十数年に一度お役が回ってくる。私ども四条からも平成23年(2011年)、まちが属する学区が輪番となったことでお役に付くことになった。しかもお任せいただいたのは人気の「織田公上洛列」。信長公が正親町天皇のお召しに応じて兵を引き連れ上洛するようすを再現したもので、立入宗継を先頭に羽柴秀吉、丹羽長秀、信長公、滝川一益、柴田勝家と続く。ここまで書いてお察しの方もあろうが、実は私のペンネーム滝川一はこのときに滝川一益公役で行列に参加させていただいたことに由来している。乗馬の経験を買われ、ありがたくも騎馬武者のお役を拝命することができた。
 騎馬武者は6名だが、紋付袴で行列に加わる役員も含めれば町内だけで20名、従者役のアルバイトを入れると50名近い大所帯となる。もちろん衣裳や馬は用意していただけるが、これだけの人数の準備を考えると町内の持ち出しもかなりの額だ。そこで我が学区では前回のお役目のあとから18年、毎年コツコツと時代祭のために積み立てを続けていた。おかげで武者役の私ですらわずかな負担金だけで済ますことができた。ハレの日を存分に務めるために、常(ケ)は倹約するという、いかにも京都人らしい仕組みが自然と生まれ、舞台裏でひっそりと受け継がれているのだ。ご奉仕の信心も、祭を楽しむ遊び心も、何事も皆が本気で当たるからこそ続いていくのだろう。

四条昔語り
町内のお仲間とともに、3度の乗馬練習を行い、準備も万端に。
四条昔語り
装束の着付けは数人がかり。衣裳合わせの当日は山岳部の後輩たちが赤飯に酒をもって激励に来てくれた。幾枚も記念写真を撮り、まさに七五三もかくや。

馬上から望む都大路

四条昔語り
いざ馬上へ。兜は思った以上にずっしりと重く、頭をしゃんと起こしているのも一苦労。

時代祭が行われるのは10月だが、当時の資料を振り返ってみるとその年の5月を初回に町内の会議が4度ほど行われており、その間、細々とした決め事や乗馬の練習、衣裳合わせなど幾度となく皆で集まったことを覚えている。とくに乗馬は淀の競馬場を借りた訓練があるほか、うちの学区では私が通う乗馬クラブで改めて念入りに練習した。
 ところが、である。雨天順延となった10月23日の祭当日。私にあてがわれた馬がなんとも落ち着きがない。12キロもある甲冑を付け、慣れない和鞍ということもあって私もいささか不安に感じつつ馬上に上がったところ、いきなり馬がハネた。なんとか落ち着かせたが問題は御所を出る堺町御門だ。静かな場所から狭い門をくぐって車道へ出るため、噂ではここで落馬する人が出るという。経験者としてはそれだけは絶対に避けたいと願いつつ門へ向かうと、案の定、馬が暴れ出して棒立ちに…! 私は必死で首へしがみつく有様となったが、神のご加護なのか落馬は免れた。私も恐ろしかったが、それを真後ろで目の当たりにした乗馬初心者の柴田勝家公は「もし自分なら落馬必至」と心底肝が冷えたと後々おっしゃっていた。
 その後もずっと馬は落ち着かず「オーラオーラ」と声をかけ、首をさすってなだめつつの行進となった。途中、三条通で馬の右前脚の蹄鉄が外れかけていることがわかり、不安定な理由がようやくわかった。しかも馬の口を取ってくれている二人に話を聞けば、当日呼ばれて来ただけで馬に関してはほとんど素人というではないか。信頼しきって綱を預けていただけに、七十五年の人生のなかでこれほど背筋がぞーっとしたことはなかった。後日、信長公を祀る建勲神社に一人で御礼のお参りにうかがった。
 馬のご機嫌取りに終始してしまった感のある私の時代祭顛末記だが、それでも馬上から見た都大路は格別であり、沿道から寄せられる歓声は何ものにも代えられない経験だった。
 昨年に引き続き、今年も祭の中止が決まり、ご準備に奔走されていた皆様の無念を思うと我がことのように心が締め付けられる。憎き疫病が退散し、来年こそ秋晴れの都大路に華やかな行列が巡行することを祈りたい。

[文/四条繁栄会商店街振興組合・滝川一]

