四条への手紙

千年の都の伝統を引き継ぐ
「突き抜ける世界都市京都」へ

京都市長松井 孝治

PROFILEプロフィール

松井 孝治(まつい こうじ)
京都市長 松井 孝治

昭和35年(1960年)京都市生まれ。東京大学教養学部卒業後、昭和58年(1983年)通商産業省(現経済産業省)入省。平成6年(1994年)内閣官房内閣副参事官、平成8年(1996年)通商産業省大臣官房総務課長補佐、行政改革会議事務局、平成10年(1998年)通商産業研究所研究体制整備室長を経て、平成13年(2001年)参議院議員、平成21年(2009年)内閣官房副長官。平成25年(2013年)慶応義塾大学総合政策学部教授。令和6年(2024年)第27代京都市長就任。

 日々たくさんの市民や観光客の皆様で賑わう京都のメインストリート、四条通。平安の昔から商業の中心であるとともに、八坂神社の参道、祇園祭の中心的な舞台として文化の薫り高い四条繁栄会は、京都の暮らしに無くてはならない商店街です。そんな商店街を支える町衆の皆様の心意気を身近に感じながら私にとっても、家族とのお出掛けや友人と闊歩した思い出がたくさん詰まった特別な場所でもあります。
 貴組合では、四季折々のアーケード装飾や祇園祭に合わせた「いけばな展」の開催など、京都ならではのおもてなしの心で、お越しになる方々を温かく迎えてくださっています。
 そして、「四条通の歩道拡幅」は、安全・安心にお買い物ができて、歩いて楽しいまちとして、地域の更なる魅力向上につながっているところです。更に、四条通地下道をより一層明るく彩り豊かな空間へと変化させようと、文化芸術を生かした活性化にも取り組まれるなど、京都のまちづくりに大きな役割を果たしてくださっています。この場をお借りいたしまして改めて心から感謝を申し上げます。
 本市としても、「公を自ら担い、共助・互助でまちをつくる」という京都に受け継がれてきた「町衆」の心意気を大切に、多才な人々が集い、誰もがワクワクすることができる、突き抜ける「世界都市京都」を実現してまいります。変わらぬ御支援と御協力をお願い申し上げます。
 結びに、四条繁栄会商店街振興組合のますますの御発展を祈念申し上げます。

特集グラビア 四条ー電車が走った風景

四条通が京都のメインストリートの一つとして
発展をとげる契機となったのは
明治末期の市電の敷設が挙げられます。
戦前、戦後、高度経済成長期を経て
多くの人々を運んだ電車は
モータリゼーションの波が
訪れるとともに地上から姿を消し
まちはまた大きく変わりました。
コロナ禍を経て、再び活気づく四条通は
歩道が広がったことを契機に歩く人も増え
新たな大規模ビルの建設などが進んで
幾度目かの変化の時代を迎えようとしています。
移り変わってきた風景を振り返るとき
このまちの未来に何が見えてくるでしょうか。

昭和45年(1970年)7月12日撮影、函谷鉾の上から見下ろす四条通の市電(近藤豊撮影写真資料/京都府立京都学・歴彩館蔵)

京都近代化の象徴として

東京遷都による衰退を危惧した京都では
大規模な近代化政策が打ち出されました。

その一つが琵琶湖疎水の水力発電を生かした 電車の敷設です。岡崎を会場とした
内国勧業博覧会の開催にあわせ
明治28年(1895年)に日本初の
路面電車が誕生し、その17年後には
道を拡幅して四条通に京都市電が走りました。
電車通に面して多くの商店や銀行など
当時最新の洋館が建ち並び
四条界隈は一気に活気づきました。

明治45年(1912年)ごろ。細い通りだった四条通が拡幅され、市電敷設の工事が進む。奥に見えるのは建設中の大丸百貨店(寺田家旧蔵写真資料 京都府立京都学・歴彩館蔵)
明治45年(1912年)ごろ。細い通りだった四条通が拡幅され、市電敷設の工事が進む。奥に見えるのは建設中の大丸百貨店(寺田家旧蔵写真資料 京都府立京都学・歴彩館蔵)
明治45年6月、四条小橋―四条西洞院間に四条線が開業。通り沿いに竣工を祝う提灯が飾られ、祝賀のためのアーチが建てられているのが見える(京都府立京都学・歴彩館寄託 石井行昌撮影写真資料)
明治45年6月、四条小橋―四条西洞院間に四条線が開業。通り沿いに竣工を祝う提灯が飾られ、祝賀のためのアーチが建てられているのが見える
(京都府立京都学・歴彩館寄託 石井行昌撮影写真資料)
京阪電車の三条―五条間が開通したのは大正4年(1915年)。写真中央、四条大橋東で市電と京阪の線路が平面交差しているのがわかる。
鴨川沿いの地上を電車が走る風景は昭和62年(1987年)まで続いた(黒川翠山撮影写真資料 京都府立京都学・歴彩館蔵)。
京阪電車の三条―五条間が開通したのは大正4年(1915年)。写真中央、四条大橋東で市電と京阪の線路が平面交差しているのがわかる。鴨川沿いの地上を電車が走る風景は昭和62年(1987年)まで続いた(黒川翠山撮影写真資料 京都府立京都学・歴彩館蔵)。
昭和11年(1936年)ごろの四条河原町を北向きに撮影。縦の通りが市電河原町線で、手前中央が河原町四条の停留所(黒川翠山撮影写真資料 京都府立京都学・歴彩館蔵)。
昭和11年(1936年)ごろの四条河原町を北向きに撮影。縦の通りが市電河原町線で、手前中央が河原町四条の停留所(黒川翠山撮影写真資料 京都府立京都学・歴彩館蔵)。

祇園祭・山鉾巡行と市電

四条通に市電を通す際、課題に挙がったのが
祇園祭の山鉾巡行でした。
地上から鉾頭まで25mを超える鉾もあり架線にかかってしまうこともあるからです。
そこで、道路中央に立てた1本の支柱から
上下線両方の架線を支えるセンターポール式が採用され
辻回しで通りを横切る際は架線を切断しました。
手間のかかることですが
神事を優先するのが
やはり京都のまちなのです。

にぎわうまち、そして廃線へ

戦後、日本が発展を遂げるにつれてまちはにぎわいを増し
交通量は増えていきます。
京都市電も延長され、昭和38年(1963年)には
一日の平均利用者が56万人に登りました。
しかし、自動車の急速な普及によって乗客の減少が始まり
路面電車であるがゆえに定時運行に乱れが生じ
経営難をさらに加速させていきます。
ついに市電は惜しまれつつ廃止となり
通りから電車が走る風景が消えたことで
まちに本格的なモータリゼーションの波が
押し寄せることになったのでした。

懐かしの車両を訪ねて

電車は四条のまちから姿を消しましたが
懐かしい車両は、いまもさまざまな地で
目にすることができます。
京の人々に愛された姿を訪ねてみませんか。

平安神宮

【平安神宮】

明治28年(1895年)に日本初の路面電車として開業した京都電気鉄道の車両(京都市交通局二号電車)を神苑に展示。現存する最も古い車両として国の重要文化財に指定されている。平安神宮百三十年祭記念事業の一貫として保存整備工事が進められており、貴重な近代遺産を次代へつなぐために広く奉賛を呼び掛けている。

  • ● 京都市左京区岡崎西天王町97
  • ● 電話/075-761-0221
  • ● 拝観/午前8時30分~午後6時(季節により異なる)
      ※入苑は30分前まで
  • ● 神苑拝観料/大人600円
博物館 明治村

【博物館 明治村】

100万㎡の敷地に明治時代を中心とする60以上の歴史的建造物を移築し、保存・展示する野外博物館。北野線を走行していた車両(明治43~44年製造)に乗車することができる。

  • ● 愛知県犬山市内山1番地
  • ● 電話/0568-67-0314
  • ● 開村時間/午前9時30分~午後5時(季節・催しによって変動あり)
      ※入村は30分前まで
  • ● 入村料/大人2500円
広島電鉄

【広島電鉄】

昭和53年(1978年)の京都市電の全線廃止後、広島電鉄が1900系車両を15台購入。各車両に「東山」「西陣」など京都にちなんだ愛称が公募で名づけられた。新しい車両に比べて頑丈で壊れにくいため、全車両がいまも現役で活躍しており、京都市交通局の局章もそのまま使用されている。

CLOSE UP MISE

CLOSE UP MISE
四条河原町の交差点に面して立つ京都髙島屋S.C.。

京都髙島屋S.C.

