四条への手紙

感謝を込めて

四条繁栄会商店街振興組合
理事長
亀井 邦彦

PROFILEプロフィール

亀井 邦彦(かめい くにひこ)
四条繁栄会商店街振興組合 理事長 亀井 邦彦

昭和27年(1952年)京都市生まれ。同50年(1975年)同志社大学経済学部卒業。京ごふく ゑり善 会長。平成12年(2000年)より四条繁栄会商店街振興組合理事を務め、地区計画(特)委員長、街づくり(特)委員長を歴任。平成20年(2008年)に専務理事に就任し、道路空間再構築(特)委員長を務め、同28年(2016年)副理事長に就任。以後、設立50周年記念(特)委員長・経営計画室長等を歴任し、令和6年(2024年)より現職。

 鉾町の町家から祇園囃子が流れてくると、京都の街もいよいよ本格的な夏を迎えます。いつも四条繁栄会をお引き立て頂き誠に有難うございます。皆様のお陰をもちまして、当組合も「風格と華やぎ」を目指し、賑わいの中で活動に取り組ませて頂いており、その一環として今年も情報誌「四条」を発刊させて頂く運びとなりました。
 さて、2015年、四条通は車道を一車線とし、ゆったり歩けるカラー舗装の歩道や、乗降者専用のスペースを確保したバス停を整備致しました。なにぶんにも前例のない取り組みだけに、組合員ご関係者や市民の皆様からは、様々なご不安やご懸念も承りました。工事の影響が観光シーズンとちょうど重なった同年春には大きな渋滞が発生し、ヘリコプターからの映像が全国放送に流れたこともございました。しかし、将来の四条通にとって、さらには京都の街にとって、どうしても必要な整備であることを確信し、ブレることなく事業を進めて頂いた当時の門川市長をはじめとする京都市の皆様、そして多大なご理解とご協力を頂いた多くの京都市民や来街者の皆様には、今でも感謝に堪えません。お陰で、交差点の横断待ちやバス停の混雑も緩和され、迷惑駐停車も無くなる一方で、車もほぼスムーズに通行出来ているように感じます。「祇園祭」や同時期に開催の「いけばな展」も広い歩道でゆったりとご観覧頂けるようになりました。歩道拡幅より10年の節目を迎え、御世話になったすべての方々に改めて心より厚く御礼申し上げます。
 最後になりましたが、御拝読頂きました皆様の、益々のご健康と御多幸をお祈り申し上げますと共に、相変わりませぬお引き立てを心よりお願い申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。

特集グラビア 建築に見る京都の昭和100年

激動の時代と呼ばれる「昭和」の
幕開けから一〇〇年。
世界を巻き込む大戦や、戦後の復興、
高度経済成長からバブル経済まで、
暮らしを取り巻く環境が大きく変化したなかで
京都、そして四条のまちには
移り変わる時代を見守り続け、
いまなお人々に愛される建物が
数多く残っています。
なかでも、新しい時代の到来にあわせて
建てられた築一〇〇年前後の近代建築を訪ね、
先人たちがそこに託した希望と
大切に守り続ける人々の思いをたどります。

新時代の幕開けを飾った四条通のランドマーク

明治維新後、いち早く近代化が
推し進められた京都にあって
その中心街の一つである四条通には
多くの洋館が建てられました。
現在、まちのランドマークとして
愛される建物のなかには
大正末から昭和初期に竣工したものが多く
修繕を重ねながら保存されているもの、
また意匠を残しながら再建築されたものなど
往時の面影をたどることができます。

東華菜館

【東華菜館】地図①

大正15年(1926年)築。教会や学校建築を数多く残したウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計。スパニッシュ・バロックの洋館はヴォーリズ唯一のレストラン建築で、山海の幸をモチーフにしたレリーフが見どころの一つ。現存する日本最古のエレベーターも現役で使われている。

東華菜館
東華菜館
(写真提供/東華菜館)
大丸京都店

【大丸京都店】地図②

四条通沿いに京都店が開業したのは明治45年(1912年)。その後、建物が全焼する悲劇に見舞われるが、大正末から昭和にかけて再建され、東館・西館などを増床していった。2014年秋の外装リニューアルオープンでは、再建を手掛けたウィリアム・メレル・ヴォーリズのデザインモチーフを一部参照しながら再構築されている。

京都ダイヤビル

【京都ダイヤビル】(旧三菱銀行京都支店) 地図③

建築家・櫻井小太郎、竹中工務店の施工により大正14年(1925年)に竣工。現在の建物は正面の外装材を保存採取し、新築躯体に再生させており、建築当時のファサードの特徴を継承している。

池善ビル

【池善ビル】地図④

四条河原町交差点のランドマークとして長年親しまれるレトロビル。大正末期に建てられ、2022年に京都市の「京都を彩る建物や庭園」に認定。2025年3月に京都市から「歴史的風致形成建造物」に指定された。

池善ビル
大正末期の四条河原町南西角。写真左に見えるのが池善ビル(写真提供/本家常久)

まちに新たな息吹を吹き込んだ文化・学術の殿堂

京都を代表する文化の殿堂もまた
昭和初期に建てられたものが
数多くあります。
より多くの人が集える場として規模を広げ、
造りも頑強に設計されました。
また、京都はまちの人々の手によって
全国に先駆けて小学校がつくられたまち。
それらの校舎も昭和に入ると、
競い合うようにコンクリート造に
建て替えられていきました。

南座

【南座】地図⑤

鴨河原は出雲の阿国が「かぶき踊り」を始めたとされる歌舞伎発祥の地。そこに立つ南座の現在の建物は昭和4年(1929年)に竣工したもので、絢爛豪華な桃山破風造りが特徴。平成3年(1991年)に大々的な内装工事が行われ、国の有形文化財にも登録されている。(写真提供/松竹株式会社)

南座
昭和4年の竣工当時の南座。
南座
写真は平成30年(2018年)新装なった内観。
京都市円山公園音楽堂

【京都市円山公園音楽堂】地図⑥

昭和2年(1927年)に開堂した歴史ある野外大音楽堂。約2500人を収容し、東山を背景にした開放的な空間が特徴。※平時は閉門。公演等開催時のみ開場。(写真提供/京都市)

先斗町歌舞練場

【先斗町歌舞練場】地図⑦

京都五花街の一つ、花街先斗町の中心施設で春の「鴨川をどり」などでも知られる。武田五一を設計顧問とし、劇場の銘手といわれた木村得三郎の設計によって昭和2年(1927年)に竣工した。

平安神宮大鳥居

【平安神宮大鳥居】地図⑧

昭和天皇の大礼が京都で行われたことを記念して、昭和4年(1929年)に竣工。鉄筋コンクリート造で、高さは24.4m。武田五一が設計顧問を務めた。

京都市京セラ美術館

【京都市京セラ美術館】地図⑨

現存する日本の公立美術館建築のなかで最も古く、帝冠様式を代表する建物。1933年(昭和8年)、前田健二郎の設計により「大礼記念京都美術館」として開館。2020年に大規模リニューアルが行われ、数々の建築賞を受賞している。(撮影/来田猛)

京都市京セラ美術館
創建当時の本館正面(1933年ごろ)。
京都市京セラ美術館
西広間天井のステンドグラス。

【京都芸術センター】(元明倫小学校) 地図⑩

明治2年(1869年)に開校した番組小学校の一つ。昭和6年(1931年)に木造校舎から鉄筋コンクリート造へ建て替え。スパニッシュやアールデコなどのデザインを採用。現在は芸術拠点として創造や発表の場となっている。

京都芸術センター
(撮影/高野友実)
京都芸術センター
昭和6年の竣工当時。

【立誠ガーデンヒューリック京都】(元立誠小学校) 地図⑪

昭和3年(1928年)建築の小学校を保全・活用し、ホテルやショップなどが入る複合施設として2020年にオープン。かつての運動場は人工芝を敷いた「立誠ひろば」として親しまれている。

立誠ガーデンヒューリック京都

【京都国際マンガミュージアム】(元龍池小学校) 地図⑫

明治2年に開校した小学校を、マンガを総合的に扱う文化施設として再生。本館と北館、講堂の3つの建物をつなげてリノベーションされ、いずれも昭和初期(1929~1937年)の建築。(写真提供/京都国際マンガミュージアム)