四条問わず語り

鉄道マニアである父の思い出

参考にと頂いた「きょうと・しじょう」のバックナンバーを読んで、祇園祭と市電の話が多いことを知って、私は四条寺町と四条堀川他でカメラ店を開いていた父に昔の四条通を語ってもらおうと、久しぶりに実家に帰ってきました。これからのお話は鉄道マニアの父の思い出話です。
「東京オリンピックの前年1963(昭和38)年6月17日に阪急電車の四条河原町までの延伸が完成したんや。天神橋から大宮までは、その35年前に京阪電鉄が開通させてた(当時は「京阪電鉄新京阪線」と言ったらしい)。
この工事は「オープンカット方式」で行ったから、四条通は鉄板を敷いて、その上を市電が走るという大工事やった。そのために祇園祭は山鉾巡行が一年中止されて居祭になったんや。鉄板敷きの四条通では渋滞とスリップ事故がよく起こったことを覚えてる。
祇園祭の時は市電が邪魔者扱いされてね。祇園-四条大宮間は運休になって、市電の架線が四条新町と四条烏丸、烏丸御池で切断されたんや。だから烏丸線の烏丸御池や四条烏丸では巡行の直前に市電が惰力走行で御池通と四条通を横断したんやで。車掌がビューゲルを引き下げながら加速を付けた市電が一気に大通りを渡るのは大迫力!でも直前の横断などで急ブレーキをかける立ち往生もあって、その時は待機していた交通局員や警察官が人力で押したんや。懐かしいなぁ。」と少々興奮気味に語ってくれました。なお、ビューゲルが何かは謎のままです。

株式会社コロナ
代表取締役 田野城 智隆

開通当日の四条大宮 四条問わず語り

四条通とともに70年~
これからも「ながーい、おつきあい」

四条問わず語り

私が四条支店に着任したのは、一昨年の祇園祭。四条通はアーケードに提灯がぶら下がり、お祭りムード満載。弊社では本店をはじめ数カ店の支店で祇園祭に女性行員が浴衣姿でお客様をお出迎えするのが恒例の行事です。四条支店への転勤が決まり、祇園祭には支店長も浴衣姿でと前任の支店長から聞かされ、真面目な私はすぐに人生初の浴衣を新調、ところが山鉾巡行当日所用があり、当日は浴衣を着ることができず、女性行員とはスーツ姿での写真撮影となりました。
着任時に新調した浴衣に袖を通すのが願いでしたが、新型コロナウイルス感染症の影響により昨年、今年と山鉾巡行が中止となり、未だ浴衣着れず状態。来年は浴衣姿でお客様をお迎えしたいと思っております。
また、祇園祭と同様に四条通では、毎年1月に蛭子船の巡行がございます。福娘が店舗内に入ってきて福笹を受け取るのですが、昨年は当店から公募で選ばれた行員が福娘となり、商売繁盛の願いを込めた口上とともに福笹を受け取った時は、この四条でしか味わえない貴重な体験をさせていただいたと大変感謝しております。祇園祭山鉾巡行、蛭子船の巡行と来年こそは、新型コロナが収束し開催されることを祈っております。

四条問わず語り

当店は昭和26年四条東洞院に開設後、昭和38年四条御幸町の現在の地へ移り、今年開店70周年を迎えます。様々な祭りの風景をお客様と一緒に見守ってこられたこと、あらためて、四条通との「ながーい、おつきあい」に感謝の気持ちで一杯です。こんな時代だからこそ、少しでも地域の皆様のお役に立てるよう、また、新たな未来を創造することが私たちの使命であり、今後もこの四条の経済を回復、活性化させるべく努力してまいります。

京都銀行 四条支店
支店長 柏原 光雄

コラム〜歌舞伎のまち・四条

『戻籠色相肩』

駕籠かき二人の東西廓自慢果たしてその正体は…

『戻籠色相肩』
紫野、今宮神社門前の紅葉。
南座公演ラインナップ

●お問い合わせ/京都・南座
TEL.075-561-1155
●一般電話予約/チケットホン松竹
TEL.0570-000-489(ナビダイヤル)
またはTEL.06-6530-0333