歴史ある百貨店と、
個性派ぞろいの専門店。
二つの融合で新たなまちづくりへ

京都店長・執行役員 上條智子
「地元京都のお客様から寄せられる信頼に応えるサービスを」と
京都店長・執行役員の上條智子さん。

四条河原町に誕生した次世代型S.C.(ショッピングセンター)

四条河原町の顔といえば、長年にわたり京の人々から「タカシマヤはん」と呼ばれ親しまれてきた髙島屋京都店。その歴史ある百貨店が昨秋の10月17日、百貨店と専門店ゾーンを融合させた「京都髙島屋S.C.」として開業し、話題を呼んでいます。
株式会社髙島屋ではグループの総合戦略として「まちづくり」を掲げていて、これまでも百貨店を核に、地域の特性にあわせた専門店を融合させ、次世代型のS.C.の開発・運営を進めてきました。関西初の取り組みとして誕生した京都髙島屋S.C.では、同社連結子会社である東神開発株式会社により専門店ゾーン[T8]を開業。アートやサブカルチャー、エンターテインメントなど斬新でエッジの効いたコンテンツで店舗が構成され、地元京都の人気店や関西初、京都初の店舗などが顔をそろえています。伝統と革新が共存する、まさに京都・四条にふさわしい商業施設です。

四条のまちの発展とともに

髙島屋にとって京都は創業の地。天保2年(1831年)に初代飯田新七が烏丸松原上ルで古着木綿商を始めたことを皮切りに、明治に入り、本業の呉服業に加えて輸出品や室内装飾などを取り扱い、事業を広げていきました。明治30年(1897年)に宮内省御用達となり、大阪、東京などへ次々と出店するなか、明治45年(1912年)には烏丸通沿いに商業施設初となる鉄筋コンクリート3階建の京都店を開業。昭和に入って現在の地への移転準備が進められたものの戦争で一時中断し、昭和21年(1946年)12月に四条 髙島屋マーケットセンターがオープンを果たします。以降、四条のまちの発展と足並みをそろえるように増床・改装を重ね規模を拡大してきました。
「四条河原町での開業からまもなく80年を迎えようとしています。これまで同様、商店街のみなさまと共存共栄で歩みを進め、まちを盛り上げていければ」と話してくれたのは、京都店店長で同社執行役員でもある上條智子さん。今年3月に京都へ赴任する以前は岡山髙島屋の社長兼店長を務め、業績をV字回復させた辣腕でもあります。その上條さんが京都店へ来て感じたのは京都の人々が髙島屋に対して寄せる信頼度の高さでした。「地元からとても愛されている店舗だと感じると同時に、ハイレベルな接客が求められていることに身が引き締まる思いでした」。
そこで上條さんが取り組んだのは従業員からの徹底した聞き取り。7~8人を1組として1回1時間以上にわたってスタッフの声に耳を傾け、京都ならではのサービスの在り方についてともに考え、意見を交換しました。「それらをどう生かすかはこれからですが、お客様の思いを丁寧に汲み取り、人と人がつながるような店舗運営をめざしていきたい」と抱負を語ってくれました。

京都髙島屋S.C.
昨秋開業した専門店ゾーン[T8]の外観。
京都髙島屋S.C.
商業施設初出店の「cfg京都」で飲めるケーキを(1階)。
京都髙島屋S.C.
サーフスタイルをベースに、自然のなかで自由な時間を楽しむコレクションを提案する「SATURDAYS NEW YORK CITY」(3階)は京都初出店。

百貨店と専門店、シームレスな魅力発信を

昨秋の開業以降、とくに大きな話題を呼んでいるのが専門店ゾーン[T8]。企画やネーミング、環境デザインなどには日本を代表する気鋭のクリエイターたちが参加しています。文化庁が拠点を置く京都は、芸術系の大学も多く、伝統文化や伝統工芸はもちろん、現代アートやアニメ、漫画などサブカルチャーに携わる人が多いまちでもあります。あわせて日本ならではの文化に触れたいというインバウンド需要にも応えようと、専門店ゾーンでは多彩なコンテンツを充実させています。
7階には任天堂のオフィシャルストア「Nintendo KYOTO」が京都初出店。5・6階の「京都 蔦屋書店」はアート書籍の販売と幅広い現代アート作品を提案するアート書店です。また、4階の「まんだらけ京都店」は、日本のアニメ、漫画業界を牽引するプロたちによって買取、販売を行う注目の店舗です。四条通に面した[T8]の1階には人と会う前のちょっとした時間に、気になる雑貨やコスメをチェックしたり、手土産を選んだりと、待ち合わせの時間を楽しめるようなフロアになっており、2・3階にはファッション、ジュエリー、コスメの各ジャンルから旬のブランドが出店。地階には地元で愛される店舗が集まったイートインゾーン「EAT8」も誕生しました。知らなかった“モノ”や“コト”に出会える場や、自分だけの“好き”に向き合える時間が用意されているのが大きな魅力です。
長年にわたり愛され続ける百貨店と、幅広い世代に新たな刺激を届ける専門店。「二つの特性が一つの店舗でシームレスにつながっているのはもちろん、ソフト面でも一体化して盛り上げていけるよう、サービスやイベントなどを企画していきたい」と上條さん。四条のまちのさらなるにぎわいに期待が高まります。

京都髙島屋S.C.
子どもたちや海外からの観光客なども多く訪れる7階「Nintendo KYOTO」。
©Nintendo
京都髙島屋S.C.
昭和21年、四条河原町に開業した「四条 髙島屋マーケットセンター」(写真提供/髙島屋史料館)。
京都髙島屋S.C.
5・6階「京都 蔦屋書店」。
京都髙島屋S.C.
4階「まんだらけ京都店」。
  • 京都髙島屋S.C.
  • 京都市下京区四条通河原町西入ル真町52
  • 【営業時間】京都髙島屋(百貨店)10:00~20:00
    T8(専門店)10:00~20:00
    ダイニングガーデン京回廊(専門店)11:00~21:30
    ※フロアにより一部異なる店舗あり

コラム〜京おんなは知っている、ヒミツの…

イラスト:たつみ まさる

「偽物」が「本物」を超えるとき

イラスト:たつみ まさる

「本物」か「偽物」か。
「どちらを選ぶ?」と聞かれたら、私たちは当然のように「本物」というだろう。「本物」には真の価値があり、「偽物」は劣っており、価値がないから、と。 でも、そこに意外な思考の落とし穴がある。
それは、いつでも「本物」の方が「偽物」より良いとは限らないという事実があるからだ。
例えば、「本物」を売りにしているラグジュアリーブランドが、実は、どこよりも「偽物」の力を借りて成長してきたのだとしたらどうだろう。そんな発想の転換を与えてくれたのが、京都文化博物館の特別展「コスチュームジュエリー 美の変革者たち シャネル、ディオール、スキャパレッリ小瀧千佐子コレクションより」だ。
そもそも、一緒に鑑賞した夫にしてみたら「コスチュームジュエリー」とは「何ぞや?」から始まった今回の展示。
「コスチュームジュエリー」とは、ダイヤモンド、サファイヤ、ルビーなどの宝石やプラチナ、ゴールドなどの貴金属を使わずに作られたジュエリーのことを指す。具体的には、ガラス、合金、樹脂、羽、模造パール、半貴石、木材、コルク、布、革、ゴム、新聞紙、貝殻や木の実まで、あらゆる素材が使える。
つまり、宝石や貴金属など実際に市場価値があるファインジュエリーを「本物」とするなら、市場での「価値」がない、もしくはあまりない「偽物」素材をベースに作られているのが「コスチュームジュエリー」だ。
しかし、この「どんな素材を使用しても良い」からこそ、制限の多い「本物」のファインジュエリーよりも、「偽物」の「コスチュームジュエリー」の方がデザイナーのアイデアをより自由に表現できる。シャネルやディオールをはじめとする有名デザイナーたちのアイデアが表現された「コスチュームジュエリー」は、遊び心や強いメッセージ性のあるものも多かった。「本物」のジュエリーではできないことが、「偽物」だからこそできたのだ。
そして、この「偽物」のおかげで、新しい「市場」が生まれた。「偽物」であるからこそ、手が届くジュエリーとして「コスチュームジュエリー」を多くの人が買い求めた。さらには、有名人や権力者にも愛された。なぜなら、「本物」のジュエリーが富や権力を見せつけるためのものだとしたら、「偽物」のコスチュームジュエリーは、身に着ける人の自己表現のためのジュエリーだったからだ。
本物のジュエリーは希少性が高く、価値も高いため「無駄」にできない。対して「偽物」のジュエリーは、安価なので、表現で「遊べる」。つまり一見「遊んでいる」だけという「無駄」に見える「新しい表現」を受け入れる余地があったからこそ、デザイナーたちの表現力が増し、コスチュームジュエリーの市場は発展し、顧客にとって、より多様な自己表現のツールになりえた。
京都は「本物」を重視するまちだ。「本物の伝統文化」のように。しかし、「本物」にこだわりすぎると、「遊び心」という「無駄」がなくなり、多様性が失われ、その結果、自己表現が限られてしまう。そして、それは新しい市場を創造することを失いかねない。

イラスト:たつみ まさる

AI時代の生き残りについても、同じことが言える。今はまだ、ChatGPTが書く文章は「偽物」だとされている。しかし、数分であっという間に的確なビジネス文章を仕上げてくる状況は本当に便利だ。そのため、やがて利用することが当たり前になることで、「本物」になるかもしれない。
この時、AIにできないのは、感情を伴った表現だ。感情を伴う表現や経験は、それを経験するか、想像するための引き出しが必要になる。こうなると、ただ机の前に座って、暗記を中心とした学習や仕事をすることが正しく「本物」であるという状態から、見聞を伴っていないために「偽物」へと変わってしまう日が来るかもしれない。
タイパやコスパ重視だけでは、ユニークなもの、斬新なもの、新しい市場は生まれない。いくつになっても、ちょっと寄り道をし、一見「無駄」に思える感情や体験こそが、多様性を生み、自己表現へとつながっていく。
もちろん、「本物」をないがしろにしていいわけではない。だが一方で、京都こそ「本物」にこだわるあまり、「偽物」を排除するのではなく、「偽物」が「本物」を超え、新しい市場を作り出すことを忘れてはならない。AI時代に、京都が変わらず発展するためには、「無駄」を排除しない「遊び心」こそ、最も必要なことになるだろう。