京都国際マンガミュージアム

官民ともに都人たちの誇りを託した建築の粋

行政機関や京都を代表する企業の拠点にも
昭和初期の建築が数多くあります。
当時の先端でありながら古都のたたずまいにふさわしく
意匠が凝らされた建物は100年を経たいま、
まちの誇りとなっています。
現代に則した機能を加え、または用途を変えながら
大切に次代へと引き継がれようとしています。

南座

【京都市役所(本庁舎)】地図⑬

現在の市本庁舎は三代目に当たり、関西建築界の父と呼ばれた武田五一監修のもと、昭和2年(1927年)に竣工。これが現在の本庁舎東館で、昭和6年(1931年)に先代市庁舎を改築して西館を建設したことで、いまの本庁舎の全容が整った。2021年に耐震補強などの工事が終わり、歴史ある意匠を残しつつバリアフリー化など時代に則したリニューアルが行われた。(写真提供/京都市)

京都市役所(本庁舎)
正面玄関奥の吹き抜け。
京都市役所(本庁舎)
歴代議長の写真が並ぶ市会議場。
新風館
(撮影/フォワードストローク)

【新風館】(旧京都中央電話局) 地図⑭

近代モダニズムの先駆者と呼ばれた逓信省技師の吉田鉄郎の設計で大正15年(1926年)竣工。2001年に再開発されたのち、2020年にホテル・店舗・映画館からなる複合施設として生まれ変わった。(写真提供/新風館)

新風館
京都中央電話局として竣工されたころ。(NTTファシリティーズ所蔵)
島津製作所旧本社ビル

【島津製作所旧本社ビル】地図⑮

京都を代表する企業の旧本社ビルは、隣接する京都市役所の本庁舎と同じく武田五一が手掛け、昭和2年(1927年)に竣工した。現在は「フォーチュンガーデン京都」が入店し、レストラン、ウェディング、パーティースペースを運営している。(写真提供/株式会社島津製作所)

島津製作所旧本社ビル
戦前の旧本社ビル。
壽ビルディング

【壽ビルディング】地図⑯

国の登録有形文化財。昭和2年(1927年)竣工の鉄筋コンクリート造5階建、塔屋付きで、玄関や階段にアール・デコ風の意匠を取り入れている。現在はファッション・雑貨などの店舗が入っており、1階にはビルの歴史や意匠について展示されている。

壽ビルディング 壽ビルディング
壽ビルディング

四条から歩いて巡る昭和の建築遺産

今回ご紹介した昭和の建築遺産は
いずれも四条界隈から歩いて巡ることができます。
建物を訪ねて、人々が守り伝えてきた
昭和100年の歩みをたどってみませんか。

昭和11年(1936年)ごろの四条河原町交差点 黒川翠山撮影写真資料/京都府立京都学・歴彩館蔵
昭和11年(1936年)ごろの四条河原町交差点
(黒川翠山撮影写真資料/京都府立京都学・歴彩館蔵)
案内マップ

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ミズノショップ京都四条
シューズからアパレルまで幅広く商品が揃う。フィッティングスペースも広く、サイズなどもじっくり選べる。

ミズノショップ京都四条

日本が世界に誇る
老舗スポーツブランドが
四条通に直営路面店をオープン

直営店販売課課長 石元良樹
「気軽にのぞいていただける店舗づくりをめざしたい」と
直営店販売課課長の石元良樹さん。

シューズからアパレルまで直営店ならではの品揃え

ミズノショップ京都四条
四条通麩屋町東入ル北側にある店舗。

四条通麩屋町の東、通りに面したガラス張りの明るいエントランスの上には、走る鳥の姿にも似たおなじみ青いロゴマークが掲げられています。「ランバード」の愛称で親しまれるこのマークは、日本が世界に誇るスポーツブランド「ミズノ株式会社」の象徴。これを染め付けた提灯を店頭に掲げるのは、京都の店舗ならではの趣向です。
本年1月24日にオープンした「ミズノショップ京都四条」は、スポーツスタイルシューズを中心に、日常使いしやすいライフスタイルアパレルやスポーツアパレル、ランニングシューズ、フットボールシューズ(サッカー)などを揃えるミズノ直営店。シューズだけでも常時約100アイテムを取り扱っており、直営店でも五指に入る規模。スポーツで培ったテクノロジーを生かし、カジュアルからアクティブまで幅広いアイテムを提案してくれます。また、直営店だけで手に入る限定品のほか、京都限定デザインのTシャツなども店頭を飾ります。

「ええもんつくんなはれや」の精神

 日本を代表する総合スポーツメーカー・ミズノの創業は明治39年(1906年)。水野利八氏と弟の利三氏が大阪北区で「水野兄弟商会」を立ち上げたことに始まります。当初は洋品雑貨のほか野球ボールなどを販売していましたが、アメリカの野球文化に感銘を受けた利八氏が日本で野球を広めるべく、動きやすく快適な着心地を目指して運動用ウエアの製造を手掛けるようになります。用具に関する情報や知識がまだまだ少ないなか、野球のシューズを独自に開発し、自らデザインしたグラブを職人とともに作っていきました。
アイデアマンだった利八氏は、カッターシャツの名付け親としても知られ、ボストンバッグやポロシャツなど新しいネーミングで次々に商品を発売。その後、ゴルフ、スキー、陸上など取り扱い競技を広げ、終戦直後の苦しい時代には「日本が暗くなっているいまだからこそ、スポーツの力が必要だ」という強い思いのもと、入手困難な革に代えて布製の野球グラブの製造をいち早くスタートさせています。
そんな利八氏の口癖は「ええもんつくんなはれや」。その精神はいまも受け継がれ、長年にわたり技術の向上を図っています。「より良いスポーツ品とスポーツの振興を通じて社会に貢献する」という経営理念のもと、アスリートには限界を超えた新しい世界を、スポーツ愛好家にはいままでにない楽しみを、そして楽しい人生を求める人にはよりよい健康を届け続けています。

ミズノショップ京都四条
カジュアルラインの「ライフスタイルアパレル」コーナー。
ミズノショップ京都四条
シューズにはおなじみ「ランバード」のロゴ。
ミズノショップ京都四条
ロゴを染め抜いた暖簾が掲げられているのも京都四条店ならでは。

四条を行きかう幅広い層に向けて

京都四条に直営の路面店が誕生して約半年。長年の愛用者はもちろん、初めてミズノの製品を手にするという若い人がほかの店に比べて多い傾向にあるというのは、店舗を統括する直営店販売課課長の石元良樹さん。ブランドの高い信頼性のもとファンを多くもつミズノですが、メインの購買層は40~50代とやや高めで、若者を取り込んでいくことがこれからの課題なのだとか。
「その点、四条通を訪れる方は買い物や観光、通勤・通学など来街目的や年齢がさまざまで、これまでの顧客層とは異なる方々に気軽にのぞいていただけています」と話してくれました。
海外でも人気のスポーツブランドだけあって、「オンラインだけでなく実際に手にとって選びたい」と遠路店舗を訪れる人も多く、インバウンド需要の高さは当初の期待を上回る状況だといいます。さらに「予想以上に地元の方がご来店くださっており、そういったみなさまにリピーターになっていただけるよう細やかにご要望にお応えしていきたい」と接客にも力が入ります。
この春には店頭に桜の木を模したオブジェが登場し、ウインドーに描かれた舞い散る花びらとともにまち行く人々の目をひときわ引きつけました。これからも京らしい季節の演出やコラボ企画などで京都四条ならではの店舗づくりをめざしていきます。

ミズノショップ京都四条
高い機能性を誇る「トレーニングウエア」。
ミズノショップ京都四条
「フットボール&ランニングシューズ」コーナー。
ミズノショップ京都四条
観光客にも人気の京都限定Tシャツ。
  • ミズノショップ京都四条
  • 京都市下京区奈良物町364 中央四条ビル1F
  • 【営業時間】11:00~21:00
  • 【URL】https://jpn.mizuno.com