ナビダイヤルは一部交換機種などの設定によってはかかりません。
(受付時間/10:00〜18:00)
※この情報は2021年9月20日現在のものです。
変更になる場合があることをご了承ください。

舞台となるのは洛北・紫野。背景には華やかな菜の花や桜、または紅葉の紫野が描かれます。初演は天明8年(1788年)で、作詞は初世桜田治助、作曲は鳥羽屋里長の舞踊劇。もとになったのは、元禄11年(1698年)初演の「傾城浅間嶽」の駕籠かきの場といわれています。

舞台上には駕籠を担いで出てきた男が二人。色黒のいかつい男は大坂の駕籠かき「浪花の次郎作」、色白の優男は江戸出身の「東の与四郎」。駕籠の客は、禿と呼ばれる遊女見習いの少女・たよりで、島原遊郭の太夫に届けものをするところです。
ひと休みにと駕籠が止まったため、ここはどこかとたよりが訪ねると「紫野」との答え。そこでたよりは「あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る」と万葉集の歌をそらんじてみせます。
次郎作と与四郎は感心したり、ませたものだと呆れたりで、たよりに島原のようすを聞かせてほしいと頼みます。そして、お返しとして東西の遊郭について話し出しました。
競うように廓自慢を始める二人のようすが常磐津で語られ、華やかな踊りが繰り広げられたところで、二人の懐から何かが落ちます。次郎作からは「連判状」、与四郎からは「千鳥の香炉」。いずれも一介の駕籠かきが持っているはずのないもので、お互い一度はごまかしますが、互いに再び奪い取り、双方「名を名乗れ」と詰め寄ります。
芝居上では名乗り合いませんが、実は次郎作の正体は石川五右衛門で、与四郎は真柴久吉(羽柴秀吉)。一触即発の二人をたよりがとりなし、「また会ったら戦おう」とにらみ合うところで幕となります。

多彩な踊りと世話物らしい庶民的なやりとり、また二人の正体がわかる後半の展開など見どころの多いこの人気舞踊。つくられた当初は、上方にしばらくいた大物の役者が江戸に戻った際、江戸側の大物役者と共演するための挨拶の舞台として設定されたものだったとか。戻籠という演題には役者が「戻った」という歓迎の意味合いも含まれていたようです。

懐かしの四条

四条のまちの、いま昔。セピア色の懐かしい写真で綴る思い出ミュージアム。

市電が通り、洋館が立ち並ぶ
四条河原町のにぎわい

懐かしの四条
【写真①】写真中央を貫くのは四条通。大正15年(1926年)竣工の東華菜館から撮影されたものと推察され、昭和初期の四条通を東から西に向かって撮っている。四条河原町の西南角(写真中央左寄り)に本家常久と池善化粧品店の洋館が見え、アーチ窓の洋館の奥に見えるドーム塔は藤井大丸。(絵葉書資料館蔵)
懐かしの四条
【写真②】昭和11年ごろの四条河原町。中央は河原町通で、南側から北に向けて撮影したもの。四条通との西角と東角には、写真①で建設中だった洋館が完成している。(京都府立京都学・歴彩館蔵/黒川翠山撮影写真)
懐かしの四条
【写真③】今年6月、エディオン京都四条河原町店がグランドオープンした四条河原町。

四条河原町といえば、四条通と河原町通の二つの大通りが交わる交差点名であり、そこを中心に広がる京都随一の繁華街を指す呼び名としても親しまれています。ショッピングや交通の拠点であるとともに、祇園祭ではハイライトの一つ「辻回し」の舞台ともなり、今年6月にはエディオン京都四条河原町店がグランドオープンしたことでも話題を呼んでいます。しかし、この交差点がまちの中心の一つに数えられるようになったのは、京都の長い歴史のなかでいえばごく近年といえます。

まちを東西に通る四条通は、四条大路として平安京の建都当初につくられましたが、河原町通は古くは都の域外にあたりました。安土桃山期に豊臣秀吉が築いた「御土居」の東側の外を沿うように走る通りがあり、河原町通は秀吉の時代以降、江戸初期ごろに開かれたのではないかといわれています。一帯が大きく変わるきっかけとなったのは、江戸初期に角倉了以・素庵親子が手掛けた高瀬川の開削でした。電車や自動車など大型移送の手段がなかった時代、人やものを運ぶのは船であり、それがまちの中心地まで入ってこられるようになったことは都の交通インフラにとって大改革でした。寛文(1661~1673年)期、鴨川に新たな堤防が築かれると御土居は取り壊されて家々が立ち並ぶようになり、まちはさらに大きく発展していきます。