文:赤城 賀奈子(あかぎ かなこ)
イラスト:たつみ まさる

京都・知れば知るほど

京の食文化・味噌松風

侘茶の草創期に活躍した名僧が考案し
謡曲にちなんで名付けられた『味噌松風』。
三百年の時を超え、昔ながらの味を一子相伝で守り続ける京の老舗と、
かたちや味を変えながら京から全国へと広まり、
郷土に根付いていった菓子の数々。その違いを楽しむのもまた一興です。

松屋常盤の味噌松風。西京味噌と砂糖の絶妙な加減がほのかな塩味と甘味を醸し、飽きのこない味わい。
いまも丁寧に手作りされ、一日に作れる数は限られているため予約が必要。

京の食文化・味噌松風
箱一面に松風が入っており、切り分けていただく。
京の食文化・味噌松風
御所などに菓子を納める際に用いられた螺鈿細工が華やかな菓子器。
京の食文化・味噌松風

京都を代表する銘菓の一つ「味噌松風」。一見するとカステラのようですが、手にもつと思いのほかずしりと重く、口あたりはしっとりもちもちとしていて、控えめな甘さのなかに味噌の香りとコクが上品に広がります。
起源には諸説ありますが、京都でも随一の老舗として知られる「松屋常盤」では、紫野にある大徳寺の名僧・江月宗玩が考案し、伝授されたと伝えられています。宗玩和尚は織田信長や豊臣秀吉に茶頭として仕えた堺の豪商・津田宗及の子で、幼少より仏門に入り大徳寺156世となりました。侘茶を大成した千利休とも交誼があった当代一流の文化人であり、風雅な菓子の名も謡曲『松風』に由来しています。「浦寂し、鳴るは松風のみ」という一節を、「裏には焼き色が付かないので寂しい」という意に掛けたいわゆる言葉遊び。その趣向と味が茶人や公家、武家に好まれ、京から全国へと広まっていきました。いまも岐阜や愛知、山口や熊本などでさまざまな松風が作られており、沖縄では伝播の過程で変化したのか、生地を桃色に染めて芥子をまぶし、薄い板状にしてひねって焼いた菓子が「まつかじ(まちかじ)」の名で残っています。
承応年間(1652~1655年)創業の松屋常盤では、昔ながらの味が守られており、味噌松風の材料の配合や製法は一子相伝。小麦粉に西京味噌と砂糖を加えて練り、黒胡麻を散らして焼き上げた菓子は禅味豊かで、三千家や大徳寺にも納められてきました。御所出入りの店にのみ許された白暖簾を掛け、後光明天皇より「御菓子大将 山城大掾」の名を賜っています。謡曲『松風』が「熊野松風は米の飯(三度の飯より飽きがこない)」と言われるように、三百年以上にわたって飽くことなく愛されてきた菓子は、いま若き十七代目に受け継がれようとしています。

〈取材・資料提供〉

松屋常盤

京都市中京区堺町通丸太町下ル橘町83TEL.075-231-2884 ※味噌松風は3日前までに要予約

私の四条通り

いまを生きる伝統の担い手として
技と心を磨き、まちを守る。

人形作家 島田 耕園さん

五世島田耕園作「産着姿這い這い」
五世島田耕園作「産着姿這い這い」

子の健やかな成長を祈る御所人形

遡れば御所人形は、疫病を祓う形代にルーツがあります。もとは草で作った等身大の人形を立てる風習があり、それがやがて身代わりに災厄を引き受ける「ひとがた」に転化していきました。幼児の枕元に置き、災いや穢れから子を守るとされる「天児」も形代の一種で、呪術的な意味合いから平安貴族たちに盛んに用いられていました。また「這子」も同じころに作られるようになったもので、絹糸や黒髪をつけて女官に似た顔立ちに作られていたようです。 天児も這子ももとは簡素な作りでしたが、生地を白色胡粉で塗り、真っ白い肌にぽっちゃりとした肉付き、大きな頭で3~4頭身ほどの体。そこにちんまりとした目鼻立ちが付き、幼児のかわいらしい姿そのままに作られるようになっていきます。
御所人形と呼ばれるのは、天皇から親王や皇女へ下賜されていたという由来によるもの。江戸時代に入ると、参勤交代の西国大名が京都御所や公卿たちに贈り物をした際、その返礼に人形を賜るようになり、全国に広く知られるようになっていきました。ひとがたから派生したものには雛人形もあり、江戸中期ごろには男の子の天児と、女の子の這子を対にしてひな壇に飾るようになっていたようです。
当家の創業は安政6年(1859年)で、初代・庄兵衛は三十三間堂のあたりに工房を構えていました。その後、伏見に移り、いまは清水寺に近い二寧坂に工房と店があります。
私は生まれも育ちも二寧坂。四代目である父の仕事を間近に見て育ちましたが、不思議と両親からは跡を継ぐように言われたことはありません。大学では法学を学び、就職の内定も取っていましたが、「自分が継がなければこれで終わってしまう」と思い至り、父の下で修業することを決めていまに至ります。
幸いなことに、息子の真親も同じ道に進むことを選んでくれ、二人で机を並べて制作に励んでいます。五世襲名から33年が経った今年春には、店舗兼工房を大幅に改装し、1階にギャラリー、2階にはワークショップなどもできるスペースを併設しました。代々伝えてきた資料や道具もあるので、それらをご覧いただけるよう企画したり、御所人形についてより深く知っていただける機会を設けたいと考えており、新たな挑戦を始めたところです。

耕園氏の手から生み出されるやさしく愛らしい表情。
耕園氏の手から生み出されるやさしく愛らしい表情。

「風格」「風情」というまちの価値を守るために

四条の商店街といえば「田中彌」さんにはうちの人形を置いていただいていますし、昔はほかにもたくさんの人形店があったようです。改装時に出てきた資料のなかからは、戦前、四条御旅町にあった「けうゑや 並河人形店」さんのパンフレットも見つかりました。絹の糸を巧みに植え付けた犬の人形などで知られたようで、四条にはうちのような職人が商う店も多かったのでしょう。
個人の思い出としては、幼いころ父に連れられ東山から鴨川を渡って四条に行くのは楽しみな行事の一つでした。ふだんは泥まみれで遊んでいても、その日ばかりは「ヨソイキ」でめかし込みます。四条は子ども心にも特別な場所であり、品格のあるまちだと感じていたように思います。
田中彌さんのような老舗は減り、お店をビルにして階上や地下などに入られるところも増えました。場所柄、難しい問題だとは思いますが、京の目利きたちに磨かれてきたトラディショナルなものを感じ続けられるまちであってほしいと願っています。
実は四条通の歩道が拡幅される際、京都市の担当者に「アーケードを二階建てにして、二層にできないのか」と話したことがありました。そうすれば二階のテナントにも人が入るし、見晴らしも良く、祇園祭の山鉾巡行もゆっくり見物できます。部外者の勝手な夢想ではありますが、私がこんなことを考えるのも、地元東山でまちづくりに深くかかわっているからでもあるのです。
京都以外からのテナント出店が増えているのは私たちの地域でも同じで、約30年前に発起人の一人として「一念坂・二寧坂 古都に燃える会」を立ち上げ、会長も務めてきました。とくに出店者にお願いしているのは「規制のギリギリまでやらず、一歩手前で止めてほしい」ということ。例えば商品の陳列でも、規制ラインぎりぎりに並べたら、隣の店はその10センチ前に出したくなるのが人情で、そうしてまちの秩序は崩れていきます。京のまちに美意識と規律があるからこそ人が来てくれるわけで、自分の利益だけを追求しすぎると先人たちが培ってくれた風情という「まちの遺産」を食いつぶしていくことになります。もちろん利益を上げて儲けてもらわないことには、まちは衰退します。でも、それはまちの価値を守ってから、次に考えるべきこと。なぜ規制するのか、という理由を知ってもらうために、活動を根気強く、地道に続けているというのが現状です。

二寧坂にある店舗二階の工房で、息子の真親さんと向き合って人形を作る。
二寧坂にある店舗二階の工房で、息子の真親さんと向き合って人形を作る。

伝統のなかに、いまを生きる者の息吹を

また、四条は祇園祭にゆかりが深いまち。私も長く宮本組でご奉仕し、いまは八坂神社清々講社で幹事を務めているため、祭りの間は四条を訪れることが増えます。7月は祭りに懸かり切りになる私にとって、1年の仕事は11カ月でやるもの。それができてこそのご奉仕だと思っています。
人形がほかの伝統工芸と異なっているのは、人のかたちをしている点でしょうか。着物や帯は身に付け、陶器はものを入れて使うなど「用の美」があり、それを研ぎ澄まし洗練したものが京の工芸です。では人形の「用」とは何かといえば、心を寄せること。いまを生きる人の「用」に応えるためには、伝統の様式を守るだけでなく、現代の作り手である私自身の生き方や情感が問われます。何を目的にして作っているのかが明確であれば、人形の型を前にしたとき「ああ、あんたの顔はこれやで」というものが自然に見えてきます。
人形を手にする人と作り手の心が重なる点を見つけることが、伝統のなかに現代の息吹を吹き込むということの一つなのかもしれません。またそれは、人形でも、まちづくりでも同じように感じます。