コラム〜京おんなは知っている、ヒミツの…

イラスト:たつみ まさる

「夢がないとダメですか?」-“夢ハラ”時代のキャリア論

イラスト:たつみ まさる

「夢をあきらめた人って、かわいそうだよね」
「夢は?夢がないの?やりたいことがないって、どういうこと?」
そんな言葉に、心がザラついたことはないだろうか。夢を追う人がキラキラと輝いて見える一方で、夢を変えた人や、まだ見つかっていない人には「挫折した人」「やる気がない人」といったレッテルが貼られがちだ。特に子どもや若者たちは、「夢があって当然」「夢を語れない自分には価値がない」といった空気の中で、ひそかに息苦しさを感じている。
最近では、そんな無言の圧力を「夢ハラ(夢ハラスメント)」と呼ぶ動きも出てきている。「夢を持て」という押しつけや、「夢がない」ことをマイナスに見る風潮が、かえって多くの人を苦しめているのだ。
けれど、少し立ち止まって考えてみてほしい。私たちは今、VUCA(ブーカ)と呼ばれる、将来の予測が難しく、不確実性が極めて高い時代を生きている。AIやテクノロジーが急速に進化し、働き方も社会構造も変化の真っただ中にある。そんな中で、「小学生の頃に思い描いた夢を貫き通すこと」だけを成功の基準にしていいのだろうか?
私はこの数年、小学校から大学、企業まで、さまざまな場でキャリアや働き方についての講演を行ってきた。印象的なのは、講演後に寄せられる言葉たちだ。「ホッとしました」「夢がなくても、動き出していいと背中を押された気がしました」、その一言ひとことに、誰にも言えなかった葛藤がにじんでいる。つまり、夢を持てない自分を「劣っている」と感じ、身動きが取れなくなっている若者や社会人が、思いのほか多いのだ。
もちろん、夢を追い、叶えることは素晴らしい。だが一方で、人生には予期せぬ出会いや偶然の展開、価値観の変化がある。だから私は、一つの夢に一直線に進むのではなく、「動きながら形づくるキャリア」、「流れに乗るキャリア」、あるいは「試して見つけるキャリア」といった柔軟で実践的な考え方を大切にしている。
これは、最初から明確なゴールを定めることができなくても、今の自分の関心やできることで、小さな一歩を積み重ねながら、未来の可能性を広げていくという生き方だ。実際、経済学やキャリア論の世界でも、こうした「変化を受け入れながら進むキャリア」の有効性は数多く研究され始めている。自分の現在地を起点に、出会いを大切にしながら進むこの方法は、むしろ変化の激しい時代をしなやかに生きるための知恵だと私は思う。
にもかかわらず、社会にはまだ「一貫性」を重んじる価値観が根強く残っている。そのため、夢を変えた人に「諦めた」「ブレた」といった評価がついてしまうことがある。けれどそれは、あまりに表面的な見方だ。夢を変えることは、逃げでも挫折でもない。むしろ、自分自身の変化に誠実に向き合い、その時々で最善の道を「選び直す力」がある証拠だ。

イラスト:たつみ まさる

例えば、プロのスポーツ選手を目指していた人が、ケガを機に指導者へと道を変える。起業を志していた人が、家庭や地域とのバランスを考えて働き方を調整する。どちらも夢の放棄ではなく、人生をより豊かにするための「再選択」だ。夢を変えながら、自分の軸を見つけ、納得して生きていく――そんな人たちこそ、これからの時代の新しいロールモデルではないだろうか。
AIや自動化が加速するこれからの時代に必要なのは、「変化できる力」だ。育児や介護、病気、転職、ライフステージの変化…人生には、何度も立ち止まり、選び直す場面がある。そのたびに夢を再定義し、自分にとっての「納得のいく今」を大切にする柔軟さこそ、未来を切り拓く鍵になる。
これからは「夢を叶えた人」だけでなく、「夢を変えながらも、自分の納得を軸に人生を選び続けている人」を称賛する時代にすることで、誰もが豊かな人生を送ることができるようになるのではないか。
夢を持つことは素晴らしい。でも、それに縛られずに、変化の中で選び直していく勇気も、同じくらい尊い。大切なのは、夢を貫いたかどうかではなく、今、自分の人生に納得して生きているかどうか。それが、これからのキャリアの本質であり、新しい「成功のかたち」ではないかと私は信じている。

文:赤城 賀奈子(あかぎ かなこ)
イラスト:たつみ まさる

京都・知れば知るほど

京の食文化・洋食

海外からの訪日客が増えるなか
トンカツやエビフライ、オムライスなどの洋食が
「日本ならでは」の食文化として再認識されています。
洋食と西洋料理との違いはどこにあるのか、
また、どのように発展してきたのか―。
今年一〇〇年の節目を迎えた京都の洋食店に聞きました。

ごはんに合う西洋料理として、日本で独自に進化した洋食。

京の食文化・洋食
吹き抜けのモダンなデザインで親しまれた錦天神前のスター総本店。
京の食文化・洋食
駅前や百貨店で展開するテイクアウト店。
京の食文化・洋食
京都洋食をオンラインでの取り寄せも可能に。

幕末の開国とともに日本に入ってきた西洋料理。京都でも明治16年(1883年)に出版された『都の魁』に、八坂神社鳥居前「外国向料理自由亭」の広告が掲載されています。
西洋料理は当初、訪日外国人や一握りの特権階級のものでしたが、一般に広まるなかで日本人の味覚にあったアレンジが進んでいきました。改良の過程にあたり「炊いたごはんという身近な主食に合うかどうかがポイントになったと思います」と考察するのは、「スター食堂株式会社」代表取締役社長の西村裕行さん。独自の進化を遂げた料理は、西洋の食文化から大きく枝分かれし、「洋食」として日本に定着していきました。
また、洋食が庶民層へ普及するまでにも多くの創意工夫が繰り返されてきました。スター食堂の創業者である西村寅太郎氏は、明治期に渡米してレストランオーナーとして成功を収めた人物。帰国後に取り組んだのが「洋食のチェーン展開」でした。日本が欧米の国々と肩を並べるには、まず体を大きく強くするための食事が大切だと考え、まだまだ庶民には高嶺の花だった西洋料理を身近にするために奔走します。「星のごとくたくさんの店舗が出せるように」と社名にスターを冠し、効率のよい多店舗展開のために食材の一括仕入れと加工配給を行えるセントラルキッチン制を確立。アメリカ製の大型冷凍冷蔵庫もいち早く取り入れました。また、社員の教育や栄養学の啓もうにも熱心で、当時の社内報には食を担う職業人としての社会的役割などを説いています。
高度成長期に入って洋食が家庭料理にも普及し、まちの洋食の専門店は減少。同社も本格フレンチやビアダイニングなど業態を広げていきましたが、創業100年を前にした2020年に原点に回帰するリブランディングを実施。厳選した食材やプロの技を生かした調理など、付加価値の高い洋食を提案するほか、テイクアウト店の展開やオンラインを通した取り寄せなどにも力を入れ、新しい京都洋食の時代を切り拓こうとしています。

〈取材・資料提供〉

スター食堂株式会社

京都市中京区御幸町通錦上ルTEL.075-256-1925

私の四条通り

京のまちが内包する大きな力。
それに導かれ、また報いるために。

料理人 西川 正芳さん

2009年に独立して開いた「祇園にしかわ」は
開店後1年余でミシュランの星付きとなり、以降15年もの間、星を取り続けている。

ミシュランの星を取り続ける背景には絶え間ない挑戦がある
ミシュランの星を取り続ける背景には絶え間ない挑戦がある。

祖父の影響で進んだ道

母方の祖父が友禅の絵付師で、“糸偏のまち”と呼ばれる室町に住んでいました。祖父は梅や桜など四季折々の植物をとくに専門としており、書斎には画集や美術誌、家庭画報などのグラフ誌がたくさん並んでいたのを覚えています。父が転勤族だったため、私は母の実家によく預けられ、祖父は幼い私ともたくさん遊んでくれました。その一方で夜中になると書斎に篭り、図案を考えたり、硫酸紙で型を取ったりと、一人でこつこつと作業しており、その姿がいかにも楽しそうだったことがとても印象に残っています。
祖父に連れられて料理屋や美術館などにもよく行きました。たん熊さんや嵐亭さん、四条では東華菜館さんなど、幼い私には贅沢だった気もしますが、京都というまちで美味しいものや美しいものに触れられたこと、また、それを知り、勉強することが楽しいと思える感覚を間近に見て育ったことは、いまの仕事の礎になっていると思います。
私に限らず、人に食事を振舞うのが祖父の趣味だったようで、立命館大学の野球部のマネージャーをしていた関係で若い選手たちをよく食べに連れて行っていました。そのなかで「これぞ」と将来性を見込んだのが娘婿、つまり私の父(笑)。孫の私は食道楽の祖父のもと「料理をつくる人になりたい」と言っていたそうですが、私自身は覚えておらず。小学生のころには祖父から受けたもう一つの影響である野球に没頭し、高校卒業後は社会人野球でプレーしました。
所属チームの母体が病院で、業務として配属されたのは偶然にも病院食を作る調理施設。そこに腕のいい料理人の方がいて、魚のさばき方など一から教えてもらいました。3年目で怪我をして野球を続けられなくなったとき、その方が「本格的に料理を勉強してはどうか」と勧めてくださり、料亭へ修業に出たのがこの道へ進むきっかけとなりました。このとき21歳で、料理人としては遅いスタートでした。