ただ、当時の四条通や河原町通はいまのような広い道幅ではなく、南北の通りでいえば河原町通よりも高瀬川沿いの木屋町通が大いににぎわっていたようです。明治28年(1895年)に開業した京都電気鉄道は木屋町を通っており、京都市電になったあとも四条通と木屋町通の交差点にある「四条小橋」の駅はまちの玄関口のひとつでした。明治45年(1912年)、四条通が拡幅されて市電四条線が開通した際も、四条小橋が当初の発着駅でした。

懐かしの四条

四条通のランドマークが四条小橋から四条河原町にとって代わったのは、大正15年(1926年)の市電河原町線の開通が契機でした。電車を通すために道幅が拡げられ、昭和に入るころには交差点に点滅式の信号灯が京都ではじめてお目見えしました。新しい通りにあわせていくつもの洋館が建てられ、昨年惜しまれつつ閉店した「池善化粧品店」もその一つ。四条河原町南西角にある池善化粧品店のビルは昭和5年(1930年)の竣工です(写真①の中央左に見える白いビル)。その隣、現在の髙島屋京都店正面玄関のあるあたりに昭和初期に建てられたアーチ窓の洋館は、老舗刃物店「本家 常久」です。両店とも道路の拡幅にあわせて移転や減床を余儀なくされましたが、ひときわ目をひく洋館が交差点に並んだことで四条河原町は近代的なまちとして知られるようになり、繁華街の中心になっていったのでした。

戦後の昭和25年(1950年)には、四条河原町西南角に髙島屋が出店し、昭和38年(1963年)に阪急電鉄が四条河原町へ延伸して昭和51年(1976年)に阪急百貨店が開店。昭和52年(1977年)にはまちから市電の姿は消えましたが、平成27年(2015年)、歩道拡幅で「歩くまち」として整備され、四条通はいままた新たな一歩を踏み出しています。

四条おもてなし百彩

立売中之町 (たちうりなかのちょう)

「立売」とは、その字の通り店舗を構えず、路上や軒下などで品物を販売すること。京都市内にはその名の付いた町名や通名がいくつかあり、四条立売は鎌倉・室町時代に市場街として発展した。南北朝時代には四条での立売を禁ずる触書が出た記録もあり、それほど商人たちが力をもち、商売が盛んだったことがうかがえる。

立売中之町 立売中之町

専属指導で結果にコミット
駅近の完全個室レッスン

個々に合わせて徹底的に作り込まれた専用プログラムと専属トレーナー、独自のメソッド、そして周りの目を気にせず集中できる全室高性能シミュレーター付きの練習環境で知られる「RIZAP GOLF」。大丸前にある京都店は「伝統あるまちで、それを守り続ける方々の“上達したい”“始めたいけれど一歩踏み込めない”という声にお応えし、ゴルフの楽しさと技術をコミットするお力になりたい」と2017年にオープンしました。
駅から近く、空いた時間にレッスンが受けられることも好評で、毎月、練習会やコンペも実施されています。

RIZAP GOLF 京都店
ウエアや道具がレンタルでき、手ぶらでも練習できる。

RIZAP GOLF 京都店

京都市下京区四条通高倉東入ル立売中之町85
三菱UFJ信託銀行京都ビルB1F
TEL.0120-063-700
【営業時間】7:00~23:00
【URL】https://www.rizap-golf.jp

地域密着で資産運用を
サポートする老舗証券会社

通りに面して設けられた株価の電光掲示板。その前に足を止めて見入る人の姿は四条のまちのおなじみの風景です。「岩井コスモ証券」といえば、大正6年(1917年)創業の100年以上の歴史をもつ老舗証券会社。京都にも早くから支店を設け、現在の場所に移ったのは昭和37年(1962年)のこと。百貨店や飲食店が立ち並び、オフィスビルが集まる便利な立地にあることから、出かけたその足で来店する人も多く、地域の良きアドバイザーとして信頼を集めてきました。国債、投資信託など、お客様のニーズに応える商品をそろえ、多彩な講師を招いたオンラインセミナーも人気。10月29日までは「LINEスタンプキャンペーン」も実施中です。