この春、リニューアルした二寧坂にある店舗兼工房。
この春、リニューアルした二寧坂にある店舗兼工房。

私自身も、いままでになかった新しい取り組みとして、2018年にルイ・ヴィトンとコラボレーションしました。また、スターバックスコーヒーが各地で企画する「jimoto made」に協力し、古くから祇園の花街に伝わる年越しの縁起物「福玉」に着想した干支土鈴チャームの制作も毎年続けています。
先人たちが培ってくれた京ならではの風格や品格を守り、さらにそこから自分の仕事にどう向き合っていくか。「他力、ひとがたとともに」という思いを胸に、これからも挑戦を続けていきたいと思います。<談話>

島田 耕園
PROFILE 島田 耕園(しまだ こうえん) 1958年京都市生まれ。同志社大学法学部卒業後、父である御所人形作家・四世島田耕園のもとで人形制作を始め、1983年より、日本工芸会近畿支部展、日本伝統工芸展、伝統工芸人形展など入選多数。1987年、日本工芸会正会員認定。1991年、五世耕園を襲名、第9回伝統工芸人形展・朝日新聞社賞受賞。2007年、第54回日本伝統工芸展奨励賞受賞。2009年には島田家150年・五世耕園制作30年記念展を開催。2012年、第26回伝統工芸人形展・日本工芸会賞受賞。2018年「ルイ・ヴィトン スペシャルオーダー 雛人形トランク」をコラボレーション制作。2019年、工房制作160年記念展を開催。日本工芸会正会員、京都工芸美術作家協会会員、京陶人形工芸協同組合理事長。

京洛墨彩

【サイ・いつき】

心身を清め神に仕える。つつしむ、いつく。

極

夏の陽ざしを遮るように
枝を差し交わす
木々たちに守られ
瑞々しく広がる苔のしとね。
緑の香に、からだと心を
清めてこの先の旅を思う。
まぶたに浮かぶのは
諦めた恋か、
過ぎ去った日の哀しみか、
の人の面影か。

竹林の小径をたどり、見えてくるのは黒木の鳥居。嵯峨野にある野宮神社では、クヌギの木が皮をむかずそのまま鳥居に用いられていて、古代の様式をいまに伝えるものとして知られています。
ここはその昔、天皇の代理で伊勢神宮に仕える「斎王」が伊勢へ向かう前に身を清めた地。斎王は皇女や女王のなかから選ばれ、野宮もかつては天皇の即位ごとに嵯峨野の清浄な地を選んでその場所が定められていたといいます。現在の場所が選ばれたのは平安初期、嵯峨天皇の皇女・仁子内親王のときが初めとされています。
またここは『源氏物語』五十四帖のうちの第十帖『賢木』の舞台にもなっています。主人公・光源氏と恋に落ちた六条御息所は前東宮の妃という高貴な女性ですが、恋多き源氏を自分だけのものにしたいと渇望し、生霊となって恋敵をとり殺すほど苦しい思いに身を焼きます。第十帖ではいよいよ源氏を諦め、斎王に選ばれた娘とともに伊勢へ下る決意をして野宮に入りますが、そこへ源氏が密かに会いに来てしまうのです。六条御息所は源氏を振り切って伊勢へと向かうのでした。
神社に伝わる黒木鳥居と小柴垣が、いにしえの物語の面影をいまに伝えています。

野宮神社

京都市右京区嵯峨野宮町1
交通/四条河原町より市バス11番にて「野々宮」下車ほか

写真田口郁明

コラム四条

平安の京都から平和のアピールどすえ

コラム四条
コラム四条

コロナもやっと収束して、京都のまちには世界中から沢山の観光客が戻って来てくれはりました。そやけど観光地はどこもいっぱいで、オーバーツーリズム。烏丸通を歩いてたら、大きなスーツケースをゴロゴロ引いてはる数人の人たち。ほんまに海外からの観光客の多いこと。ここはパリか?ニューヨークか?と思うほど。住んでる人にとってはちょっと錦市場で買い物するにも混雑してて、めざすお店に行くのもひと苦労。そやけど、京都のまちが大好きで沢山の人が来てくれはるのはうれしい、ありがたいことどす。コロナになる数年前どしたやろか。歩いて楽しむ京のまちとして、四条通は車道を削って、歩道を広くしはったさかい、ぎょうさんの人がいてはっても大丈夫、ぶつかることもおへん比較的すいすい歩けますもん。
京都に都が造られたのはみなさんも知っといやす、「泣くよ鶯、平安京」794年。今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公は、世界最古の長編小説『源氏物語』を書かはった紫式部はん。


めぐり逢いて 見しやそれとも わかぬ間に
雲がくれにし 夜半の月かな


この百人一首の和歌も有名どす。
紫式部は本名も生年没年もわからしまへん。宮中での女房名は藤式部で後に紫式部と呼ばれたんやそうどす。
どんな女性やったのか、彼女が残した「紫式部日記」ではちょっと内向的。人をよく観察してはって、頭はキレるけど、嫌われへんようボケたふりもしてはったらしい。
京都には紫式部ゆかりの場所が沢山あるのどすけど、そのひとつ、廬山寺のある一帯は紫式部の曾祖父・藤原兼輔の邸宅があった場所で、鴨川沿いの風流な住いで紫式部もここに住んだはったそうどす。廬山寺の境内には「源氏の庭」がおして、紫式部を連想させる紫の花、桔梗が初夏から秋にかけて花を咲かせるのどすえ。「源氏物語」の花散里の巻に出てくる屋敷がこの辺りやと言われているのどす。


コラム四条

桓武天皇が長岡京から京都に都を移さはった平安京、その範囲は今の京都市街より小そうて、北は一条大路(現在は今出川通と丸太町通の中間)、南は九条大路(JR京都駅の南、東寺の南側の九条通)、東は東京極大路(現在の寺町通)、西は西京極大路(推定では葛野大路あたり、JR花園駅と阪急西京極駅を南北に結んだ線)、平安京は中国の都の長安や洛陽を真似して造らはったんはよう知られてますけど、平安時代というのは戦争がない時代で、江戸時代よりなごうて400年ぐらい平和な時代が続いたんやそうどす。遣唐使をやめはって、日本独自の文化が育まれた時期で仮名文字、和歌、物語、大和絵、寝殿造や四季に彩られた祭事など、雅な王朝文化が花開いたんどす。紫式部や清少納言らのおなごはんが活躍できたんは、ほんまに平和な時代やったから。人間にとって何が大事って、戦争の恐怖がないこと。みんながちゃんとご飯がたべられることどす。京都のまちは世界中からぎょうさん観光客が来はってお祭りみたい、平和そのもの。そやから逆に、ウクライナで、パレスチナで、ミサイルが飛んでいて、毎日、人が何人も亡くなってはるのはどういうこと?映画『オッペンハイマー』見はりましたか? 原爆を投下された広島や長崎のことに触れられてへんのはどうなんやろ。それに核はあかん!戦争はしたらあかん!平安の京都から平和のアピールをせんとあかん!と思うのどす。

京野優女(きょうのやしょうめ)
イラスト:中井美樹

京都漫歩

望月

●作者プロフィール
辰巳 優(たつみ まさる)

  • 1951年 (昭和26年)京都生まれ
  • 1992年 読売国際漫画大賞優秀賞
  • 1993年 ユーモア広告大賞ビジュアル賞
  • 1994年 飛騨高山漫画フェスタ入賞
  • 1998年 長野五輪四文字熟語漫画最優秀賞
望月

この世をば我が世とぞ思ふ
望月の欠けたることもなしと思えば

この歌は、藤原道長権勢の絶頂期、
宴の席で詠んだとされています
さて望月の姿は変わらねど、
令和の世はすっかり様変わり
働き方改革、ジェンダー問題、
ハラスメントに誹謗中傷、政治に
まつわるお金のあり方、
人手不足に拍車をかけてコウノトリ便も
ドローンに代替え運行、
運ぶ荷物は何でしょう?
道長はんもこの世に居たら
生成AIを使ってこう詠むでしょう

月見れば千々にものこそ悲しけれ
我が身ひとつの月にはあらねど

四条の道具

パリの洗練をそのままに届ける銀の器。
日仏二つの都の歴史を受け継いで。

四条の道具

「アフタヌーンティー」セットは予約制で2人から。
季節ごとに内容が変わる、写真はイメージ。

四条の道具
1階ブティックでは、マカロンやケーキのほか、ギフトセットやオリジナルグッズなどがそろう。
四条の道具
定番から季節の限定品まで、さまざまなマカロンが並ぶ。