季節や味わい、器の構成、客との会話など、自身の想いを全身で表現する料理は「劇場型」と評される。
季節や味わい、器の構成、客との会話など、
自身の想いを全身で表現する料理は「劇場型」と評される。

日々怠らず、一期一会を大切に

ずっと野球一筋だった私にとって、途中で挫折した口惜しさは大きく、次のステージこそ頑張りたいという気持ちがありました。いくつかの店を経て、技術は身に付いたと少し自信が出てきたころ、お世話になったのが京都で最も予約が取れないといわれる名店「祇園さゝ木」です。ここで私は自分がまだまだだと思い知ることになりました。初心に返って基礎から勉強し、一つひとつ確認しながら「わずかなことも怠ったらあかん」と自分に言い聞かせ続けました。
2009年、33歳で独立することになり、構えた店が現在の「祇園にしかわ」。有難いことにその翌年にミシュランの1つ星、3年後から現在まで2つ星をいただいています。京都・大阪という激戦区で星を取り続けるプレッシャーは大きなものですが、スタッフや周囲の方々の協力、何より足を運んでくださるお客様が力になっています。

高台寺そばにある「祇園にしかわ」は、細い露地を抜けた先にある数寄屋造り。
高台寺そばにある「祇園にしかわ」は、細い露地を抜けた先にある数寄屋造り。

そんな毎日の出会いに感謝し、日々を積み重ね続けたいという思いを込めて、書家の池田桂鳳先生に「一期一会」と書いていただき、カウンターのすぐ近くに掛けています。ただ、深く考えすぎたり、プレッシャーに対して過剰に不安がったりすると、召し上がっていただく方は息が詰まるもの。祖父がそうだったように、まず自分が楽しんで仕事をすることを大切にしています。料理もお客様との会話も外しすぎると品がなくなるので、バランスは難しいところですが、「大将に会いに来た」と言っていただけるのが何より嬉しいお言葉です。時々「料理のクオリティーはすごいのに、ダジャレはひどい」なんて言われますが(笑)。
若いときはお客様も年上の方が多く謙虚でいることも比較的容易ですが、50歳を過ぎて自分より若い方に楽しんでいただくことに難しさもあり、まだまだ勉強が必要だと感じます。また、後進の育成はもちろん、これからの日本料理のためにはお客様にルールやマナーを伝えていくことも果たすべき役目の一つだと思っています。

7月17日の山鉾巡行。稚児を務める雅基さんの左が西川氏。右は義父の山田正太郎氏。
7月17日の山鉾巡行。稚児を務める雅基さんの左が西川氏。
右は義父の山田正太郎氏。(撮影/柴田歩)

稚児家として祇園祭にご奉仕

自分の店をもつにあたり、料理や商いの在り方とは別にもう一つ大切にしたのが5人いる子どもたちとの時間でした。日曜を定休にしているのもそのためで、毎朝の弁当作りも子どもとのコミュニケーションと考え10数年続けています。そんななかで昨年、長男の雅基が祇園祭の長刀鉾稚児を務めるご縁をいただきました。
長刀鉾保存会の理事で、四条繁栄会にある林万昌堂の林雅彦社長は、長年ご近所付き合いをさせていただく仲。地蔵盆などでご一緒した際、「稚児になってくださりそうなお家はないか」と話題に出たことはありましたが、まさか我が家にお声が掛かるとは思ってもみませんでした。祇園祭といえば飲食店はかき入れどきということもあり、料理屋が稚児家になるのも数十年ぶり。幸いうちは予約制なので、7月いっぱいお休みをいただいてご奉仕することを決めました。
稚児の補佐役である禿(かむろ)は稚児家から声をかけるのですが、大変なお役目であることと、発表まで秘密を厳守せねばならないことを考え、「祇園さゝ木」で一緒に修業した兄弟弟子にお願いしました。「おが和」の小川洋輔くんも、「にしぶち飯店」の西淵健太郎くんも、自分で店を起こした初代組。さゝ木の大将へ報告に上がった際には「商いをちゃんとやってきた証」と喜んでくださり、何よりのお褒めの言葉をいただいて身の引き締まる思いがしました。

2024年の祇園祭にて。7月1日の稚児お千度の儀の日、長刀鉾の会所で一同揃って。(撮影/三宅徹)
2024年の祇園祭にて。
7月1日の稚児お千度の儀の日、長刀鉾の会所で一同揃って。(撮影/三宅徹)

私はこれまで祇園祭の還幸祭で西御座の神輿でご奉仕をしており、また、ともに介添えを務めてくれた義父の山田正太郎も長刀鉾の「松飾り式(中之町御供)」などに長年携わっています。義父は呉服業の職人網を生かして自ら本格的な鉾の模型を作ってしまうなど、祇園祭への思い入れは並々ならぬものがあり、義父孝行ができたのも嬉しいことの一つでした。
また、息子と禿役の小川門土くん、西淵一登くんは一門会の催しなどで一緒に遊んだこともあり、仲良く大役を務めてくれました。祭の期間中、八坂神社のご神職や保存会の方に神事の意味やご奉仕について教えを受けるなか、息子も自ら学ぶようになり、「これで終わってしまうのは嫌だ」と、今年からは囃子方のお仲間に入れていただけることになりました。
いただいたお役目を通して、ご縁がつながった方もあり、京都というまちが内包する大きな力を改めて感じる機会となりました。これからはその一端で祭や京都のまちに少しでもお役に立つことができればと考えています。<談話>

西川 正芳
PROFILE 西川 正芳(にしかわ まさよし) 1975年京都市生まれ。高校卒業後、社会人野球の選手を経て料理の道へ。名店「祇園さゝ木」などで修業し、2009年に「祇園にしかわ」を開店。翌年にはミシュラン星付き料亭となる。伝統的な和食を重んじながら、革新を恐れない挑戦を続け、季節や味わい、温度のバランスを吟味し、器の構成、店のしつらえまで、自身の想いを全身で表現し軽妙に振舞う姿は“ 西川劇場" と称される。2024年の祇園祭では長男・雅基が長刀鉾稚児に選ばれ、稚児家として祭に奉仕した。祇園にしかわ株式会社代表取締役。

京洛墨彩

【エン・その】

草木を植えた庭園。物事が集まるところ。

苑

茂る青葉と甍を映し込む静かな水面と
その下に息づく小さな命たち。
時折閃くのは、陽ざしに光る銀鱗か、
尾を翻し、はね上げた水の飛沫か。
いにしえの都の面影を写し
始祖の皇尊すめらみことを祀る神の苑。
折々に花を咲かせ、
穏やかな時を刻み続ける庭のなかに
新しい時代を拓こうとした
人々の熱き想いの面影をたどって。