岩井コスモ証券京都支店
交通至便な立地で、最近は若い顧客層も増えている。

岩井コスモ証券京都支店

京都市下京区四条通高倉東入ル立売中之町91
TEL.075-221-7671
【営業時間】9:00~16:00(電話8:30~17:00)
【URL】https://www.iwaicosmo.co.jp

食事に、カフェタイムに
ひと休みをより楽しく

1969年にアメリカで創業し、いまや世界26カ国に6000店舗以上を展開するウェンディーズ。2016年には日本のファーストキッチンとコラボし、「品質に手を抜かない」という創業以来のこだわりと、日本ならではの丁寧なおいしさづくりで知られています。京都大丸前店は繁華街・オフィス街であるこの地で息の長い人気を誇る店。ファーストフード店ながら、ゆったりと過ごせる雰囲気に常連客が多く、バーガーだけでなくパスタやカフェ利用もおすすめです。携帯クーポンを利用してお得に楽しんでみてください。

ウェンディーズ・ファーストキッチン京都大丸前店
喫煙ブースやフリー電源があるのもうれしいところ。

ウェンディーズ・ファーストキッチン
京都大丸前店

京都市下京区四条通柳馬場西入ル立売中之町92
TEL.075-253-3301
【営業時間】8:00~22:00
【URL】https://wendys-firstkitchen.co.jp

「共存共栄」を大切に
街の活性化の一翼を担って

国内でもトップクラスの規模を誇るSMBC日興証券が四条通に店を構えたのは昭和19年(1944年)。開業時から変わらず「共存共栄」の価値観を大切にしながら、お客様とともに発展し信頼を得られる会社をめざし、さまざまなニーズに合った商品やサービスを提供しています。
投資が気軽に始められるようオンラインで口座開設や少額から取引ができる「ダイレクトコース」も用意。「ご自身に合った資産運用によって、四条通でショッピングをさらに楽しんでいただきたい」という井口支店長。街の活性化に一翼を担っています。

SMBC日興証券京都支店
落ち着いた雰囲気で、プライバシーに配慮したブースも。

SMBC日興証券京都支店

京都市下京区四条通堺町東入立売中之町96
TEL.075-251-6211
【営業時間】窓口/平日9:00~15:30
【URL】https://www.smbcnikko.co.jp

京都の近代化も担った
創業140年の建設企業

今年140周年を迎える「戸田建設」。いまでは歴史的建造物とされている官公庁舎や大学施設などをいくつも手掛け、日本が世界に誇る大規模プロジェクトにも数多く携わっています。意外にも知られていないのが創業者の戸田利兵衛が京都出身の宮大工だったということ。「東京で事業を起こしたあと、京都にも早くから営業所を設け、女紅場の施設など当時の近代化政策に関わる建築物も担当していました」と教えてくれたのは京滋総合営業所の水城英勝所長。四条通にある営業所を拠点に、近年も美術館の新館や京都を代表する企業の開発棟、大学の新校舎など実績を重ねています。

戸田建設株式会社京滋総合営業所
営業所が入居する四条通のビルも同社の建築。

戸田建設株式会社京滋総合営業所

京都市下京区四条通柳馬場西入ル立売中之町99
四条SETビル5階
TEL.075-223-1077
【URL】https://www.toda.co.jp

まちとともに歩んで100年
信頼される関係をめざして

遡れば、前身である日本勧業証券京都支店が四条通に開業したのは大正11年(1922年)12月のこと。以来、100年近い歳月を京都の中心地である四条とともに歩んできました。地元の人々はもちろん、このまちに通勤する人、事業を営む人などさまざまなお客様のニーズや特性に応じて、株式、債券、投資信託、ラップサービスなどあらゆる金融商品を提供しています。
お客様や市場、社会から最も信頼され、必要とされる証券会社を目指し、グループ一体となってさまざまな金融ニーズに対応している同店。気になる商品、困ったことなど、気軽に相談してみてはいかがでしょう。