見ているだけで心が躍るような色とりどりの菓子たち。それらが美しく盛り付けられたシルバーのアフタヌーンティースタンドは、フランスにある本店とまったく同じものが使われている。
「カップやポット、カトラリーから紙のナプキンに至るまですべて本国から送られてきたもので、店舗のデザインもフランスのデザイナーの手によります。パリの趣向をそのまま楽しんでいただければ」とは、ラデュレ京都 四条店をはじめとする西日本エリアで営業統括を担う門脇立左子さん。
ラデュレといえばフランスに拠点を置く菓子の老舗で、創業は1862年。フランス南西部出身の製粉業者ルイ=エルネスト・ラデュレが、パリのロワイヤル通りにブランジュリー(パン屋)をオープンさせたことに始まり、パティスリーとなったのちに、女性のためのサロン・ド・テ(お茶とケーキ、食事を楽しめるサロン)を開いている。
そんなラデュレの名を世界中に広める契機となったのが「マカロン」。フランスを代表するこの菓子は、8世紀ごろを起源とする説もある古い食べ物だが、現在、私たちが知る2つの生地の間にガナッシュなどをサンドする「マカロン・パリジャン(パリ風マカロン)」は、1930年にラデュレによって考案されたものだ。
160年の歩みのなかで、パリのサロン・ド・テの歴史を創り上げ、「l’art de vivre à la française(フランス流美しき生活)」を象徴する格調高いメゾンを世界各国で展開してきた。そしてマカロン・パリジャンを生み出した美食の作り手として、いまなお人々を魅了し続けている。
日本初出店は約15年前。現在は国内で14店舗を展開している。なかでも、店頭販売を行うブティックと、ケーキや食事を楽しめるサロン・ド・テを併設しているのは、東京日比谷と京都四条の2店舗のみ。四条の店舗は今年9月で5年目を迎え、地元京都だけでなく、関西一円、また海外からの観光客も数多く足を運ぶ。
食器や店舗デザインを本国に倣っているように、厳密なブランド管理が行われており、マカロンなどのルセット(製法・配合)もごく一部の人にしか知らされていない。パティシエ、キッチンシェフ、ブティック、サロンの各スタッフの教育・管理も徹底しているという。とくに京都は西日本エリアのセントラルキッチンを兼ねており、出来立ての味が楽しめるのは知る人ぞ知る魅力だ。
ラデュレでは、そのブランド力を生かしてギフトセットや紅茶、雑貨なども手掛けていて、京都 四条店では地元・祇園辻利監修のもとオリジナル抹茶缶を販売している。また、ラデュレのロゴが入った京焼の抹茶碗と抹茶のギフトセットは、とくに海外から訪れる人に人気が高い。同じ抹茶を使ったマカロンも期間限定で販売され、夏には抹茶のアフタヌーンティーセットも登場する予定だ。
パリを感じさせる店内に、華やかなケーキや料理の数々、そして宝石箱のように趣向を凝らしたマカロンのギフトボックスなど、いずれもスイーツ好きなら誰もがあこがれる逸品ばかり。「京都とパリは、どちらも歴史と都の洗練を受け継いでいます。伝統を大切に守りつつお客様に寄り添い、まちに溶け込んでいきたい」という門脇さんの言葉に、洋の東西を越えた老舗の矜持が表れている。

四条の道具
ラデュレグリーンの暖簾が掲げられているのも京都四条店ならでは。

ラデュレ京都 四条店

京都市下京区四条通御幸町西入ル奈良物町 371
TEL.075-548-1076

四条昔語り

このまちにまつわるエピソードを綴る昔語り。まだ人々の記憶のうちに留まっている思い出からまちと人の歩みを語り継ぎます。

親元を離れ、空腹に耐えた学童疎開の記憶に異国の戦禍を思う。

四条昔語り

食糧や燃料などの配給品を山のふもとから疎開先の善峯寺・三鈷寺の寮に運ぶため、乙訓の竹と荒縄で各自が自作した「背駄」。

善峯寺・三鈷寺での疎開

四条昔語り
疎開地から父母に配られた「西山だより」。第1号は昭和20年(1945年)4月25日の発刊と書かれている。

一向に収まりそうにもないウクライナや中東での争い。中東の紛争では病院が標的にされ、パレスチナ難民、とくに老人や子どもが被害にあっている様子を見て悲憤慷慨している。せめて子どもたちだけでもどこかへ避難させてやることができなかったのかと思わずにはいられない。振り返れば79年前、私も空襲におびえる一人の子どもだったからだ。
太平洋戦争の末期、我が国もアメリカの爆撃機B29の大編隊によって大都市が無差別爆撃に遭い、さすがの日本政府も動きだした。次世代を担う子どもたちだけでも助けようと、空爆の少ない地方都市へ集団学童疎開が始まったのだ。国民学校に通う初等科三年から六年生までが対象となった。
私は当時、京都師範学校女子部附属国民学校(現京都教育大学附属小学校)に通っており、四年生になったばかり。地方に親戚のあるものは「縁故疎開」をしたが、市街地に住む者は「残留組」となっていた。私たちの学校は疎開の開始が遅かったために京都府内郊外はすでに他校で埋められており、やむなく京都市内の乙訓地方・西山に120人が疎開した。場所は西国二十番札所として知られる善峯寺と、すぐ近くの三鈷寺。とくに三鈷寺からは市内が一望でき、親元から離された幼い子や女の子は、夜まちを見下ろして涙していたのを覚えている。


幼い足で山道を運んだ配給品

四条昔語り
疎開先の寮で相撲を楽しむ子どもたち。さまざまな行事や仕事で空腹を紛らわせた。

疎開地での生活は朝六時起床。掃除や洗濯も自分たちで行った。散髪も先生と六年生の手により、慣れぬバリカンを操っての丸刈りは痛いこと筆舌に尽くしがたし。山のふもとにある役場まで往復2時間かけて配給品を運ぶのも生徒の役目だった。
そこで問題になったのはリュックやカバンなど運搬用具が何もないこと。当初、手渡されたのは1人5~7mの荒縄一本だけで、これには大いに閉口した。なにせ皆がまちなか育ちで荷運びの経験などほとんどない。知恵を絞ったが荷崩れを起こすものが続出した。それを見かねた団長の先生の発案で作ったのが「背駄」。つまり背負子である。幸い乙訓はタケノコの産地で竹は豊富にある。苦労の末、各自が自作し、完成した背駄には誇らしげに名前を入れた。
背駄の一つは有志によって疎開中の写真とともに京都市学校歴史博物館に寄贈され保管されている。この写真は疎開先に支援物資を運んできた私の父が撮影したもので、いまとなっては大変貴重な史料となった。また、疎開先から父母へ配られたガリ版刷りの『西山だより』には、日々の出来事や子どもたちの詩や短歌が載せられ、幼き日の私の作も見つけることができた。団長先生の手により、疎開先でたくましく成長し、元気に荷運びする子どもたちの様子も詳しく書かれており、子を案じる親たちへの心遣いに改めて恩師への感謝の念があふれる。
そしてついに訪れた八月十五日。三鈷寺の大広間でラジオから聞こえてきたのは、雑音交じりの天皇陛下の声。何を話されているのか分からなかったが、先生から日本が降伏したと知らされた。8月25日発刊の西山だよりには、生徒の文として「みんなで声を上げて泣いた」と書かれている。また、戦没者への哀悼、そして日本再生への願いが先生方の手で綴られている。
思えば3月24日に疎開し10月13日に下山するまでの半年間、空腹に苛まれた苦しい日々だったが、楽しかった思い出もある。仲間同士の助け合いや思いやる心、先生方やご住職、地元の方々など多くの人の助けによって乗り越えることができ、感謝、感謝の思いしかない。そして人生の大切な基本を学んだと思う。
されどこんな経験をするのは私たちだけで十分。二度とあってはならない。かの地に平和が訪れることを切に祈る。

[[文/四条繁栄会商店街振興組合・扇子豊]
取材協力・史料提供:京都市学校歴史博物館

  • 四条昔語り
    当初は荷運びのための道具がなく、配られたのは荒縄1本だけだった。
  • 四条昔語り
    竹で作った「背駄」(筆者画)
  • 四条昔語り
    まちなか育ちの子どもたちにとって、急な山道は当初身一つで登るのにも精一杯だったが、慣れたころには三年生で一貫(約3.75kg)、五年生は二貫以上を背負って荷を運んだと記録にある。

四条問わず語り

山鉾巡行の思い出

四条問わず語り

今年は外国人観光客が過去最高の月300万人越えになり、京都の街にも多くの外国人であふれてます。また国内の観光客も多く京都に来られており、大変な賑わいです。
思い起こせば4年前の2020年にはコロナウイルスが猛威をふるい、いつも賑わう四条通も閑散としていてうそのようでした。そして日本三大祭りの一つで京都を象徴する祇園祭の山鉾巡行もついに中止となってしまいました。
それが2年続き、ようやく2022年に再開することになりました。
祇園祭は言うまでもなく疫病退散のため1150年以上続く神事です。その再開は、まだまだ残るコロナウイルスの退散と新たな疫病の広まりを防ぐことをまさに我が事として私も含め多くの方々の強い祈りを伴ったものでした。
その再開の折、なんと長刀鉾とともに巡行を歩くご縁をいただきました。
生まれて初めて裃を着て、四条通から河原町通を上がり御池通を西に向かい、新町通を下って四条通にもどってきました。

当日は天候に恵まれて大変な暑さでした。御池通あたりで、すでにクタクタでしたが、私より年上の先輩方は最後までシャキッとしておられ、さすが京都の街を支えておられる名士の方々だと感心し、再度気合を入れて歩きました。また、コロナ禍では閑散としていた通りも今や観光客らでいっぱいです。そんな方々に対してもだらだら歩いていてはいけないと気を引き締めました。最後に慣れ親しんだ四条通を目にしたときは本当にほっとしたことを覚えています。
さらに印象深かったのは、四条河原町で行われる辻回しを通りの真ん中で見ることができたことです。普段は大丸前でしか巡行を見たことがなく、あとでTVで録画を拝見するだけでしたが、実際に目の前で長刀鉾が回転していくさまは本当に迫力に満ちたものでした。
そして新町通を下がるときに鉾の屋根の上に乗っている方々が、手足を使ってよけていく様子も初めて間近に見ることができました。大きな長刀鉾がゆらりゆらりと左右に傾きながら狭い通りを通過していくのはまさに圧巻でした。
疫病退散を願う多くの方々の強い祈りが通じたのか、その後、山鉾巡行は中止されることなく今年も予定されており、多くの国内外の人々によって埋め尽くされている四条通を見て幸せを感じている今日この頃です。