平安京に都が遷り、桓武天皇が大極殿ではじめて正月の拝賀を受けた延暦15年(796年)。その千百年の節目となる明治28年(1895年)を迎えるにあたり、桓武天皇を祭神として創建されたのが平安神宮で、本年、御鎮座百三十年を迎えます。
明治という新しい時代を迎える前夜、京都は幕末の動乱で戦火に見舞われ、東京遷都によって政治・経済は衰亡の危機にさらされていました。人々はまちの復興に立ち上がり、小学校の創立や琵琶湖疏水の掘削、その水力を利用した発電所の建設など近代化事業を推し進めました。
それらの事業の集大成の一つとして計画されたのが「平安遷都千百年紀年祭」の挙行と第四回内国勧業博覧会の開催、そして平安神宮の創建でした。社殿は平安京の正庁である朝堂院を約8分の5規模で再現し、大極殿や応天門などを造営。同時に社殿を囲むように造られたのが「神苑」です。
明治を代表する作庭家・七代目小川治兵衛が手掛けたことで知られる池泉回遊式の庭園は国の名勝。池は疏水の水をろ過して引くように造られたため、長年にわたり外来種の影響を受けることがなく、琵琶湖ではほとんど見ることができなくなった絶滅危惧種も多く生息しています。都人たちの誇りと希少な命。それらをいまも受け継ぎ守り続けている庭です。

平安神宮神苑

京都市左京区岡崎西天王町97 ※記念事業として2030年度まで社殿塗替え工事を順次実施。
交通/四条河原町より市バス46番にて「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車ほか

写真田口郁明

コラム四条

日本は、京都はクリエイションの宝の山どすえ

コラム四条
コラム四条

マンガ、アニメ、音楽、食、デザインなど、いま世界中が日本のカルチャーに夢中になっていはるみたいですけど、今から150年ほど前、19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパで、ジャポニズムと呼ばれた日本ブームが巻き起こったんやそうどす。

江戸幕府が鎖国をやめて、万国博覧会に参加するようになると、ヨーロッパへ日本の工芸品や美術品が輸出されるようになり、日本に対する興味が広がったんやそうどす。なかでもジャポニズムはフランスで大流行し、特に浮世絵は当時のフランスで活躍しはった画家の人たちにとってほんまに大きな驚きやった。

単に好奇の目から見た日本趣味もおしたけど、四季の美しさや自然とともにあるやさしい心、その精神性など、日本独自の美意識に刺激を受けはった。ゴッホ、モネ、ドガ、ロートレックなど、印象派の画家はもちろん、エミール・ガレのガラス工芸、ドビュッシーの交響詩「海」は葛飾北斎の「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」からインスピレーションを受けて作曲しはったそうどす。そやから初版のオーケストラスコアの表紙には有名なあの波の絵が使われているのどす。知ったはりますか。あのルイヴィトンのダミエ柄も日本の伝統文様の市松と関係あるのやそうどす。びっくりどす。

何年か前にディオール、ルイヴィトン、セリーヌ、ショーメなど70を超える世界的ブランドを抱えるフランスの巨大企業グループが日本に支社をつくらはった。クリエイションのために京都や沖縄など日本中をめぐり、匠が何世代にも渡って受け継いできはった手仕事を収集したはるんやそうどす。


コラム四条

そういうたら、大阪・関西万博フランス館のパビリオンでの特別展示は日本伝統の漆を使うた作品を公開したはるんやそうで、セリーヌのバッグ、そのフロントは石川県輪島の伝統的な漆を使うていはった、トリオンフ漆(木彫漆塗り高蒔絵金箔仕上げ)には松竹梅モチーフがデザインされているんどす。トリオンフ(Triomphe)はパリの凱旋門を囲むチェーンから着想を得てつくらはったセリーヌを代表するアイコンなんどす。
そういうたら京都人に受け継がれてきた「もったいない精神」でもあり、独特の美意識でもある「金継ぎ」も数年前からアメリカなど海外の人たちに人気なんやそうどす。
「金継ぎ」とは割れた器などを漆と金粉を使って修繕する技法で、茶の湯が発達した15世紀の室町時代に流行したそうどす。当時の茶器は高価なもんやったから器が欠けたり、割れたりしたら「金継ぎ」で直さはった。壊れた器を再生するだけでのうて、傷をあえて目立たせて、金で美しく装飾してアートに変えてしまう。不思議なもんどす。
ほんまに日本は、京都は、世界を救うクリエイションがぎょうさんある宝の山なんどすなあ。日本のモノづくりに向かう真摯な態度や高い精神性、細やかな職人の手仕事、その技を守り育ててきた暮らし…哲学。
そやけど、いま職人さんたちの高齢化などで、技の継承ができひん危機的な状態でもあるんどす。京都のためだけやのうて、世界のために伝統技を守らんとあかんのやね…。

京野優女(きょうのやしょうめ)
イラスト:中井美樹

京都漫歩

富額三十六景
泰平洋沖荒波図

●作者プロフィール
辰巳 優(たつみ まさる)

  • 1951年 (昭和26年)京都生まれ
  • 1992年 読売国際漫画大賞優秀賞
  • 1993年 ユーモア広告大賞ビジュアル賞
  • 1994年 飛騨高山漫画フェスタ入賞
  • 1998年 長野五輪四文字熟語漫画最優秀賞
  • 2012年 トルコAIDIN国際漫画優秀賞
  • 2017年 京都新聞社カレンダー挿画

てやんでぃ べらぼうめ!
You’re talking nonsense,You idiot!
何言うてはりますの アホな事を

北斎に問うや泰平洋の波高し

富額三十六景泰平洋沖荒波図

四条の道具

「みんなが喜ぶ京都にする」ことを掲げ
京都発のライフスタイルブランドへ。

四条の道具

今年3月のリブランディングで
誕生した新コーポレートキャラクター「よじこ」。
四条河原町店の店頭でお客様をお出迎え。

四条の道具
創業は明治37年(1904年)。写真は初代店舗。
四条の道具
店内に入るとスキンケアブランドがずらりと並び、奥がカフェスペース。

今年3月26日、創業120年以上を数える京の老舗「よーじや」がロゴマークを60年ぶりに刷新すると発表し、大きな話題を呼んだ。曲線を多用したやさしい文字デザインとあわせて誕生したのが、新コーポレートキャラクター「よじこ」。
長年にわたり人々に親しまれてきた「手鏡に映る女性」をかたどったロゴが無くなるのでは!?と心配する声も挙がったが、新旧どちらのよじこも使い分けていくとのことでまずはひと安心。
ロゴの刷新はリブランディングの一環として実施されたもので、「みんなが喜ぶ京都にする」をビジョンに掲げている。そして、改革の旗印ともいえるのが、2月27日に四条通沿いにオープンした「よーじや 四条河原町店」だ。
よーじやは明治37年(1904年)に舞台化粧道具を扱う店として創業した。大正に入り、映画関係者から相談を受けて考案した「あぶらとり紙」が京の女性たちの間でも評判となり、1990年代の大ブームで全国に知られることとなる。しかし、ブームの縮小と需要の低迷で近年は売上が伸び悩んでいた。「あぶらとり紙のよーじや=お土産というイメージが定着し、売上の大半を観光客が占めるなかで、リピーターが少ないことが課題になっていました」と広報担当の東紗良さん。コロナ禍でその課題がより浮彫になり「脱・観光依存」の方針を掲げ、今回さらに踏み入ってリブランディングを実施したという。

四条の道具
▲おなじみの手鏡に映る女性が描かれた「顔パフェ」。
四条の道具
▲パスタメニューも豊富。写真は人気の「よじネーゼ~よじこのとろとろチーズをかけるボロネーゼ~」。