みずほ証券株式会社京都支店
四条通から一歩入ると広々としたロビーが。

みずほ証券株式会社京都支店

京都市下京区四条通柳馬場西入ル立売中之町99
TEL.075-231-8881
【営業時間】9:00~15:30
【URL】https://www.mizuho-sc.com

旅の心強いアドバイザー
相談は四条通ビル2階受付へ

「赤い風船」等のブランドでおなじみの「日本旅行」。京都四条支店は長らく四条通沿いで気軽に立ち寄れる店舗として親しまれてきましたが、昨年1月からビル2階にカウンターを移設し、予約制を導入しています。
ネット販売が主流となりつつあるいま、対面による旅の相談や要望に応じたオーダーメードの旅の提供等ゆっくり相談できる環境が用意されています。
「SDGs宣言」によりSDGsを推進している旅行会社として、同支店はペーパーレスに取り組み、Webでのサービスを充実。個人旅行はもちろん、研修や学会のバスや宿の手配等団体・法人の要望にも応えてくれます。

日本旅行京都四条支店
オーダーメイドのプランもゆっくり相談できる。

日本旅行京都四条支店

京都市下京区四条通柳馬場西入ル
ニッセイ四条柳馬場ビル2F
TEL.075-223-2311 ※予約制
【営業時間】10:00~18:00 日・祝・水曜定休
【URL】https://www.nta.co.jp

自粛疲れに、運動不足に
サロンで心と体を解放

2008年のオープン以降、学生からシニア世代まで、幅広い顧客層が通うエステティックサロンとして定評を得ている「ミス・パリ京都店」。人気は心も体も解放してくれると話題の「サーモアタックエナジー」で、長い自粛期間で太った、代謝が落ちて冷えを感じる、体が重くてだるいといった声に応えようと開発され、利用する人が増えているとか。
お客様の声にじっくり耳を傾け、悩みの解決に取り組むことこそ喜びにつながるという思いのもと、お客様の健康を考え、寄り添い、満足してもらえるサービスを提供していきたいといいます。同ビル5階では男性専用の「ダンディハウス」も営業中です。

ミス・パリ京都店
ゆったりくつろげる空間で、悩みを解消。

ミス・パリ京都店

京都市下京区四条通柳馬場南西角立売中之町105
ISEビル京都3階
TEL.075-221-0261
【営業時間】平日11:00~21:00 土日祝10:00~19:00
【URL】https://www.miss-paris.co.jp

新料金の乗り換え先No.1!
すべての人に最適なプランを

楽天モバイルをはじめとした“楽天ファン”を増やすため「京都の一等地にショップを」と、昨年2月に京都四条通店がオープン。顧客層は老若男女幅広く、家族での来店も多い。また学生や留学生の来店も多いのは、大学のまち京都ならでは。楽天モバイルでは第4のキャリアとしてほかに引けをとらない携帯端末ラインナップを揃え、他社では格安プランがオンライン契約中心であるのに対し、よりリーズナブルな価格で対面契約を行っています。どんな人にも安心できる契約を、という思いでこれからも出店を増やしていく予定です。

楽天モバイル京都四条通店
四条通柳馬場南西角でひときわ目を引く。

楽天モバイル京都四条通店

京都市下京区四条通柳馬場南西角立売中之町105
ISEビル京都1階
【営業時間】10:00~20:00 ※受付は19:00まで
【URL】https://network.mobile.rakuten.co.jp

編集後記

 情報誌「四条」58号をお読みいただきありがとうございます。
1年間延期されていた2020年東京オリンピック、パラリンピックも無事に開催され日本は過去最多のメダル数を獲得し歓喜のなか、終了しました。
これから京都は秋の行楽シーズンに入ります。今号では京の秋を楽しむ方法を多数掲載いたしました。そのなかの1つとして「疫病退散 都人たちの祈り」という特集を組んでいます。私自身京都生まれ京都育ちなのにこれだけ京都には疫病の蔓延、その退散に御利益がある社寺が沢山あることを改めて知ることができました。お読みいただいたあとこの雑誌を片手に京の秋の行楽へお出かけいただければ、また違った角度からお楽しみいだけると思います。そして新型コロナウイルスに打ち勝ち、元気な京都が戻ってくることを期待して編集後記とさせていただきます。
今後とも情報誌「四条」をよろしくお願いいたします。

M.H

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