大丸京都店 営業推進部 中村 聡

京の歳時記と触れ合いながら
商いをできるということ

四条問わず語り

2021年5月オープンとなったエディオン京都四条河原町店。「不要不急の外出は控えるように」と連日報道されるなど店舗周辺の人通りも少なく、オープン当初は苦戦しました。
━あれから約3年。
四条通周辺の往来もすっかり賑わいを取り戻しました。京都でも有数の繁華街となる四条河原町東南角にオープンし、3周年を迎えることができました。徐々に御贔屓にしていただけるお客様も増え、日々多くのお客様にご来店いただき、お買い物を楽しんでいただけていることを大変嬉しく思います。
四条河原町という土地柄、大学生や20~30代の若いお客様にも多くご来店いただいています。豊富な品揃えに、若年層のお客様の「え!待って!これ探してた!」「こんな商品あるんや!」といった驚きの声が店頭でもSNSでも数多く聞こえてくるのは当店の特徴の一つ。幅広い年代向けのおもちゃも取り揃え、小さなお孫さんを連れて親子3代でご来店される方も多く見られるようになり、日々微笑ましく思っています。

京の風物詩である祭事に携わらせていただけることも喜びの一つ。2022年から再開された祭事に、2023年から参加させていただけることになりました。伝統ある法被をまとった祇園祭の給水、熱気にあふれる八坂神社様での節分祭、当店の屋上で観覧する五山の送り火…
仕事を通じて、京の歳時記に関わることができる貴重な機会をいただき大変嬉しく思います。四条河原町界隈ならではの祭事に携わる中で、地域の方々から当店を認知していただけることもあり、とても有難いことと感じています。
これからも、地域にお住いの方々に愛される店舗になっていけるよう、ご来店されたお客様へのおもてなしのこころを忘れず、快適なお買い物を楽しんでいただける空間を提供し続けてまいります。また京都を代表する繁華街"四条"というこの街を地域一体となって一緒に盛り上げていけるよう、地域の方々との交流を日々丁寧に積み重ねていこうと思います。

エディオン京都四条河原町店 店長 田坂 寛

おこしやす 京の歳時記

京都には、長い歴史と文化から育まれた
季節感のある祭が数多くあり行事が営まわれています。
その中から、京都をより知り、味わえるよう
6月から12月までの祭と祭事を選びました。

*都合により変更になる場合がございます。悪しからずご了承ください。
*各催事について、お電話やホームページでご確認をお願いいたします。
三室戸寺 あじさい園
三室戸寺 あじさい園

6水無月

鴨川納涼床
~9月30日(期間は店により異なる)/鴨川西岸 二条~五条/
http://www.kyoto-yuka.com/
貴船の川床
~9月30日(期間は店により異なる)/貴船川沿い/
☎075-741-4444(貴船観光会)
三室戸寺 あじさい園の公開
~7月7日/三室戸寺/京阪「三室戸」/
☎0774-21-2067
護王神社 夏越大祓
30日/護王神社/地下鉄「丸太町」/
☎075-441-5458
京都五花街合同公演
6月29・30日/南座/京阪電車「祇園四条」/☎075-561-3901
☎075-561-3901
(京都伝統伎芸振興財団「おおきに財団」)
祇園祭
祇園祭

7文月

祇園祭
1日~31日(17日/前祭山鉾巡行、神幸祭、
24日/後祭山鉾巡行、還幸祭ほか)/
☎ 075-213-1717 (京都市観光協会)
千本ゑんま堂 引接寺 風祭り
1日~15日/千本ゑんま堂/市バス「千本鞍馬口」/
☎075-462-3332(要予約)
貴船神社 水まつり
7日/貴船神社/叡山電鉄「貴船口」より京都バス「貴船」/
☎075-741-2016
松尾大社 御田祭
21日/松尾大社/阪急「松尾大社」/
☎075-871-5016
城南宮 例祭
20日/城南宮/近鉄電車「竹田」/
☎075-623-0846
三宝寺 土用の丑祈祷会
324日/三宝寺/JRバス「三宝寺」/
☎075-462-6540(要予約)
大文字送り火
大文字送り火

8葉月

六道珍皇寺 六道まいり
7日~10日/六道珍皇寺/市バス「清水道」/
☎075-561-4129
壬生寺 孟蘭盆万灯供養会
9日~16日/壬生寺/市バス「壬生寺道」/
☎075-841-3381
嵐山灯籠流し
16日/嵐山中之島公園/阪急電車「嵐山」/
☎080-5307-1060(嵯峨佛徒連盟)
大文字送り火
16日 /京都五山/
https://gozan-okuribi.com/(京都五山送り火連合会)
化野念仏寺 千灯供養
24日・25日/化野念仏寺/京都バス「鳥居本」/
☎075-861-2221

9長月

大原野神社 御田刈祭
8日/大原野神社/市バス「南春日町」/
☎075-331-0014
平野神社 御鎮座記念祭・奉灯祭
14日/平野神社/市バス「衣笠校前」/
☎075-461-4450
清水寺 観音加持青龍会
15日/清水寺/市バス「清水道」/
☎075-551-1234
豊国神社例祭・献茶祭
18日・19日/豊国神社/市バス「博物館三十三間堂前」/
☎075-561-3802
晴明神社 晴明祭
21日・22日/晴明神社/市バス「 一条戻り橋・晴明神社前」/
☎075-441-6460
鞍馬の火祭
鞍馬の火祭

10神無月

御香宮 神幸祭
5日~13日/御香宮/近鉄電車「桃山御陵前」/
☎075-611-0559
粟田神社 粟田祭
12日~15日/粟田神社/市バス「神宮道」/
☎075-551-3154
上賀茂神社 笠懸神事(流鏑馬神事)
15日/上賀茂神社/市バス「上賀茂神社前」/
☎075-781-0011
時代祭
22日/京都御所~平安神宮/
☎075-213-1717(京都市観光協会)
鞍馬の火祭
22日/由岐神社/叡山電鉄「鞍馬」/
☎075-741-4511
(鞍馬の火祭テレフォンサービス 9月1日~10月末日)

11霜月

久我神社 秋祭・神幸祭
1日~3日/上賀茂神社境外摂社 久我神社/市バス「下岸町」/
☎075-781-0011(上賀茂神社)
花山稲荷神社 火焚祭
10日/花山稲荷神社/京阪バス「花山稲荷」/
☎075-581-0329
空也堂 空也開山忌
10日/空也堂/市バス「堀川蛸薬師」/
☎075-255-1585
法住寺 身代不動尊大祭
15日/法住寺 /市バス「博物館三十三間堂前」/
☎075-561-4137

12師走

妙満寺 釈尊成道会・大根だき
8日/妙満寺/叡山電鉄「木野」/
☎075-791-7171
北野天満宮 大福梅の授与
13日/北野天満宮/市バス「北野天満宮前」/
☎075-461-0005
東寺 終い弘法
21日/東寺/近鉄「東寺」/
☎075-691-3325
知恩院 除夜の鐘 試し撞き
27日/知恩院/市バス「知恩院」/
☎075-531-2111

ART

場所/日程/休館日/料金
*都合により変更になる場合がございます。悪しからずご了承ください。
*各催事について、お電話やホームページでご確認をお願いいたします。

大丸京都店 6階 大丸ミュージアム〈京都〉
☎075-211-8111

放映50周年記念特別企画 アルプスの少女ハイジ展
7月31日(水)~8月11日(日)/10時~19時*最終日は16時閉場(いずれも入場は閉場の1時間前まで)/
一般1000円他
あきづき空太デビュー20周年記念 赤髪の白雪姫原画展
8月13日(火)~9月2日(月)/10時~19時*最終日は16時閉場(いずれも入場は閉場の1時間前まで)/
一般1800円他

京都髙島屋S.C.百貨店 7階 グランドホール
☎075-221-8811

第46回 圓照寺門跡 山村御流いけばな展
8月23日(金)~28日(水)/10時~19時*25日(日)は16時閉場、最終日は17時閉場(いずれも入場は閉場の30分前まで)/
無料

京都国立近代美術館
☎075-761-4111

倉俣史朗のデザイン ― 記憶のなかの小宇宙
~8月18日(日)/10時~18時、金曜は20時まで開館(いずれも入館は閉館の30分前まで)/
月曜(ただし、7月15日(月・祝)、8月12日(月・休)は開館)、7月16日(火)、8月13日(火)休館/
一般1700円他
印刷/版画/グラフィックデザインの断層 1957–1979
~8月25日(日)/10時~18時、金曜は20時まで開館(ただし、8月23日(金)は18時まで、いずれも入館は閉館の30分前まで)/
月曜(ただし、7月15日(月・祝)、8月12日(月・休)は開館)、7月16日(火)、8月13日(火)休館/
一般430円他
LOVEファッション ― 私を着がえるとき
9月13日(金)~11月24日(日)/10時~18時、金曜は20時まで開館(いずれも入館は閉館の30分前まで)/
月曜(ただし、9月16日(月・祝)、9月23日(月・休)、10月14日(月・祝)、11月4日(月・休)は開館)、9月17日(火)、9月24日(火)、10月15日(火)、11月5日(火)休館/
一般1700円他