改革で目指したのは、地元に愛される「京都発のライフスタイルブランド」。スキンケア商品などの展開を増やし、開発をスピードアップしてリピーターを増やす一方、百貨店など観光地以外への出店をはじめ、地元スポーツチームのスポンサーなどや地域貢献活動にも積極的に関わる方針を打ち出した。それらは新コーポレートキャラクターの「よじこ」にも反映され、手鏡から抜け出していろんな場所におでかけし、チャレンジ精神旺盛な女の子として描かれている。
改革の拠点を担う新店舗を四条通に出店したのも、「四条はインバウンドや日本国内の観光客だけでなく、お仕事やお買い物など地元の人の来街も多く、デイリーに、また何度も利用してもらいたいという思いから」と東さん。新店舗はスキンケアブランドのショップとカフェを併設した複合型になっており、石鹸などのスキンケア商品を自由に試せる「テスタリングバー」を常設するのはこの店が初めて。
カフェはこれまでにも祇園(2023年に閉店)や嵐山などの観光地で展開しているが、街中カフェとしてランチやティータイムだけでなくディナーにも利用してもらえるよう、営業時間を22時までとし、アルコールも豊富に取り揃えている。
とくにフードでは、19種類の自家製生パスタをラインナップ。あつあつのチーズフォンデュをスタッフが目の前でパスタに掛けてくれる「よじネーゼ」はいちおしメニューで、チーズの表面にココアパウダーでよじこの顔が描かれているのも人気。カフェでおなじみの「顔パフェ」は、季節限定を含めた7種類を揃え、気軽にお茶だけ、また仕事帰りの一杯を楽しむ人のほか、休日にはファミリー層の来店も多いとか。
リブランディングが幅広い世代の間で話題を呼び、ブランドの地元シフトに共感する人のほか、若い世代には「よーじやを初めて知った」という人も。これまで主な顧客層だった40~50代の女性に加え、10~30代の利用も増えるなか、次なる展開も企画中という言葉に期待が高まる。

四条の道具
エコバッグやステーショナリーなど、毎日使いたくなるような「よじこ」グッズ。

よーじや 四条河原町店

京都市下京区御旅町30
営業時間/10:00~22:00(入店と注文は21:00まで)
https://yojiyacafe.com/shop/kawara

四条昔語り

このまちにまつわるエピソードを綴る昔語り。まだ人々の記憶のうちに留まっている思い出からまちと人の歩みを語り継ぎます。

四条界隈の銭湯、「今は昔」。湯のなかはまちの社交場。

四条昔語り

唐破風が美しい長者湯の外観。

徒歩5分に5つの銭湯

四条昔語り
木製のロッカーのなかには昔ながらの柳行李。

京都のまちから銭湯が減っている。昭和30年代後半には市内に500軒近くあったものが、いまは80軒にも満たないという。3年前には堺町四条上ルにあった「錦湯(地図①)」が閉業してしまった。堂々たる町屋造りの建屋が更地になっているのを見るとなんとも切ない気持ちになる。
私が幼かった戦前から高度成長期あたりまでは、風呂のない家が大半で銭湯に行くよりほかはなく、毎日近所の人と顔を合わせて入浴していた。子どもというのは風呂でもじっとしておれないもので、私も湯舟にモーターボートを浮かべて遊んだりした。いまなら非常識だとつまみ出されるだろうが、当時はおおらかなもので、咎める大人もいなかった。
私がよく行ったのは「明石湯(地図②)」。四条通から木屋町を一本北にある真橋のたもとにあり、四条河原町にあった我が家から一番近い。入口は樹齢数百年はあろうかという大きなシイの木が目印。脱衣所も風呂も大きくて親子で入りやすく、天井は三階分ほとの吹き抜けになっていた。客のほとんどは近くの住人ばかりで四条の店で働く人も多く、いつも繁盛していた。
木屋町四条を下がり、西石垣通と合流する角にも銭湯があった。「西石垣湯(地図③)」という名だったと記憶している。柳行李の脱衣籠には常連の家や店の名が大きく書かれていて、湯舟は大人四人が入れば満員という狭さだった。湯舟の周囲にはタイルの一枚一枚に描いた魚が一列に並べて貼ってあり、男湯は青、女湯は赤。幼い私が湯に浸かるのを嫌がると、母が「それ、赤いきんととが泳いではる」と言ってなだめていたのが思い出される。
木屋町四条を北へ上がり、いまは駐輪場となっているところにあったのが「鴨川湯(地図④)」。木屋町側は焚き口で、入口は先斗町にあり、間口は狭いが東西二つの通に面した細長い造り。先斗町の芸舞妓さんたちが座敷へ出る前に使う湯で、一般女性も入浴できたが男湯はなく、まさに花街ならではの銭湯だった。また、この近くにあった公園では毎年相撲の興行があり、立誠小学校の校舎裏の「元明石湯(地図⑤)」は期間中、男湯も女湯も力士たちの貸し切りになった。まわし姿の付き人が表で関取を待っていたのが印象に残っている。
四条河原町北側「ゑり善」さんの脇の通りは「うつさんの図子」と呼ばれており、この道が二つに分かれる角にも銭湯があった。健康に良いと言われる電気湯があったので、私は「電気湯」と呼んでいたが、「忍冬湯(地図⑥)」という名前だったらしい。家から徒歩5分の圏内だけでも5つの銭湯があり、湯舟は近所の社交場だった。


頼もしい次の担い手たち

四条昔語り
東京の銭湯ではペンキで描いた富士山などが主流だが、京都はタイルの焼き付けが定番。長者湯の男湯は「薄雪の金閣寺」。

この原稿を書くにあたってみなさんにも四条界隈の銭湯について聞いてみたところ、京極と寺町の間にあった「桜湯(地図⑦)」や、麩屋町蛸薬師上ルの「明治湯(地図⑧)」、富小路四条下ルの「別府温泉(徳喜湯と表記する資料もあり/地図⑨)」、少し南へ下って因幡薬師のそばにあった「薬師湯(地図⑩)」や、四条通を東へ鴨川を渡って「祇園湯(⑪)」や宮川町近くの「団栗湯(⑫」、京都駅前には「京都タワー」の地下にも大浴場があった。いずれも廃業され、寂しい限りだ。
ただ、嬉しい話も耳にした。昔ながらの銭湯を写真に収められないかとあちこち訪ねてみたところ、同業の方々から西陣の「長者湯」がいいのでは?と勧められた。大正6年(1917年)に創業し、いまも薪で湯を焚く数少ない銭湯で、現在の建物は昭和11年(1936年)築。唐破風の表構えに高い格天井、柳行李も現役だ。坪庭の池には涼し気に鯉が泳ぎ、立派な雪見灯篭が据えられている。店主の間嶋正明さんによれば、先々代が嵐山から牛車で引いてきたものだという。
浴場内は近年手を入れたそうで、新しくサウナも設置されていた。聞けば映画のロケ地となったり、本で紹介されたことで、近所の人だけでなく旅行者も訪れるようになったのだそう。自分の代で終わりかと思っていた間嶋さんだが、息子さんが跡継ぎに手を挙げてくれたことで、設備の改修に踏み切ったという。また、近年では銭湯文化の復興をめざして事業承継に名乗りを上げる若者が増えているとか。銭湯で育った世代としては、彼らの活躍に大いに期待したい。

[文/四条繁栄会商店街振興組合・扇子豊] 撮影協力:長者湯

  • 四条昔語り

四条問わず語り

昼間だけの住人

四条問わず語り

私が四条通の昼間だけの住人になったのは、阪神タイガースがバース、掛布、岡田のクリーンナップトリオを擁して21年ぶりにセリーグ優勝して、その勢いのまま西武ライオンズを倒して初めて日本一になった1985年、昭和60年の4月でした。
その年の3月に学校を卒業して今の会社に入社した私は、それまで京都というと中学校の修学旅行で来たぐらいで寺社仏閣がたくさんある都市というイメージしかありませんでした。会社の寮に入ることになっていた私は入社初日に先輩に連れられて東山にあった寮に四条通を通って帰ったことを覚えています。初めて市バスに乗って通った四条通は地方出身の私には何と都会なんだろうと思いました。それまでの京都のイメージとは全然違うものでした。それから現在住んでいる滋賀県に引越すまで、毎日朝晩四条通を通り烏丸東山間を通勤していました。
私が会社に入社した当時会社の9階からは東山北山が一望できました。今はとなりのビルが見えるだけになってしまいました。時代を感じます。さて話は変わりますが私が勤めている会社は長刀鉾町にあって町内会に入っています。最近町内会の役をやらしてもらうようになって祇園祭に今まで以上に関与させてもらうようになりました。鉾が建ってからは毎日夕方から会所に詰めています。祇園祭の行事の一つに宵山の夜に会所から八坂神社まで祇園囃子を演奏しながら行く日和神楽というのがあります。車が通っていない四条通を歩きながら車道から見る景色はこの時しか味わえない気持ちよさがあります。今年も参加しようと思っています。
私が四条通の昼間だけの住人になってから40年になります。当然の事ながら年々変わっていっています。町家だった所がビルに変わり今では烏丸から河原町まで北も南もビルになってしまいました。また人通リもインバウンドの人が多数を占めるようになりました。私も20代から60代になりあと何年四条通の住人として過ごすかわかりませんが、今後も四条通に関わっていきたいと思います。