京都国立博物館
☎075-525-2473

豊臣秀次公430回忌 特集展示 豊臣秀次と瑞泉寺
~8月4日(日)/9:30~17:00、金曜は20:00まで(いずれも入館は閉館の30分前まで)/
月曜休館(ただし、7月15日(月・祝)は開館、翌16日(火)休館)/
一般700円他
上田コレクション収蔵記念 特集展示 密教図像の美
8月7日(水)~ 9月8日(日)/9:30~17:00、金曜は20:00まで開館(いずれも入館は閉館の30分前まで)/
月曜休館(ただし、8月12日(月・休)は開館、翌13日(火)休館)/
一般700円他
特別展 法然と極楽浄土
10月8日(火)~12月1日(日)/開館時間未定/休館日未定/観覧料未定

コラム〜歌舞伎のまち・四条

『源氏物語』

『源氏物語』
源氏物語の作者・紫式部の墓所。
平安時代の歌人・小野篁(おののたかむら)の墓と隣り合っている
(京都市北区・堀川北大路下ル西側)。
南座公演ラインナップ

●お問い合わせ/京都・南座
TEL.075-561-1155
●一般電話予約/チケットホン松竹
TEL.0570-000-489(ナビダイヤル)
またはTEL.06-6530-0333

ナビダイヤルは一部交換機種などの設定によってはかかりません。(受付時間/10:00〜17:00)
※この情報は2024年5月25日現在のものです。変更になる場合があることをご了承ください。

歌舞伎では奈良・平安時代を扱った演目を王朝もの・王代ものと呼びますが、平安期を代表する古典文学『源氏物語』に関するものは実はあまり多くありません。
能楽では『葵上』『夕顔』『野宮』など源氏物語を典拠とする演目はよく知られ、恋の哀しみや儚い美しさが能ならではの幽玄の世界で描かれます。一方、江戸時代に庶民の間で発展した歌舞伎では、歴史上の出来事や心中事件などに題を取ったドラマチックなものが好まれたこともあり、源氏物語は当時の劇作家たちにとって扱いにくいテーマだったのかもしれません。さらに明治以降は皇室に関わる演目を舞台にのせない傾向が強まり、昭和初期に源氏の新作が試みられたこともありましたが上演禁止の憂き目にあっています。
そして、戦後間もない昭和26年(1951年)、谷崎潤一郎の全訳を基礎に舟橋聖一が脚本を書き、源氏物語研究の権威・池田亀艦を中心とする紫式部学会の協力のもと、新たな源氏物語が初演されました。光君を演じたのは九代目市川海老蔵(のちの十一代目市川團十郎)。絵巻から抜け出したかのような美しい貴公子ぶりが大評判となり、いわゆる「花の海老さま」が空前の大ブームを巻き起こします。国中が焼け野原となり、皆が食うや食わずの生活のなかで、歌舞伎の興行も不振が続いていましたが、海老蔵人気はまさに救世主となりました。
以降、光君は十一代目團十郎の当り役となり、昭和58年(1983年)にはその孫である当代團十郎が春宮役で初御目見得しています。絢爛豪華な源氏物語の舞台は、祖父から息子、孫へ受け継がれています。

新会員店紹介

四条の新しい顔。
加盟店が続々!

Sigma京都河原町店
(古物商)
四条通河原町東入ル南側
☎(075)708-5517
Strawberry choco
河原町店
(飲食店)
四条通河原町南西角
CHARLES&KEITH
(靴・バッグ・小物)
四条通河原町西入ル北側
☎(050)8888-6078
京都髙島屋S.C.[T8]
(ショッピングセンター)
四条通河原町西入ル南側
☎(075)708-3306
AAPE STORE 京都
(衣料品・雑貨・家具)
四条通御幸町西入ル北側
☎(075)741-7754
バイセル京都四条通店
(着物・ブランド品等のリユース)
四条通麩屋町東入ル南側
☎0120-957-067
スウォッチストア京都
(時計販売)
四条通柳馬場北東角
☎(075)211-3066
四条烏丸セントラルビル
(不動産業)
四条通東洞院東入ル南側
☎(03)3432-0308
エンポリオ アルマーニ
京都店
(衣料品・服飾雑貨)
四条通東洞院東入ル南側
☎(075)253-6200
エイチ・アイ・エス
京都四条烏丸営業所
(旅行業)
四条通烏丸東入ル北側
☎050-1754-4507
メーカーズシャツ鎌倉
京都四条烏丸
三井ビル店
(衣料品)
四条通烏丸東入ル北側
☎(075)254-7505

懐かしの四条

四条のまちの、いま昔。セピア色の懐かしい写真で綴る思い出ミュージアム。

「観光都市・京都」は一日にして成らず。
先人たちの努力に、
いま私たちがどう応えるか。

懐かしの四条
明治12年(1879年)、御所に参入する山鉾のようす。この年、コレラが流行したため山鉾巡行は11月7日と14日に延期されており、11月16日のドイツ皇孫の入洛にあわせて山鉾が御所まで巡行した(京都府立京都学・歴彩館蔵)。
懐かしの四条
日本初の英語ガイドブックは、明治6年(1873年)に開かれた第2回京都博覧会にあわせて発刊された。制作にあたった山本覚馬は会津の生まれで、同志社を設立した新島襄の妻・八重の兄。京都府議会議員や京都商工会議所会頭などを歴任している(国立国会図書館デジタルコレクションより)。

長きに及んだコロナ禍も明けて、京都には多くの観光客が戻ってきました。「戻ってくる」という表現はもはや当てはまらず、コロナ前を超える人出となっているのは、京のまちに一歩出ればわかること。昨夏の祇園祭は4年ぶりに本来のかたちに戻りましたが、前祭の宵山から山鉾巡行までの期間中の人出は、コロナ前の2019年が約47.8万人だったのに比べ、2023年は約82万人にも上っています(京都府警調べ)。
とくに海外から日本を訪れる観光客の増加は目覚ましく、観光庁の調査によれば昨年の紅葉シーズンに京都に宿泊した訪日外国人の数は約230万人で、2019年の1.37倍。日本全体での旅行消費額も2019年の4.8兆円から2023年は5.3兆円に伸び、2012年の1.1兆円に比べると5倍近くになっています。
外国人観光客の富裕層をターゲットにしたサービスも増え、昨年の祇園祭では祭の継承や山鉾の修復に充てる資金を得ることを目的に、1席40万円の「プレミアム観覧席」も登場し好評を博しました。いま大きな課題となっているオーバーツーリズムと、経済効果とのバランスをどのように取っていくかが問われるところですが、そもそも京都では150年以上前から訪日外国人の誘致に力を入れてきた経緯があります。
幕末の開港で横浜、神戸に外国人居留地が開かれたのち、明治に入ると近代化を推し進めるために海外から多くの技術者・教育者が招聘されました。各地で外国人専門の宿泊施設が造られるなか、京都で最初に手を上げたのは祇園の中村屋。現在の中村楼でした。西洋料理も研究されたようで、その後、大規模な博覧会が京都で開催された際には、円山・下河原一帯に設けられた外国人向け宿泊施設のすべてに中村屋が食事を届けたと記録されています。
明治6年(1873年)には元会津藩士の山本覚馬によって外国人観光客のために英文のガイドブックも作られました。多くの京の寺社で桜や紅葉が積極的に植えられたのもこのころで、当時の人々の先見の明には脱帽の思いです。
また、祇園祭といえば、明治12年(1879年)ドイツ皇孫の入洛に際し、山鉾27基が御所に参入し巡行の見物が行われた記録もあります。
先人たちの努力が実り、戦後の昭和30年代には海外から京都を訪れる人が増えます。祇園祭の観覧席にも多くの訪日外国人の姿が見られるようになりました。
観光都市・京都は一日にして成らず。課題の解決にも皆で力をあわせていかねばなりません。

四条おもてなし百彩

真町(しんちょう)

古くから祇園社(八坂神社)への参道として開け、江戸初期の洛中洛外図では「旅通新町」とある。寛文5年(1665年)刊の『京雀』には「新町」、宝永2年(1705年)には「真町」、天明6年(1786年)の絵図には「四条真丁」と記されている。

四条おもてなし百彩 四条おもてなし百彩

「和らぐ、お茶を、京都で」
趣ある大正建築の洋館へ

雲のようなもこもことした形とふわふわ食感のスイーツで、瞬く間に京都の人気店となった日本茶カフェ「雲ノ茶KUMONOCHA」。市内に展開する8つの店舗では「和らぐ、お茶を、京都で。」をコンセプトに、立地や建物にあわせてそれぞれに工夫が凝らされています。四条河原町店があるのは、大正ロマンを感じさせる築100年のクラシカルな洋館。アフタヌーンティーセットが3種類も用意されていて、着物で訪れる人も多いのだとか。思わずシャッターをきりたくなるような素敵な空間が広がっています。

築100年の池善ビルにある四条河原町店。
築100年の池善ビルにある四条河原町店。

雲ノ茶カフェ 四条河原町店

京都市下京区四条通小橋西入真町58番地
TEL.075-365-1110
【営業時間】11:00~19:00
【URL】https://www.kumonocha.com

時代を越えて受け継がれる
四条のランドマーク

四条河原町の東南角に位置する「京都河原町ガーデン」(住友不動産京都ビル)。エディオンやフードホール、イベントスペースなどがあり、多くの人でにぎわいます。現在の建物は1976年に建て替えられたもので、かつては昭和12年(1935年)竣工の「京都住友ビルディング」が立っていました。地上4階地下1階の洋館は戦後の財閥解体により住友不動産に引き継がれ、「私どもにとっては祖業の地の一つであり重要なビルです」と同社関西事業所所長の川崎洋次郎さん。姿は変わっても四条のランドマークとして親しまれ続けています。

京都河原町ガーデン
右奥が建替前の京都住友ビルディング(1935年竣工)。

京都河原町ガーデン

住友不動産株式会社
京都市下京区四条河原町東入ル真町68
TEL.075-255-1911
【URL】https://www.kyoto-kawaramachigarden.com

スマホ、タブレットの故障に
デジタルの総合病院

全国に約100店舗を展開する「スマホスピタル」はその名の通りスマートフォンやタブレット、ゲーム機などの総合病院。京都河原町店では月間300台以上のスマホ・iPhone・Switchの修理実績があり、仕上げを待つ間に四条で買い物や食事ができるのもうれしいところです。

スマホスピタル京都河原町店
阪急河原町駅から徒歩約1分。

スマホスピタル京都河原町店

京都市下京区四条通河原町東入ル真町88-3
ユーイットウ池善ビル2F
TEL.050-5444-3408
【営業時間】11:00~20:00(15:00~16:00休憩)
【URL】https://smahospital.jp

広い販売網でブランド品の
迅速・高額な買取を実現

ブランド買取店の「シグマ」は全国各地に拠点をもち、自社オークションの開催など広い販売網を有していることで、大量買取や高額買取に定評があります。「大事にしてきた品物を、信頼できる店で高値で売りたい」「即日で品物を現金化したい」などさまざまなニーズに応え、電話やメール、LINEでも買取・査定の無料相談を受け付けています。「ブランド品は持っているけど売ったことはなくて…」という人でも安心して利用できるよう、手順を明瞭化するなどさまざまな工夫を凝らしています。ぜひ気軽に相談してみてください。

シグマ京都四条河原町店
四条河原町の交通至便な立地。

シグマ京都四条河原町店

京都市下京区四条通河原町東入真町88
ユーイットウ池善ビル1F
TEL.0120-905-334
【営業時間】10:00~20:00 年中無休
【URL】https://gem-sigma.com

洗練されたしつらえのなか
最高級の鉄板焼きに舌鼓

厳選した最高級の肉と京の洗練を感じさせるしつらえで地元だけでなく観光で訪れた人も足を運ぶ京都鉄板グループの「grow(グロー)」。ライブ感あふれる調理は、鉄板焼きという非日常をさらに思い出深い体験にしてくれます。大切な人のお祝いや、家族との団らん、仕事仲間との会食など特別な集まりに利用する人も多く、ゆっくり料理を堪能できる個室も用意されています。お肉にあう銘酒も豊富にそろうほか、小型犬なら同伴も可能で、愛犬用のコースも用意されています(要相談)。予約がおすすめです。

京都鉄板焼grow
肉や海鮮、デザートまで充実のディナーコース。

京都鉄板焼grow

京都市下京区四条通河原町東入真町88
ユーイットゥ池善ビルB1
TEL.050-5486-7083
【営業時間】12:00~14:00/17:00~22:00
【URL】https://www.kyoto-teppan.com

あっさりした牛骨スープと
もちもち麺がクセになる味

店の名にも冠されている一番人気のメニュー「甘蘭牛肉麺」は、あっさりとした牛骨スープをベースにしたやさしい味わいと、もちもちとした麺の食感がクセになり、また食べたくなる味。全国にチェーンを展開していて、中華料理をもっと気軽に楽しんでもらえるよう料理の開発を続けています。京都四条河原町本店がオープンしたのは2年前。古き良き伝統の象徴でもありつつ現代の文化と親和する四条河原町に魅力を感じて出店し、ほかにも同社では京の町並みや文化を生かした旅館も展開。食や観光を通じてさまざまなチャレンジを続けています。

甘蘭牛肉麺 京都四条河原町本店
全国をはじめ、京都に4店舗を展開中。

甘蘭牛肉麺 京都四条河原町本店

京都市下京区四条通河原町東入真町88
ユーイットゥ池善ビル1F
【営業時間】11:00~23:00 年中無休
【URL】https://kanran.co.jp/

素材にこだわる餃子で
愛され続けて70年

昭和28年(1953年)に大阪千日前で1号店をオープンし70年。「珉珉」の餃子といえば、皮がとろけるようになめらかで焼き目はパリッと香ばしく、たっぷりの白菜と豚肉、羊、ニンニクなど17種類の具材のバランスも絶妙で、根強い人気を誇っています。餃子を焼くのは特注の最高級落花生油、玉ねぎは淡路産、肉や米にまでこだわりつつリーズナブルな価格で提供してくれます。四条店は夜10時半まで営業とあって仕事帰りに立ち寄る人も多く、四条限定の「豚肉とレンコンのピリ辛炒め」もおすすめです。

餃子舗 珉珉 四条店
女性一人でも気軽に立ち寄れて、落ち着く店内。

餃子舗 珉珉 四条店

京都市下京区四条通河原町東入真町88
ユーイットウ池善ビルB1F
TEL.075-366-4533
【営業時間】11:30~22:30(LO22:10)
【URL】https://www.minminhonten.com

四条の発展を念頭に
テナント誘致のスペシャリスト

幕末の慶応4年(1868年)、初代井上善兵衛が創業した「池田屋」を祖とし、以降六代にわたって京都・四条の地で商いを続けています。平成元年に法人化し、社名を「株式会社リバティ池善」として、テナント・店舗・事務所の仲介をはじめ、不動産の売買、ビル・マンション管理、リフォーム業、ビルメンテナンス業など総合不動産業を営んできました。宅地建物取引士とファイナンシャルプランナーが常駐しており、問題解決の心強い味方です。2023年に創業150周年を迎え、新社長のもと次の50年に向けて情報・サービスのさらなる充実をめざしています。

株式会社リバティ池善
創業150年を記念し作成したロゴ。

株式会社リバティ池善

本店/京都市下京区四条通河原町東入真町88
ユーイットゥ池善ビル1F
TEL.075-221-2966

顧客に寄り添うサービスで
骨董品・ブランド品を買取

2012年にブランド品買取の「なんぼや」として京都四条河原町店がオープンし12年。昨年には「古美術八光堂」を併設し、全国的にも珍しい形態で歴史ある京都ならではの茶道具や骨董品の相談も受付ています。年配の方や女性の利用も多いのが特徴で、バッグやジュエリーの買取相談に訪れる人が増えているとか。ブランド品、宝飾品、貴金属、骨董、美術品等をはじめ、車や不動産まで買取の相談を受付ており、古いもの、キズや汚れのあるものでも無料で査定してもらえます。リユースが当たり前になるような循環型ライフスタイルの実現にひと役買ってくれるお店です。

なんぼや・八光堂 京都四条河原町店
店内はプライバシーを守る落ち着いた空間。

なんぼや・八光堂 京都四条河原町店

京都市下京区真町90-3 四条木屋町櫛田ビル1F
TEL.0120-66-1333(電話相談受付 10:00〜21:00)
【営業時間】11:00~20:00 定休日なし
【URL】https://nanboya.com

インフォメーション四条

インフォメーション四条

情報誌「四条」次号発刊について

次号の発行時期につきましては、決まり次第、四条繁栄会のホームページでお知らせいたします。

四条の置いている場所2024年5月現在

四条通で楽しいお買い物 烏丸〜御幸町

烏丸〜御幸町
烏丸〜御幸町
烏丸〜御幸町
烏丸〜御幸町
烏丸〜御幸町

四条の置いている場所2024年5月現在

四条通で楽しいお買い物 御幸町〜先斗町

御幸町〜先斗町
御幸町〜先斗町
御幸町〜先斗町
御幸町〜先斗町
御幸町〜先斗町

編集後記

いつも「四条」をご愛読いただきありがとうございます。
いよいよ祇園祭が近づいて参りました。本誌ではたびたび祇園祭を記事に取り上げて参りましたが、今回も昔の祇園祭の様子などについて写真と共に掲載をいたしました。
私事ですが四条の髙島屋さんの南側の小学校に通学しており、祇園祭の7月17日は特別な感じでした。学校に行くと朝礼で先生から「今日は帰って祇園祭を見ましょう」と言われて、登校したばっかりやのになぁ… こんなんやったら休校にしてくれはったらええのにと子供心に思いながら、すぐに下校して友達と一緒になって巡行する鉾の上からチマキを投げてもらうのが楽しみでした。
それから約60年を経過した今も、祭りになるとワクワク感が半端ではありません。
昨年はコロナも落ち着き従来の祭りの形を取り戻し活気あふれる祭礼となりましたが、今年は海外からの観光客も増え、より多くの方が見物に来られる事と期待しております。
是非とも多くの方に山鉾巡行などをご覧いただきたいのですが、遠方の方には前日16日または23日の宿泊が必要となります。京都はどこも祇園祭で値上がりするのと、なかなか予約も取れないので近郊の大阪、滋賀などに泊まって早朝に京都に向かっていただければと思います。観覧する場所としては有料観覧席も良いのですが日陰がなく暑くなりますので、アーケード屋根のある歩道拡幅された四条通をオススメいたします。祇園祭の巡行順に解説が付いたパンフレットも四条繁栄会商店街で発行いたしますので加盟店舗でお尋ねください。
今年も祭りがいつもと変わらず行われる事に感謝いたし、世界の平安を祈念しつつ当日のボランティア活動にも参加したいと思っております。

S.T記

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