外市株式会社 西井 恒範

お気に入りの通り探し

四条問わず語り

京都のメインストリート四条通はこの十数年で大きく変化しました。京都市屋外広告物条例により景観がすっきりしたり、歩道拡幅や駐輪ルールが強化されたりしたことで、地元の人も観光客にとっても、以前より心地よく過ごせる場所になってきたと感じています。そして最近は、四条通をまたぐ縦の細い通りが気になるようになりました。私の職場である藤井大丸に面している「寺町通」と「御幸町通」は1本違うだけで雰囲気が大きく異なります。
「寺町通」、豊臣秀吉が京都改造の一環として寺院を集め、通り名を「寺町通」としました。現在でも、たくさんの寺院や仏具の老舗が軒を連ねています。その一方で、バブル期には、大小さまざまな電器店が軒を連ねる典型的な電気街でした。その後大型店の台頭などにより閉店や撤退が相次ぎ、電気屋街としての賑わいは姿を消したものの、今でもマニアックな電子部品の専門店はいつもお客さんで賑わっています。最近では飲食店やアパレルショップ、宿泊施設が増えてきたことで、新たな賑わいを見せています。にぎやかな飲食店のすぐ隣や裏にお寺や墓地があったり、お寺の敷地内にホテルやマンションが併設されていたりと、伝統的な街並みと現代的な街並みが一体化して、この通りならではの魅力となっています。
「御幸町通(ごこまちどおり)」、寺町通の一本西側に位置しています。この通りも、豊臣秀吉による天正の地割で新設された通りで、秀吉が伏見から京都御所に参内する際に用いたとされています。道幅の狭さによる建築規制から、コンパクトな店舗が多く、古い京町屋を利用したおしゃれなカフェやレストラン、セレクトショップが点在していて、ぶらぶら歩いて見ているだけで楽しい通りです。四条通を挟んで北側に比べ南側は、まだまだ観光客の姿が少なく静かな雰囲気が漂っていて、京都の昔からの町並みを楽しむことができます。
いずれも京都の歴史と現代が融合した魅力的な通りであり、散策を楽しみながら、京都ならではの文化や風情を感じることができるお気に入りの通りです。
みなさんもお気に入りの通り探しをしてみてはいかがでしょうか。

藤井大丸 コーポレート 谷本 萌

おこしやす 京の歳時記

京都には、長い歴史と文化から育まれた
季節感のある祭が数多くあり行事が営まわれています。
その中から、京都をより知り、味わえるよう
6月下旬から12月までの祭と祭事を選びました。

*日程/場所/最寄り交通機関/問い合わせ
(変更になる場合がございますのでご注意ください)
鴨川納涼床
鴨川納涼床

6水無月

鴨川納涼床
~10月15日(店舗により期間、営業時間が異なる)/ 鴨川西岸 二条~五条/
http://www.kyoto-yuka.com/
貴船の川床
~9月30日(期間は店により異なる)/貴船川沿い/
☎075-741-4444(貴船観光会)
高雄の川床
~11月30日(夜の床営業は9月21日まで 店舗により期間、営業時間が異なる)/清滝川沿い/京都駅より西日本JRバス「山城高雄」/
☎075-861-1801(高雄保勝会・指月亭内)
天得院 桔梗を愛でる特別拝観
~7月17日/天得院/京阪電車「東福寺」/
☎075-561-5239
建勲神社 夏越祓・茅の輪神事
30日/建勲神社/市バス「建勲神社前」/
☎075-451-0170
下鴨神社 御手洗祭
下鴨神社 御手洗祭

7文月

祇園祭
1日~31日(17日/前祭山鉾巡行、神幸祭、
24日/後祭山鉾巡行、還幸祭ほか)/
☎075-213-1717 (京都市観光協会)
下鴨神社 御手洗(みたらし)祭
18日~27日/下鴨神社/市バス「下鴨神社前/
☎075-781-0010
伏見稲荷大社 本宮祭
19日・20日/伏見稲荷大社/京阪電車「伏見稲荷」/
☎075-641-7331
安楽寺 鹿ヶ谷カボチャ供養
25日/安楽寺/市バス「錦林車庫前」/
☎075-771-5360
真如堂 宝物虫払会
25日/真如堂/市バス「真如堂前」/
☎075-771-0915
狸谷山不動院 火渡り祭
26日/狸谷山不動院/市バス「一乗寺下り松町」/
☎075-722-0025
遍照寺 灯籠流し
遍照寺 灯籠流し

8葉月

六波羅蜜寺 萬燈会厳修
8日~10日/六波羅蜜寺/市バス「清水道」/
☎075-561-6980
清水寺 千日詣り
9日~16日/清水寺/市バス「五条坂」/
☎075-551-1234
遍照寺 灯籠流し
16日/遍照寺/市バス「広沢御所ノ内町」/
☎075-861-0413
大文字送り火
16日 /京都五山/
☎075-343-0548(京都総合観光案内所)
梅宮大社 嵯峨天皇祭
31日/梅宮大社/市バス「梅宮大社前」/
☎075-861-2730

9長月

松尾大社 八朔祭
7日/松尾大社/市バス「松尾大社」/
☎075-871-5016
上賀茂神社 重陽神事と烏相撲
9日/上賀茂神社/市バス「上賀茂御薗橋」/
☎075-781-0011
石清水八幡宮 石清水祭
15日/石清水八幡宮/京阪電車「八幡市」/
☎075-981-3001
御香宮 神能奉納(蝋燭能)
23日/御香宮/近鉄電車「桃山御陵前」/
☎075-611-0559
安井金比羅宮 櫛祭
22日/安井金比羅宮/市バス「東山安井」/
☎075-561-5127
時代祭
時代祭

10神無月

北野天満宮 ずいき祭
1日~5日/北野天満宮/市バス「北野天満宮前」/
☎075-461-0005
今宮神社 例祭
8日・9日/今宮神社/市バス「今宮神社前」/
☎075-491-0082
上賀茂神社 笠懸神事(流鏑馬神事)
19日/上賀茂神社/市バス「上賀茂御薗橋」/
☎075-781-0011
時代祭
22日/京都御所~平安神宮/
☎075-752-0227(京都市観光協会)
鞍馬の火祭
22日/由岐神社/叡山電鉄「鞍馬」/
☎075-741-4511
(鞍馬の火祭テレフォンサービス 9月1日~10月末日)

11霜月

神泉苑 大念仏狂言
1日・2日/神泉苑/市バス「堀川御池」/
☎075-821-1466
藤森神社 秋季大祭・火焚祭
5日/藤森神社/JR電車「藤森」/
☎075-641-1045
嵐山もみじ祭
9日/嵐山・渡月橋一帯/市バス「嵐山」/
☎075-861-0012(嵐山保勝会)
虚空蔵法輪寺 うるし祭
13日/虚空蔵法輪寺 /市バス「嵐山・中之島公園」/
☎075-862-0013

12師走

千本釈迦堂 成道会法要と大根炊き
7日・8日/千本釈迦堂/市バス「上七軒」/
☎075-461-5973
安井金比羅宮 終い金比羅
10日/安井金比羅宮/市バス「東山安井」/
☎075-561-5127
法住寺 義士会法要
14日/法住寺/市バス「博物館三十三間堂前」/
☎075-561-4137
知恩院 御身拭式(おみぬぐいしき)
25日/知恩院 御影堂 /市バス「知恩院前」/
☎075-531-2111

ART

*都合により変更になる場合がございます。悪しからずご了承ください。
*各催事について、お電話やホームページでご確認をお願いいたします。

大丸京都店 6階 イベントホール
☎050-1790-3000

大丸京都店 甦る!! 令和の比叡山お化け屋敷
7月27日(日)~8月31日(日)/10時~19時*最終日31日(日)は16時閉場(いずれも入場は各閉場の1時間前まで/一般1500円他

京都髙島屋S.C.(百貨店) 7階 グランドホール
☎075-221-8811

第47回 圓照寺門跡 山村御流いけばな展
8月22日(金)~27日(水)/10時~19時*24日(日)は16時閉場、最終日27日(水)は17時閉場(いずれも入場は各閉場の30分前まで)/入場無料

京都国立近代美術館
☎075-761-4111(代表)

きもののヒミツ 友禅のうまれるところ
7月19日(土)~9月15日(月・祝)/10時~18時、金曜は20時まで開館(いずれも入館は各閉館の30分前まで)/月曜(ただし、7月21日(月・祝)、8月11日(月・祝)、9月15日(月・祝)は開館)、7月22日(火)、8月12日(火)休館/観覧料未定
没後50年 堂本印象 自在なる創造
10月7日(火)~11月24日(月・休)/10時~18時、金曜は20時まで開館(いずれも入館は各閉館の30分前まで)/月曜(ただし、10月13日(月・祝)、11月3日(月・祝)、11月24日(月・休)は開館)、10月14日(火)、11月4日(火)休館/観覧料未定
セカイノコトワリ ― 私たちの時代の美術(仮)
12月20日(土)~2026年3月8日(日)/10時~18時、金曜は20時まで開館(いずれも入館は各閉館の30分前まで)/月曜(ただし、1月12日(月・祝)、2月23日(月・祝)は開館)、12月29日(月)~1月3日(木・祝)、1月13日(火)、2月24日(火)休館/観覧料未定

京都国立博物館
☎075-525-2473(テレホンサービス)

修理完了記念 特集展示 重要文化財 釈迦堂縁起
7月8日(火)~8月24日(日)/9時30分~17時、金曜は20時まで開館(いずれも入館は各閉館の30分前まで)/月曜休館(ただし、7月21日(月・祝)、8月11日(月・祝)は開館、7月22日(火)、8月12日(火)休館)/一般700円他
特集展示 新収品展
7月8日(火)~8月24日(日)/9時30分~17時、金曜は20時まで開館(いずれも入館は各閉館の30分前まで)/月曜休館(ただし、7月21日(月・祝)、8月11日(月・祝)は開館、7月22日(火)、8月12日(火)休館)/一般700円他
特別展 宋元仏画 ― 蒼海(うみ)を越えたほとけたち
9月20日(土)~11月16日(日)/9時~17時30分、金曜は20時まで(いずれも入館は各閉館の30分前まで)/月曜休館(ただし、10月13日(月・祝)、11月3日(月・祝)は開館、10月14日(火)、11月4日(火)休館)/観覧料未定
新春特集展示 うまづくし ― 干支を愛でる ―
12月16日(火)~2026年1月25日(日)/9時30分~17時、金曜は20時まで開館(いずれも入館は各閉館の30分前まで)/月曜休館(ただし、1月12日(月・祝)は開館、12月29日(月)~2026年1月1日(木・祝)、1月13日(火)休館)/一般700円他
特集展示 光琳かるたと小西家伝来尾形光琳関係資料
12月16日(火)~2026年2月1日(日)/9時30分~17時、金曜は20時まで開館(いずれも入館は各閉館の30分前まで)/月曜休館(ただし、1月12日(月・祝)は開館、12月29日(月)~2026年1月1日(木・祝)、1月13日(火)休館)/一般700円他

コラム〜歌舞伎のまち・四条

『西山物語』

『西山物語』
松尾橋の向こうには松尾大社。第二幕では大堰川のほとりが舞台に。
南座公演ラインナップ

●お問い合わせ/京都・南座
TEL.075-561-1155
●一般電話予約/チケットホン松竹
TEL.0570-000-489(ナビダイヤル)
またはTEL.06-6530-0333

ナビダイヤルは一部交換機種などの設定によってはかかりません。(受付時間/10:00〜17:00)
※この情報は2025年5月25日現在のものです。変更になる場合があることをご了承ください。

1767年(明和4年)に京都で起きた「源太騒動」がモデル。事件の翌年に国学者の建部綾足が読本にし、それらに題を採って小山内薫が戯曲として雑誌『演劇新潮』に発表したのが1924年(大正13年)。1928年(昭和3年)に初演されました。
舞台は山城国松の尾(松尾)。いとこ同士の源太と団次はともに剣術指南ですが、士官の口はなく貧しい暮らしをしており、源太の妹かえと団次の息子の右内は恋仲でした。ある日、西国の大名から士官の声が掛かります。互いに譲り合い、試合で決することにしましたが、源太は団次にわざと勝ちを譲ります。すると団次の態度は一変。付き合いを避け、息子たちの仲も裂こうとするように。そこで源太は妹に花嫁衣裳を着せて押しかけ、団次の目の前で妹を刺し殺してしまったのでした。
人の心のあやうさと武士の意地。それらが生んでしまった悲劇が描かれた物語です。

インフォメーション四条

インフォメーション四条

懐かしの四条

四条のまちの、いま昔。セピア色の懐かしい写真で綴る思い出ミュージアム。

博覧会に沸いた
明治・大正・戦前の京都。
人々の熱が牽引したまちの近代化。

懐かしの四条
博覧会会場と疏水の眺望。写真右上に下図の会場門が見える。
懐かしの四条
上記博覧会の会場門。
懐かしの四条
工業館は各県の技術や製品が展示された。
(本頁画像はいずれも国立国会図書館蔵)
懐かしの四条
明治28年に京都岡崎で開催された第四回内国勧業博覧会の会場図。

大阪舞洲で開催中の「大阪・関西万博」(2025年日本国際博覧会)。多種多様なパビリオンに加え、会場に建設された「大屋根リング」は世界最大の木造建築として大きな話題を呼んでいます。
博覧会といえば、日本で初めて開催されたのは京都でした。明治4年(1871年)に西本願寺で行われたことを機に、京都では明治から戦前にかけて盛んに博覧会が開催されています。
明治政府も産業の奨励政策として内国勧業博覧会の開催を推し進めました。第三回までは東京上野が会場でしたが、第四回は京都の強力な誘致運動が実り、平安遷都千百年紀念祭にあわせて明治28年(1895年)に岡崎一帯で開催されました。この博覧会は、幕末の動乱から復興を果たそうとする京都のまちの旗印の一つでもあり、開催にあわせて疏水の水力発電を利用した日本最初の市街電車が開通しました。
また、いまでは考えられませんが、水産館ではガラスを用いて魚を側面から見る水槽が大きな話題を呼んだほか、美術館では黒田清輝の裸婦画が風俗かく乱の大論争を起こしました。結局、絵の一部を布で覆い、陳列は続行されたとか。4カ月の会期中113万人もの来場者を数えました。
その後も大規模なものとしては、大正4年(1915)の大正天皇即位、大正13年(1924年)の東宮殿下(昭和天皇)御成婚、昭和3年(1928年)の昭和天皇即位を記念した博覧会が開催され、産業や文化の振興の礎となりました。

四条の置いている場所

烏丸通〜堺町通

烏丸通〜堺町通

四条の置いている場所

堺町通〜御幸町通

堺町通〜御幸町通

四条の置いている場所

御幸町通〜河原町通

御幸町通〜河原町通

編集後記

今年も情報誌「四条」をお届けできることを嬉しく思います。
大阪では待ちに待った万国博覧会も始まり、近畿圏内には大勢の国内外からの観光客が押し寄せています。とりわけこの京都にもたくさんの外国人観光客がオーバーツーリズム問題を引き起こすほどの状況には、皆様も驚かれていることと思います。これから7月に向け、京都は祇園祭の季節に入ります。四条繁栄会では、皆様が安全・快適にお過ごしいただける街になるよう日々努力をいたしております。
今回の特集では、建築に見る京都の昭和100年を特集し、四条通界隈の建築物に焦点を当て、取材を進めました。歴史を垣間見て先人たちの熱意と行動力に心を打たれる場面が多くあり、私たち編集部にとっても多くの学びがありました。
お忙しい中、ご協力いただいた皆様に心より感謝申し上げます。
今後も、読者の皆様にとって身近で読み応えのある誌面づくりを目指して参ります。ご感想やご意見など、ぜひお聞かせください。
次号もどうぞお楽しみに。

編集部一同

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